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磐田文化財だより 第13号

古代のタイムカプセル《向笠の話》新豊院山を知る

~新豊院遺跡の発掘調査報告書が完結しました~

ご存知のとおり磐田市内には多くの文化財が存在しています。その中でも向笠地区は、大小の古墳が、特に集中する文化財の宝庫として知られています。向笠竹之内にある曹洞宗の寺院「新豊院」の西側は新豊院山、新豊院裏山と呼ばれ、多くの古墳や遺跡が分布することで知られていました。土砂採取によって遺跡が壊されてしまうため、昭和54~56年に発掘調査が行われました。発掘調査の成果は地点毎にまとめられ、平成15年・16年にA・C地点の報告書が刊行されました。今回、国史跡である新豊院山古墳群の発掘調査報告書が完成し、新豊院山の報告書が完結しました。

新豊院山遺跡?
新豊院の裏手にある丘陵上には、縄文時代の集落や、弥生時代の墓、古墳などが見つかっています。この遺跡を「新豊院山遺跡」と呼びます。発掘調査では、調査範囲が広いため、便宜的にA~D地点の名称がつけられました。
残念なことにB地点は発掘調査時点にはすでに壊されていましたが、A・C地点からは弥生・古墳時代の墓(古墳)が数多く見つかっています。
また、C地点からは縄文時代の集落の跡が発見されています。国の史跡である新豊院山古墳群はD地点にあたります。

写真:新豊院・新豊院山遺跡

写真の中央が新豊院で、その裏手の山が新豊院
山遺跡です。豊かな緑は太田川の西岸、磐田原
台地東縁に連続するグリーンベルトの一角にあた
ります。

写真:2号墳の主体部

2号墳の主体部

ここが凄い!
新豊院山古墳群からは、弥生時代の土坑墓、古墳時代初期の方形台状墓(3号墓)、前方後円墳(2号墳)が見つかっています。
弥生時代から初期の古墳(墳墓)の変遷や埋葬の仕方を具体的に知ることができる重要な遺跡として昭和62年に国の史跡に指定されました。

2号墳がまた凄い!
2号墳は全長28mの前方後円墳です。卑弥呼の鏡といわれる「三角縁吾作銘四神四獣鏡」や銅鏃・鉄鏃・鉄剣などが主体部から出土しています。また、古墳の形や主体部の造り方に特徴があり、静岡県内でも最も古い古墳の一つとされています。

写真:発掘調査報告書

もっと知りたければ・・・残部僅少!
埋蔵文化財センターで新豊院山遺跡の発掘調査報告書を販売しています。ご希望の方は埋蔵文化財センターをお訪ね下さい。ホールでは土器や石器が展示され、この三角縁神獣鏡が展示されていることもあります。この際、ホールの見学もいかがでしょうか?

新豊院山遺跡発掘調査報告書 A地点の発掘調査 900円
新豊院山遺跡発掘調査報告書Ⅱ C地点の発掘調査 1,100円
新豊院山遺跡報告書Ⅲ 新豊院山古墳群発掘調査報告書 1,500円

(残部の確認・販売時期について文化財課へお問い合わせください)

写真:2号墳の鏡

新豊山2号墳の鏡に兄弟がいた!
鏡は型に青銅を流し込んで作られ、同じ鋳型を使った鏡を同笵鏡・同型鏡と呼びます。大阪府羽曳野市庭鳥塚古墳から同じ鋳型から作られた鏡が出土しています。庭鳥塚古墳から出土した鏡の文様が鮮明であることから、先に作られた「兄」にあたる鏡であると考えられます。この鏡は三角縁吾作銘四神四獣鏡と呼ばれ、ヤマト政権が有力者に分けたものと言われています。

