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磐田文化財だより 第12号

磐南地域を知る ⑤豊岡編

シリーズ最終回の今回は、豊岡地域(旧豊岡村)を紹介します。

豊岡地域の地理

写真:豊岡地域

磐田市の北部に位置し、北は浜松市二俣町、東は周智郡森町、南東は袋井市、西は天竜川に接しています。南寄りに第2東名高速道路が建設中です。北東部を春野山地、南東部を磐田原台地、西部一帯は天竜川によってつくられた浜松平野北部にあたり、北遠の山間地域と南遠の平野・台地部の接点となっています。旧村名の由来が豊かな丘(岡)であるように豊かな森林資源をもち、農業を主体とし発展してきました。

豊岡地域の歴史

写真:敷地3号銅鐸県指定文化財
敷地3号銅鐸
(静岡県教育委員会所蔵)

敷地西谷からは銅鐸が3口出土しました。弥生時代後期(1,800年前)のもので、2口は明治23(1890)年に、もう1口(左下写真参照)は第2東名建設に伴い平成12年に発見されました。天竜川以東では数少ない銅鐸の発見例です。また、同時代の蔵平遺跡からは県内では珍しい鳥形土器が出土しています。
磐田原台地から上野部、下野部の天竜川に面した丘陵部には5世紀中頃から7世紀にかけて130基ほどの古墳が造られています。中でも、血松塚古墳(市指定文化財)は全長約50mの前方後円墳で、豊岡地域で最も大きい古墳です。
天竜川の氾濫には古代から悩まされたようで、平安時代の『和名類聚抄』には長上郡河辺郷(野部)と山名郡信芸郷(敷地)についての記述はあるものの、人が住める状況でなかったのか広瀬にあたる地区についての記述がありません。広瀬は江戸時代には天竜川などによって二分され、三家・神増・松ノ木島は川中にあり、洪水の被害にあいました。広瀬(と対岸の浜松市中瀬)は天竜川が大きく蛇行する最初の地点であり、その歴史は川との闘いの歴史であったようです。
戦国期の豊岡地域は、戦国大名が城の争奪戦を繰り返す舞台となりました。社山城(市指定文化財)は二俣城と共に重視され、今川、武田、徳川の三氏によって手が加えられました。堀などは現在も残っており、各氏の築城技術を知ることができます。
江戸時代には洪水に悩まされながらも新田開発を進め、3,500石余りの石高を上げ、浜松藩領、掛川藩領、旗本領などになりました。
そして、明治22(1889)年には広瀬村・敷地村・野部村の3村が誕生し、昭和30年4月1日にはこれら3村が合併し、豊岡村が成立したのです。

もっと知りたい!!豊岡地域の歴史・文化・伝統

豊岡地域には現在、市指定文化財のほか、地域の財産として残っている“文化財”が数多くあります。ここでは比較的歴史の浅いものも含めて、その一部を紹介します。

写真:敷地社山土地改良区事務所旧敷地村役場

建造物
昭和3年に建設された木造平屋建の「旧広瀬村役場」と昭和11年に建設された木造2階建の「旧敷地村役場」は、レトロな雰囲気を醸し出し周囲の風景に溶け込んでいます。当時は近代化の気運の高まりから洋風の造りが好まれたのです。

広瀬凧
遠州では、森町の武家凧、掛川市の横須賀凧と並び、この広瀬凧が有名です。明治25(1892)年創業の「広瀬タコヤ」では伝統を絶やすことなく現在も作り続けています。「広瀬」の「タコヤ」の愛称をそのまま店名に変えたそうです。
3代目の伊藤篤男(75)さんによれば、「伝統と言ってもなぁ、子供の頃からずっと見てきたことを続けてるんだよ。」と言う裏側には114年の歴史の重みを感じます。ここでは軍人凧をはじめ武者凧などさまざまな種類の凧を製作しています。広瀬凧と軍人凧、そして日露戦争で軍神第1号となった広瀬中佐との関係を聞くと、「よく言われるよ。広瀬製と書いてあるように、広瀬村の製作ということで、関係ないんだよ。」とのこと。凧の注文は、と問うと「子供が少なくなって注文も少なくなったよ。遠くから注文もあるけど、昔ほどはなぁ。」と寂しげ。
浜松の凧揚げもいいですが、やはり、初節句の磐田の空では磐田の凧へ発展を遂げた広瀬の凧を多く見たいものです。
ちなみに、伊藤さんは獅子ヶ鼻公園の公衆トイレのオブジェの製作者でもあります。(協力:市内上神増947 伊藤篤男さん 0539-62-2015)

写真:伊藤さんと製作した凧の数々

伊藤さんと製作した凧の数々

写真:軍人凧

軍人凧(広瀬製とある)

岩室廃寺(市指定文化財)
獅子ヶ鼻公園の南側には奈良時代から続いた寺院があります。かつては塔や金堂もあったと推定され、礎石や塔心礎は今でも見ることが可能です。遠江国分寺と同じ瓦が出土したため、国分寺とつながりのある寺院ではないかと考えられています。中世には遠江で最高位の山岳寺院とされ、広い範囲に様々な施設があったたようで、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』では源義経探索に関わり、その筆頭に「巌室寺」を探すよう記述がされています〔文治二年(1186)四月〕。江戸前期に建てられた観音堂は現存し、地元の信仰を集めています。
昨年11月、市道拡幅工事に伴って付近で中世墳墓群が発見されました。墓が造られた時期は12世紀後半頃と推定されるため、当時の岩室寺と豊岡地域の姿とを再考する有力な手がかりとなることが期待されています。

思わず人に話したくなる磐田の文化財 第11回 木造毘沙門天立像編

今回は見付(地脇町)の宣光寺に伝わる木造毘沙門天立像を紹介します。前回ご紹介した地蔵菩薩像と同じ堂内に安置され、同じ昭和59年11月30日に同じ県の文化財に指定されています。

四天王中最強!!

