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磐田文化財だより 第3号

旧赤松家へ行ってみませんか?

写真:散策道から見る庭園(散策道から見る庭園)

昨年8月にオープンした旧赤松家記念館(見付河原町)は、近代日本の造船技術の先駆者で、明治期に磐田原台地に茶園を開拓した赤松則良の邸宅跡です。
この記念館では、旧華族の赤松家に伝わる工芸品等や歴史的建造物を無料で公開しています。
また、館内の庭園では、木々が青々とし、そして、6月にはアジサイの花が訪れた皆様の心を和ませてくれます。
和室から眺める庭園の木々や花々を見ながら、「いわた茶」を味わい、ゆっくりとした時を過ごしてみませんか?
是非、旧赤松家記念館にお越しください。

主な展示物の紹介

紙本金地著色(しほんきんじちゃくしょく) 源氏物語図屏風(げんじものがたりずびょうぶ)
(江戸時代後期 市指定文化財)

写真:紙本金地著色(しほんきんじちゃくしょく) 源氏物語図屏風(げんじものがたりずびょうぶ)

六曲一双二隻の屏風で、江戸時代後期に狩野派または土佐派の御用絵師によって描かれた作品です。
源氏物語を描いた屏風絵は、近世の作品によく見られます。本作品は右隻にあたり、金雲により仕切りをしながら、絵合(第17段)・初音(第23段)・胡蝶(第24段)の場面が描かれています。徳川家第十六代当主の家達から赤松則良に贈られたと伝えられる一品です。


桐唐草紋(きりからくさもん) 食籠(じきろう) / 江戸時代中期 市指定文化財

写真:桐唐草紋(きりからくさもん) 食籠(じきろう)

江戸時代中期の作品で、一対のセットで指定文化財となっています。食籠(じきろう)とは食物を入れる容器のことです。身と蓋の外面には、黒布目漆地に金高蒔絵で桐唐草紋が描かれています。
明治中期に赤松家が購入したものと思われます。


吉野山蒔絵文庫・硯箱・色紙箱・短冊箱 / 市指定文化財

写真:見付天神裸祭/今年は9月10・11日です!見付天神裸祭/今年は9月10・11日です!

高蒔絵は、錆漆などで表面や両面を盛り上げ、金銀粉を蒔きつけて、器物の面に絵模様を施したものです。日本独自の漆工芸で、鎌倉時代に端を発します。
本品は金高蒔絵で、吉野山の桜山水が描かれ、硯箱には七宝製水滴も付いています。現在、記念館では全5点中4点を展示してあります。


写真:見付天神裸祭/今年は9月10・11日です!

内蔵の2階ギャラリーでは、現在、下記の小企画展を行っております。

1.期間:4月29日(金)~6月26日(日)
 ※休館日の月曜日はお休みです

2.企画名:「静岡県の近代洋風建築」油絵展
 作:田邉 宏氏(浜松市在住 洋画家)

3.内容:旧赤松邸を始めとして、静岡県内の近代
 洋風建築を油絵で描いた作品を展示しています。

4.問合せ:旧赤松家記念館
 電話・FAX.0538-36-0340 / mail.iwata-akamatsu@uv.tnc.ne.jp

思わず人に話したくなる磐田の文化財 第2回 銚子塚附小銚子塚古墳編

第2回目は、磐田原台地の西縁に仲良く並んでいる銚子塚古墳と小銚子塚古墳を紹介します。磐田市寺谷の県企業局寺谷浄水場に隣接するこれら2つの古墳は、いずれも昭和31年11月に国史跡に指定されています。

磐田市は“古墳の宝庫“!!

写真:地形及び古墳の位置地形及び古墳の位置

磐田原台地とその周辺には約1,700~1,400年くらい前の有力者の墓と考えられている古墳が900基以上分布していました。大規模なものも多く、全長が100mを超える古墳もこの銚子塚古墳を含め堂山古墳(110m)と松林山古墳(107m)と3基ありました。遠江地方の中心として繁栄する当時の磐田の様子がしのばれます。


県内2位と3位!!

銚子塚古墳は、全長108mの前方後円墳で県内では3番目の大きさです。後円部周辺の一部には幅10mの堀も確認されています。
小銚子塚古墳も前方後方墳としては県内で2番目に大きく、全長が46mあります。前方部が裾へ向かいバチ形に開く古いものによく見られる形状をしています。銚子塚古墳より眺めのいい位置に作られているので、こちらの方が先に作られたのではないかと思われますが、どちらの築造も4世紀後半頃(今から1,650年くらい前)と推定されています。

省エネ工法?

