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磐田文化財だより 第10号

シリーズ 磐南地域を知る ④豊田編

シリーズ4回目の今回は、豊田地区を紹介します

旧豊田町の成り立ち

写真:磐南地域

豊田町の前身は、旧富岡・井通・池田村と竜洋町(旧十束村)の一部が昭和30年に合併してできた豊田村です。昭和47年町制を施行して豊田町となりました。豊田の名は、豊かな水田が広がる地域で、昔豊田郡であったことが由来しています(「豊田郡」の出てくる最も古い記録は、康平6年(1063)「華頂要略」)。豊田郡は、明治29年に磐田郡が成立するまであり、その範囲は浜松市や旧磐田市の一部などにも及んでいました。
豊田地域の広さは約20平方km、天竜川扇状地の平野の部分(約4分の3)と、磐田原台地の部分からなり、境(崖の部分)には帯状に照葉樹林があります。平野部は天竜川が流れていたところで、地下を掘れば砂利が出てきます。砂利採取工事は、豊田地域でよく見掛ける光景です。
人口は、一時は県内№1の伸び率を示して合併直前(昨年3月)に約3万2千人、50年前の約3倍となりました。以前は、北(旧富岡)・南(井通)・西(池田)各地区の住民気質に違いがあり、お互いライバル意識もあったようですが、近年では旧十束村の赤池・上本郷・下本郷の人たちや転入してきた住民たちとも共に力を合わせ一体となって町づくりに取り組んできました。
今回は、各地区の歴史に触れながら地域性を紹介します。

北地区(旧富岡村)と耕地整理事業

写真:昭和4年の富岡村全図昭和4年の富岡村全図
すでに平野部(西半分)は耕地整理が完了しています

純農村であった富岡村は、国の方針に一貫して従い、指導者と村人とが一丸となって他村の模範となるような村づくりを行ってきました。明治の初めから二宮尊徳の思想と農業技術・経営技術革新を融合させた報徳運動が安居院荘七らによって行なわれ、村人たちに深く根ざしていたのです。
これを代表する事業に耕地整理があります。遠州地方は全国で最も早く耕地整理に取り掛かった地域で、山名郡彦島村(現袋井市)の名倉太郎馬がその先駆者でした。これに改良を加え耕地整理法を編み出したのが旧加茂西村の鈴木浦八で、静岡方式として広く全国で採用されました。
この地域の地図を他の地域と比べると、道路や水路が規則正しく配されていることに気がつきますが、驚くべきことにこれは約百年も前に行われた耕地整理が基本となっているのです。
利害関係に絡む困難な事業が富岡村全域で実施されたことについては、指導者である鈴木浦八の功績は言うまでもありませんが、人々の理解と協力を抜きにしては考えられないことでしょう。

富岡村
明治22年、匂坂西・匂坂中之郷・七蔵新田・匂坂下・中野戸・気賀西・気賀東・加茂東・加茂西・加茂川原の10村の合併により成立しました。

南地区(旧井通村)と西之島学校設立

写真:旧西之島学校の校舎旧西之島学校の校舎
(井通尋常高等小学校時代)

東海道筋にあった井通村には、江戸時代には農村でありながら街道筋で商売する家もありました。往来する人々と接する機会があり、情報が早く伝わり文化に対する関心も高かったようです。
西之島村の熊谷三郎馬は教育の重要性を認め、明治3年(1870)には自宅敷地内に私塾を設け、これらが基盤となって学制が敷かれた翌年の明治6年(1873)には西之島学校が発足しました(見付学校設立の1ヶ月後)。そして村人が縄をなうなど協力して行なった資金集めや篤志家の寄付によって、明治8年(1875)には見付学校や坊中学校(鎌田)と並んで後に遠州3大学校と謳われることになった洋風3階建て校舎を完成させました(見付学校落成の2ヶ月後)。このような校舎ができたのも教育や文化に関心が高いその地域性によるのでしょう。
現在、西之島学校は豊田南小学校となっていて、昨年新築された同校の校舎には西之島学校をイメージしたデザインが取り入れられています。また、豊田南小学校から分かれて開校した青城小学校は、文墨に親しんだ三郎馬の雅号「青城」にちなんで命名されました

井通村
明治22年、上新屋・小立野・上万能・弥藤太島・森岡・西之島・源平新田・長森・森下・中田・気子島・宮之一色・海老塚・笹原島・下万能・立野村・森本の17村の合併により成立しました。
赤池・下本郷・上本郷は明治22年の合併には十束村に属しました。昭和30年の合併で15日間だけ竜洋町に属しましたが、脱退して豊田村に編入しました。

西地区(旧池田村)と明治からのなりわい

写真:竜東材木㈱竜東材木㈱明治31年4月操業開始

池田村は江戸時代から昭和30年の合併まで他村との合併がなかった村です。池田の船頭は徳川家康から特権を与えられ、明治になるまで天竜川の渡船を独占的に行ってきました。江戸時代には渡船に関わる人たちの戸数が200ほどあって、農業を営む地方を含め300戸近くにもなり、宿屋や店屋もある町場となっていました。船頭は宵越しの金は持たないといい、使いっぷりもよく町も繁栄しました。
明治に渡船がなくなってからは、製材業や佐久間の方から川で運ばれる鉱石を中泉まで運ぶ仕事、水車を利用した精米業などに活路を見出しました。町は材木・鉱石の集散地として、材木関連の工場や銀行、砂利屋、銭湯、割烹旅館、料理屋、米屋と様々な店で賑わい、池田の人たちは、その繁栄ぶりをとても誇りに思っていたようです。
鉄道輸送の発達によって、物資の集散地としての機能が対岸の天竜川駅周辺に移ると、町には往事ほどの賑わいはなくなりました。
しかし、人々の絆は強く、やかた祭りなど地域の伝統は脈々と受け継がれ、国の天然記念物である熊野の長藤についても昭和初期には保存運動を起こし、地域全体で管理を行っています。

思わず人に話したくなる磐田の文化財 第9回 旧赤松家門・塀編

今回は、埋蔵文化財センターにほど近い旧赤松家門・塀を紹介します。赤いレンガ造りのお洒落なこの建物は、平成4年3月17日に県文化財に指定されました。

明治の要人も訪れた?