写真:毘沙門天像毘沙門天像

『男はつらいよ』でもお馴染みの帝釈天は、梵天と並ぶ仏教の2大守護神です。毘沙門天はその配下で、帝釈天らの住む須弥山を持国天・増長天・広目天とともに守る四天王の一人です。北方を守り、四天王の中でも最強といわれています。
仏像としては、他の四天王と共に本尊を守護するために置かれる場合も多い(通常この場合、本尊の向って右の奥に置かれ、多聞天と呼ばれます)のですが、宣光寺の毘沙門天像のように単独でまつられる例も珍しくありません。
甲冑を着て、片手に鉾、片手に釈迦の骨を収める宝塔を持つ姿が一般的ですが、この像のように宝塔を持たず片手は腰にあてているだけの例もあります。

究極の勝ち組?

戦闘的なイメージが強い毘沙門天ですが、文武両道で実は頭もいいようです。サンスクリット語のヴァイシュラヴァナの音にそのまま漢字をあてたのが毘沙門ですが、その意味は“すべてを一切聞きもらさぬ知恵者”というもので、別名である多聞天はここからきています。
加えて、蓮の花の香りがする豪華な城に住み、妻は吉祥天(美女の代名詞!!)というヒルズ族も真っ青なセレブ(≒優雅)な生活を送っているといわれます。日本では勝負事の神さまとして信仰され、七福神の一員として人気が高いことも納得です。

過渡期の作品

この像の高さは165.5㎝あり、ヒノキ材の一本割矧造です。この技法では主要部を一材から刻み出す一本造の途中で、いったん部材を二つに割り、乾燥してひび割れることを防ぐために内側を刳り抜いた後で再び重ねあわせます。ちょうど一本造と寄木造の中間的な技法であり、このことや作風から制作年代は平安時代後期ではないかと推定されています。

ユーモラスな邪鬼

写真:宣光寺の木造毘沙門天立像の邪鬼宣光寺の木造毘沙門天立像の邪鬼

像の足元には邪鬼が踏みつけられていますが、毅然とした表情の沙門天とは対照的に懲らしめられているはずの邪鬼にはかなりの余裕が感じられます。
苦悶の表情を浮かべるべきなのかもしれませんが、仏教発祥の地インドでの場合、足の下におかれることは、上のものを支えていることも意味するようで、もしかすると本来はこちらの表情の方が自然(?)なのかもしれません。

町史編さん室だより -竜洋町史編さん室③ 竜洋支所に移ります-

昨年の「民俗編」に続く2冊目の竜洋町史「資料編Ⅱ」がまもなく発刊されます。明治時代から平成の合併に至るまで、およそ140年にわたる地域の歴史を物語る資料を掲載しています。皆様のご協力により貴重な資料を収集することができ、おかげさまで印刷部数を予定より増やすほどのご予約をいただいております。ありがとうございました。
さて、編さん事業スタートから5年目、予定する4冊のうち2冊目を発行して竜洋町史編さん室は竜洋支所に移転します。
すでに豊田町史編さん室が入り、歴史文書館も設置予定の竜洋支所には、たくさんの歴史資料が集められ、編さん事業を進めていく上でたいへん都合がいいように感じられます。移転は3月末を予定し、電話番号も変更になるかと思いますが、決定次第お知らせします。
さて、いよいよ次は「資料編Ⅰ」の発刊です。近世以前、つまり江戸時代までの資料を収集し掲載します。江戸時代には「掛塚湊なと」があったことで、竜洋地区は今以上に各地との交易が盛んだったと考えられます。すでに「掛塚湊」については相当研究がされていますが、竜洋そして磐田にとっての「掛塚湊」の意義について、明らかにしていければいいと考えています。竜洋町史の編さん事業はまだまだ続きます。皆様の協力をよろしくお願いします。

「ふるさと磐田の指定文化財展」を今度は豊田で開催しています!!
期 間:3月4日(土)~3月19日(日) 場 所:豊田図書館展示室
時 間:9:30~17:00 ※月曜休館 入場は無料です
いわたのお宝ともいえる127件の指定文化財などを完全ガイドしています♪

コラム ー遊べ・あそべ 旧見付学校からー 小杉達

2月25日(土)に旧見付学校を訪れたお客さんの数は120人でした。内訳は、九州、札幌、東京など県外の方が40人、県内は御殿場、沼津、静岡などが31人、市内は49人です。年間の入場者を平均すると一日50人余ですからこの日は多い。春がきたことを感じます。また、県外・市外の人が多いからここは全国区の観光地でもあることがわかります。
教室の小さな椅子に腰を下ろすと別世界に突入します。お年寄りにとっては回想療法に最適。子どもたちにとっては未知との遭遇。ここは「魔法の館」です。
3階にはお手玉などの室内遊び、外には竹馬やコマがあります。やったことがある大人はすぐできます。未経験の子どもでも繰り返せば必ずできます。でも、すぐ辞めてしまう子どもが多いように思います。
去年来校したオーストラリアの子どもたちは輪まわしを見つけると目を輝かしていつまでも興じていました。

編集後記

最近このコーナーはスポーツ関連の話題ばかりですが、トリノオリンピックが閉幕しました。フィギュアで荒川選手が金メダル獲得、上半身を反らせたイナバウアーのポーズが注目されています。職場でも真似してみたという人がチラホラ。先日、腰痛になった人もいますが、もしかしてこっそり・・・。(Y)

  

情報発信元
磐田市教育委員会 文化財課(磐田市埋蔵文化財センター内)
電話番号:0538-32-9699

受付時間:午前8時30分~午後5時15分

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