~思わず人に話したくなる磐田の文化財~
第12回 三角縁四神四獣鏡(連城寺)編

今回は連城寺(新貝)が所蔵する三角縁四神四獣鏡を紹介します。この鏡は市内で初めて考古資料として昭和33年9月2日に県の文化財に指定されています。

写真:連城寺の三角縁神獣鏡

三角縁神獣鏡って何?
三角縁神獣鏡とは名前が示すように鏡の裏面の縁の断面が三角形で神仙や神獣をモチーフにした文様がある銅鏡です。
この文様は古代中国において発達した神仙思想を表現し、不老長寿の理想を描いているといわれます。
『魏志倭人伝』に記された魏の皇帝が卑弥呼に与えた鏡ではないかともいわれ、邪馬台国の場所をめぐる論争もあり新たに出土すると新聞等で大きく報道される鏡です。
近畿を中心に数百枚(内、市内から5枚)が出土し、神仙や神獣の数やその配置によっていくつかのタイプに分類されています。

写真:推定位置図

幻の古墳から出土!?
この鏡は、明治18(1885)~19(1886)年ごろ東海道線の工事中に経塚古墳から見つかったと伝えられ、穴もその際ツルハシが当たって開いてしまったといわれています。
経塚古墳は、鏡を所蔵する連城寺の南西に位置した全長約91mの前方後円墳といわれていますが、工事により破壊されたため詳しいことは分かっていません。
(全長60m程度であったとの説もあります)しかし、御厨古墳群(国史跡)との位置関係等から、御厨古墳群を構成する古墳と同様に、この地域で権力を握っていた有力者の墓ではないかと考えられています。(御厨古墳群については、新いわた文化財だより第6号もご覧ください。)

地方の有力者のステイタスシンボル!!
三角縁神獣鏡と卑弥呼との関連については異論もありますが、近畿地方を中心に多く見つかることから、この鏡がヤマト政権と深いかかわりを持つことは間違いないと思われます。
古墳時代前期(約1600年前)の大規模な古墳から多く見つかっていることから、この鏡は当時の地方の有力者が中央とのつながりを示すステイタスシンボルでもあったと思われます。
つまり、経塚古墳が有力者の墓であるという推定は、この鏡の出土によっても裏付けられているともいえるのです。

    
    
    

小さな博物館(4~6月)加茂東原Ⅰ遺跡

   

市役所本庁舎市民ホールの「小さな博物館」が4月4日から変わります。
加茂東原Ⅰ遺跡は、富丘にある弥生時代後期(約1,700年前)のムラの跡です。ムラは天竜川を見下ろす磐田原台地上にあり直径100mにも及び、周囲は溝(環濠)で囲まれていました。発掘調査で、溝の中から大量の弥生土器が見つかりました。当時の富丘の地に住んだ人々の生活の中で使われた土器を間近で見てみませんか?

写真:加茂東原Ⅰ遺跡を囲む溝

加茂東原Ⅰ遺跡を囲む溝

写真:加茂東原Ⅰ遺跡の復元想像図

加茂東原Ⅰ遺跡の復元想像図

コラム -文化財の保存と管理- 矢部 宏明

写真:矢部 宏明

こんにちは。文化財課管理係の矢部でございます。
管理係は名前からもわかるように、文化財の適正な保存管理や関連施設の維持管理を主に業務を行っております。
例えば、遺跡や古墳等の史跡については、まず保存が大切ですが、市民共通の財産とするためには適正な管理が重要です。この管理では、すでに自然と一体化しているものが多く、樹木の自生や雑草の繁茂のため、年間を通じて定期的な草刈や樹木伐採をし、良好な状態を保つことが必要不可欠です。
こうした管理の中、文化財課職員自らの管理だけでは到底手が足りず、造園業者等への委託に加え、史跡周辺地域の自治会が直接管理業務を受託していただいているところです。
地元地域の景観維持や文化財の啓発を兼ねた取組みに感謝申し上げます。

  
  
  

編集後記

  

今回ご紹介した2枚の三角縁神獣鏡を含めた古代鏡の魅力について詳しくご紹介した特集「ふしぎなふしぎな鏡たち」も収録した『いわた文化財だより(復刻版)第101号~142号』をまもなく発売します。詳細は次号をお待ちください。(Y)

  
  

情報発信元
磐田市教育委員会 文化財課(磐田市埋蔵文化財センター内)
電話番号:0538-32-9699

受付時間:午前8時30分~午後5時15分

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