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磐田文化財だより 第16号

むかしむかしのいわた人を解明

~遺跡の整理作業を紹介します~

写真:調査風景調査風景
写真:検出された礫群検出された礫群

埋蔵文化財センターでは発掘調査で出土した土器や石器、現地で記録した写真や図面を整理し、その内容を発掘調査報告書にまとめ、皆さんに紹介しています。今回は現在整理作業を進めているちょうじゃ長者やしき屋敷遺跡の作業の様子を紹介します。

発掘調査は平成15・16年度に行いました。主な遺物には旧石器時代(約20,000年前)の石器7,000点や縄文時代(約4,000年前)の土器の破片1,000点があり、平成17年度から整理作業を行っています。

出土遺物の整理は洗浄→ちゅうき注記→分類→接合→復元→実測・たくほん拓本→図版・写真撮影の手順を重ねます。

長者屋敷遺跡

磐田原台地西縁(岩田地区)に位置する長者屋敷遺跡は、旧石器・縄文時代~奈良時代にかけての遺跡です。遺跡の中心に造られた東西100m、南北80mの土塁に囲まれた建物跡は奈良時代(今から1,350年前)の役所的な施設として、昭和54年に静岡県の史跡に指定されています。

調査の場所は史跡指定地の北側と東側で、旧石器時代(約20,000年前)と縄文時代中期(約4,000年前)のムラの跡が見つかりました。東側の浅い谷に面してムラが営まれたようで、旧石器時代のバーベキューの跡であるれき礫群や配石、縄文時代の住居などが発見されました。(調査の様子は『文化財だより 131号』で紹介しています。)

洗浄・注記

写真:洗浄の様子 洗浄の様子

埋蔵文化財センターへ運ばれた土器や石器は、水で土を落とし(洗浄)、きれいになった表面に遺跡名、出土場所、遺物番号などの記号を書き込みます(注記)。遺物1点1点に名前をつけ、記録することで、遺物に「戸籍」が与えられたこととなります。長者屋敷遺跡では7,000点近くの石器と1,000点以上の縄文土器の破片が見つかりました。

土器の接合・復元

写真:接合した土器 石器に書かれた注記
(遺跡名・遺物番号・出土地点が書かれます)

土器の大半は割れた状態(破片)で見つかります。これらの土器を立体のパズルを作るように、たくさんの破片を接合し、できる限り元の形に戻す作業を行います。

長者屋敷遺跡では縄文時代中期(約4,000年前)のムラの跡が見つかっており、最も古い土器は今から約6,000年前のおしがた押型もん文土器と呼ばれるものが見つかっています。

石器の接合・復元

写真:接合した石器 接合した石器

旧石器時代にはシルト岩と呼ばれる石を打ち欠き、ナイフのような形の石器を作りました。長者屋敷遺跡では石器を作った場所が数個所見つかっています。石器の破片を接合することにより、石器を作る工程や、当時の人々の技術を知ることができます。

実測・拓本

写真:縄文土器の拓本 縄文土器の拓本

写真では表現できない石器や土器を実測や拓本によって図化します。長者屋敷遺跡の整理では縄文土器の文様を写しとるため拓本をとりました。土器の表面には竹・木やひもなどの道具を使った様々な文様がつけられます。押型文土器には山形や楕円形の文様が見られます。

現在、整理作業は進行中です。今後、残りの作業を進め、平成20年3月には遺跡の様子をまとめた発掘調査報告書の刊行をします。発掘調査の時には不明だったことを次第に解き明かしていきます。

思わず人に話したくなる磐田の文化財

第15回:土器塚(かわらけづか)古墳編

写真:古墳遠景(南から) 古墳遠景(南から)

今回は土器塚古墳(中泉・国府台)を紹介します。
土器塚古墳は平成14年12月10日に静岡県の史跡に指定されました。

住宅地に残る古墳

写真:古墳周辺図 上:古墳周辺図
下:古墳平面図
写真:古墳平面図

磐田西高校の東側の住宅街の中に古墳が1基残されています。これが土器塚古墳です。

市街地にも関わらず、墳丘がほとんど改変されることなく残っている珍しい古墳です。南側と西側からは、きれいな墳丘を見ることができます。

発掘で分かったこと

平成12年度に行われた発掘調査の結果、古墳は直径約36m、高さ約5mの円墳であることが分かりました。
周囲には幅7m、深さ1m程度のほり濠が巡っています。中心部からは遺体を葬った場所が見つかりました。長さ8m、幅1m程度の東西方向の穴にひつぎ棺を納めたものと推定されます。

遺物として、くだ管たま玉と鉄製のよろい鎧の破片が出土しました。鎧の破片から、5世紀前半(古墳時代中期)に造られた古墳であることが分かりました。

写真:「かわらけ」 「かわらけ」 “かわらけ”塚

伝説によれば、桓武天皇の皇子と伝えられるかい戒じょう成おうじ皇子がこの地に住んでいて、食事のたびに使った器を捨てた場所がこの古墳であるといわれています。土器塚古墳の名前はこの伝説に由来します。

「かわらけ」とは粘土で造った素焼きのうつわのことです。

小さな博物館(7~9月)加茂東原(1)遺跡(その2)

市役所市民ホールの「小さな博物館」の展示品が7月3日から変わります。
前回に引き続き加茂東原Ⅰ遺跡を紹介します。この遺跡は、磐田原台地にある弥生時代後期(約1,700年前)のムラの跡です。市内には御殿・二之宮遺跡など弥生時代のムラが約10カ所確認されていますが、加茂東原Ⅰ遺跡からは、大量の弥生土器が発見されており、土器の数からも大きなムラであったことがうかがえます。

  • 写真:土器が重なりあって出土しています土器が重なりあって出土しています
  • 写真:壷形土器壷形土器
  • 写真:たかつき高坏形土器たかつき高坏形土器

コラム -「たかみ」の現場から- 竹内直文

写真:正方形にあぜを残して掘り下げています 正方形にあぜを残して掘り下げています
写真:礫の周辺を掘り下げています 礫の周辺を掘り下げています

豊田地区の高見丘で今年の1月から始まった高見丘遺跡群の発掘調査も、6月から作業員150名体制となって本格的になってきました。担当の私たち「たかみチーム」のメンバーも作業員たちも、既に真っ黒に日焼けしています。

高見丘遺跡群は、いまから1万数千年前の旧石器時代の遺跡です。旧石器時代は、土器がない時代で、石器や調理に使ったと推定される礫しか見つからないため、かなり単調な作業です。それでも、石器が見つかるたびに歓声があがり、楽しんで作業をしています。

この高見丘遺跡群の発掘調査の成果については、いろいろな機会を通じて市民の皆さんに知っていただこうと思っていますので、ご期待ください。

編集後記

今回取り上げた加茂東原Ⅰ遺跡からは、多種多様な土器が出土しています。土器作りは簡単そうですが意外と難しく、失敗作もかなりあったと思います。ここのご先祖様たちは、いったいいくつの土器を作ったのでしょうか。(ひ)

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