写真:小銚子塚古墳(南側から)現在は樹木に囲まれ天竜川は望めません小銚子塚古墳(南側から)現在は
樹木に囲まれ天竜川は望めません

両古墳に当てはまることですが、特に小銚子塚古墳は台地の西縁の高低差をうまく利用して墳丘を作ってあり、現地を訪れると実測値よりかなり大きく感じます。
天竜川を望む眺めのいい場所に古墳を築き葬られたいという有力者の意向や効果的に工事を行おうとする工夫がうかがえます。
ただ、地形の起伏はかなり大きく、築造するためには、高度な土木技術が必要だったことも推測されます。


卑弥呼の鏡!?が出土

両古墳とも正式調査は行われていませんが、銚子塚古墳からは明治13年に三角縁三神三獣鏡1面などが出土しています。三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏(中国)からもらったとの説もある銅鏡で、銚子塚古墳の鏡と同じ模様の鋳型から作られたものは岐阜県と山梨県の古墳からも出土しています。現在、この鏡は東京国立博物館に収蔵されています。

銚子塚は全国にいっぱい

“銚子塚古墳”は、佐賀県や千葉県など全国各地にあります。これは、江戸時代に前方後円墳がそのカタチからお酒を入れる酒器を連想して“銚子“塚と名付けられ、その名が現在まで残ったためなのです。
同じようなケースには、車塚古墳(前方後円墳)や兜塚古墳(円墳)などがありますが、皆さんは古墳のカタチから何を連想されるでしょうか?

町史編さん室だより -竜洋町史編さん室①-

写真:昭和30年頃まで竜洋の海岸で行われた地引き網の様子 (写真提供 原時夫さん:白羽)昭和30年頃まで竜洋の海岸で行われた
地引き網の様子
(写真提供 原時夫さん:白羽)

文化財課に二つの「町史編さん室」が設置されました。このコーナーでは、これらの編さん室で行われている業務をシリーズで紹介していきます。第1回目は竜洋公民館(なぎの木会館)の敷地の一角にある「竜洋町史編さん室」です。
みなさんは今年3月に発行された「竜洋町史 民俗編」をご覧になりましたか?別編をあわせて3冊セットになったこの民俗編は、市内の図書館と小中高校の図書室でご覧になることができます。(販売については予約販売のみとさせていただき完売しました)
今年3月、その幕を閉じた竜洋町は昭和30年4月に3町村の合併によって誕生しました。
町史の編さん事業は、この合併50周年を記念する事業として、正式には平成12年にはじまりました。ちょうど50周年にあたる今年3月の民俗編の発行をスタートに平成21年までに資料編Ⅱ(近現代)、資料編I(近世以前)、通史編の刊行を予定しています。
現在は、今年度中の「資料編II(近現代)」の発行をめざして、竜洋町史編さん委員会のもと総勢7名のスタッフが編さんに関する様々な業務を進めていますので、ぜひ、みなさまのご理解とご協力をお願いします。
次回は、「豊田町史編さん室」を紹介予定です。

コラム
- 新ふるさと紀行 新磐田編 - 清水 尚

写真:2万年前の磐田市富丘下原(想像図)2万年前の磐田市富丘下原(想像図)

平成11年から広報とよだで4年間「ふるさと紀行」を連載しました。紙上で町内の様々な文化財を案内しながら皆さんとともに歴史の旅を楽しみました。
文化財は、私たちの祖先が残してくれた郷土の財産です。これを一部の人の趣味のためだけでなく、皆さんとともに楽しみたいとの想いで連載を続けました。
新しく誕生した磐田市は文化財の宝庫で、特に埋蔵文化財(地中にあった文化財)の中には目を見張るものがたくさんあります。たとえば、県内の古墳(1600年ほど前の長のお墓)の大きさベスト5に市内に存在した古墳が3基も入っていることをご存知でしょうか?これは、当時の磐田周辺が県内で最も繁栄していたことを示しています。だからこそ、次の時代に現在の県庁にあたる遠江国府がこの地に置かれ、国分寺も建立されたのでしょう。
私は、このすばらしい郷土文化を大きな誇りとしてほしい、そして次世代へと受け継いでいってほしいと思っています。機会があれば新しい磐田市の「ふるさと紀行」を皆さんと楽しみたいと考えていますのでお楽しみに。

編集後記

4月から5月にかけて、埋蔵文化財センターには多くの小中学生が見学者に訪れます。(詳しくは近日公開予定の磐田市教育委員会ホームページをご覧下さい)
元気なあいさつや歓声で、センター内はいつもより少し賑やかです。(Y)

  

情報発信元
磐田市教育委員会 文化財課(磐田市埋蔵文化財センター内)
電話番号:0538-32-9699

受付時間:午前8時30分~午後5時15分

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