写真:赤松則良の胸像赤松則良の胸像
敷地内に建っています

この門と塀は、赤松則良の邸宅として明治25年(1892)頃に建てられました。後に母屋は移築されましたが、現在も門・塀のほか、土蔵や水屋の一部などが残っています。
赤松則良は、幕末に勝海舟らとともに咸臨丸で渡米し、明治維新後も造船技術の先駆者として活躍しました。日本で最初に生命保険の保険料の算出を行なったともいわれていますが、徳川家ゆかりの磐田原の開墾にも力を注ぎ、51歳で職を退いてからは見付に移り住みました。
前号のコラムでは則良の息子達について語られていますが、長女の登志子も明治の文豪森鴎外の妻となるなど、日本近代史に名を残す人々との親交が知られています。

フランス積み?

写真:赤松家の門赤松家の門

切妻造り鉄板(現銅板)葺きの門の左右に設けられているのは守衛所と供待です。レンガの長手(長い面)と小口(短い面)を交互に積み重ねた最もレンガらしく美しい積み方といわれるフランス積みという手法で建てられ、正面にアーチ状の窓が設けられるなど、趣向を凝らしたデザインです。
なお、フランス積みは日本で用いられることが少ない手法で、現ベルギーのフランドル地方で完成したため、正確には「フランドル積み」であると指摘する専門家もいます。

読めますか?“三和土”

写真:赤松家の塀赤松家の塀

塀は、三和土積みとレンガ積みが併用されています。三和土は「たたき」と読み、石灰と赤土、砂利などににがりを混ぜ水を加えて練り固めたもので、門周辺の塀はこれをブロック状に積んで基礎としています。その上にはレンガが長手積み(長手のみをジグザグに積む手法)で積まれ、一定間隔で建つ柱がアクセントとなっています。

お茶と干菓子はいかが?

写真:旧赤松家記念館地図

明治の薫りの漂うこの敷地内には、昨年8月に赤松家に関する文化財や資料などを展示し、有料ですが則良の磐田原開墾にちなんで「いわた茶」を干菓子付き(!)で味わうことのできる旧赤松家記念館がオープンしました。内蔵のギャラリーでも定期的に企画展等を行なっていますので、ぜひ一度お越しください。(入場無料)

小さな博物館(1~3月)

市役所本庁舎市民ホールの「小さな博物館」が1月4日から変わります。

磐田・袋井地区と浜松地区を結ぶ県道浜松袋井線が平成16年3月に開通しました。
この道路工事に伴って市内の匂坂地区で平成9年から5年間にわたって発掘調査を行いました。
この調査によって、この地区の旧石器時代(約2万年前)から古墳時代(約1,300前)までの人々の足跡を知ることができました。
今回、小さな博物館では、この発掘調査における多くの出土品のなかから、その一部をご紹介します。

コラム - Welcome 外国の方!渡邊 武文

はじめまして、12月から文化財課の嘱託職員となった渡邊です。先日、浜松駅の近くで外国人の方に道を尋ねられました。しかも英語で…。突然のピンチにドキドキしながら片言の英語で応戦!何とか無事に目的のファミレスにたどり着き、ホッとしたのも束の間、今度は「一緒に食事をしないか?」とのお誘いが…。つい「OK!」と返事をしてしまった私ですが、案の定、席に着くと怒濤のように英語が迫ってきました。今度こそ絶体絶命…。
しかし、そのうちに片言の英語とジェスチャーだけでもコミュニケーションは何とかとれることが分かってきました。盛り上がったのは、お互いの生活習慣などの文化の違いの話しで、外国の方と接する機会が少なかった私には、育った環境でこんなにも考え方が違うものかと驚きの連続でした。あとはサッカーの話し!いよいよ今年開催されるワールドカップへむけて、互いの代表チームの自慢をしあいながら展望を語り合い、帰る時間も忘れて夢中で話し続けました。
そんな今回の体験で再認識したのは、物事はそれだけを観るのでなく、それを作り出した人たちの考え方や取り巻く環境まで思いをめぐらせる必要があるということで、これは文化財の仕事をしていく中でも意識していきたいと思いました。
それと、身近なところでも着実に国際化は進行していることです。皆さんもある日突然外国の方に道を尋ねられるってことが近いうちにあるかもしれませんね。それでは、See you♪

編集後記

あけましておめでとうございます。今年も文化財だよりをよろしくお願いします。
コラムにありましたが、今年はドイツでサッカーWカップが開催されます。時差は確か12時間。今から睡眠不足が心配です。(Y)

  

情報発信元
磐田市教育委員会 文化財課(磐田市埋蔵文化財センター内)
電話番号:0538-32-9699

受付時間:午前8時30分~午後5時15分

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