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磐田文化財だより 第22号

遠江国分寺跡の発掘調査から

写真:南側から見た発掘調査地 南側から見た発掘調査地

国の特別史跡・遠江国分寺跡の発掘調査を9月下旬から行っています。今年度は本尊が置かれた金堂跡と回廊跡の一部の調査を実施しています。昭和26年以来、55年ぶりの発掘調査の概要を紹介します。

調査は、昭和26年の調査を再確認するため、最初に金堂跡の石階(いしかい)を掘り出しました。この石階は3段分あり、本来は7段と推定されています。昭和29年度に三和土(たたき)で補強され、覆屋(おおいや)が建てられましたが、昭和40年代の史跡公園工事の際に遺構の保護のために埋め戻されました。その覆屋のコンクリートの基礎も“出土”しています。

多量の瓦が出土

今回新たに次のようなことが明らかとなりました。

  1. 金堂跡の周辺からは赤く焼けた多量の瓦が出土していて、金堂が火災にあったことが確認されました。
  2. 基壇(きだん)(建物の土台部分)は土を交互に積み上げて造られ、その縁に幅3cmほどの炭化物(炭)が残っていました。このため、基壇の縁は金堂が火災にあった時点では、石積みや瓦積みなどではなく、木の板で囲まれていたことがわかりました。
  3. 回廊跡からは礎石が2つ見つかっています。基壇のようすから、礎石は創建時ではなく、建て替え時のものであること、また、回廊は金堂より後に建てられたことがわかりました。
  • 写真:金堂跡の北西隅と板状炭化物 金堂跡の北西隅と板状炭化物
  • 写真:瓦の掘り出し作業のようす 瓦の掘り出し作業のようす

思わず人に話したくなる磐田の文化財

第21回 堂絹本着色釈迦十六善神画像編

今回は絹本着色釈迦十六善神画像を紹介します。絹本着色釈迦十六善神画像は昭和57年2月に静岡県の文化財(絵画)に指定されました。

釈迦十六善神画像とは?

写真:絹本着色釈迦十六善神画像 絹本着色釈迦十六善神画像

豊浜中野の白山神社には、絹本着色釈迦十六善神画像と呼ばれる絵画が所蔵されています。同様のものは日本各地にありますが、この画像は特に貴重なものとして、県の指定文化財になっています。

絹本着色・・と難しそうな名前が付けられていますが、「絹の布に多色で描かれた釈迦三尊と十六善神の画像」という意味です。大きさは縦107cm・横56cmで、掛け軸の形になっており、今から約700年前の鎌倉時代後期に作られました。

この画像には、左右に文殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)菩薩を従えた釈迦や、般若経(はんにゃきょう)を読んで覚える者を守護する 深沙大将(じんじゃだいしょう)などの十六の夜叉神(荒々しく恐ろしい神)が描かれています。 大般若経(あらゆる現象や存在には実体がなく空であることを説く)を訳した人で、『西遊記』で有名な三蔵法師こと玄奘(げんじょう)の姿も見られます。

神社に仏?

写真:祭りのようす 祭りのようす

ところで、「何で仏教の絵画が神社にあるの?」と不思議に思われるかもしれません。実は、江戸時代までは、神社と寺が同じ境内に建てられるなど、本来は別な宗教である神道と仏教の一体化をはかった 神仏習合という思想がありました。

白山神社には、こうした神仏習合の名残を今に伝えるもので、五穀豊穣・家内安全などを願い、毎年1月10日に行われる「盛松祭」(別名十日祭)があります。禊(みそぎ)をして体を清めた三人の盛松(結婚前の青年)が、この画像や大般若経文、牛王宝印(厄除けの護符)が納められた、三つの箱をそれぞれ捧げ持って地区内を廻り、新年の出発を祈願する、という珍しいお祭りです。

これら三つの物の内、牛王宝印は、神社や寺から出された守り札で、中世以降、裏側に 起請文(きしょうもん)を書く用紙として、広く使用されていたものです。特に和歌山県にある熊野三山で出されたものが有名です。

小さな博物館(1~3月)銅鐸

写真:弥生時代を代表する青銅器 銅鐸 銅鐸は弥生時代を代表する青銅器で、まつりの道具として使われていました。大きさは20cm前後のものから100cmを越える大型品まであります。

銅鐸は内側に舌(ぜつ)という棒を下げて、振ることによって音を出して使われていましたが、次第に大型化し、音を出す道具からシンボルとして見る道具として扱われるようになりました。

市内出土の銅鐸は旧豊岡村の敷地地内、天竜浜名湖鉄道敷地駅の西方に位置する西の谷遺跡から3個発見されています。

最初の発見は明治23年に地元の人が山芋掘りに出かけたときに偶然2個発見されたといわれています。3個目の銅鐸は、平成12年に第二東名高速道路建設に際しての発掘調査で発見されました。天竜川より東では西の谷遺跡のほか、掛川市の長谷(ながや)から1個出土しており、磐田は出土分布域の最も東の地域に含まれます。

西の谷遺跡から出土した銅鐸は、敷地周辺にあったムラのまつりに使われただけでなく、広範囲にあったムラにおいても使われた共同のまつりの道具であった可能性があります。

コラム -「欧米か!」- 鈴木美和

文化財課では、市内の遺跡、古墳、天然記念物などを定期的に巡回し、危険なところがないかを点検しています。豊岡から竜洋、福田を廻るとちょっとしたドライブになります。30年・・いや40年近く磐田市に住んでいますが、まだまだ知らないところばかりでお恥ずかしい限りです。ある日の巡回では、見付の町が一望できる愛宕山に感動し、またある日には「こんなところに防空壕!?」と、道中は本当に驚きばかりです。まだまだ他にも磐田には素晴らしい歴史の遺産があります。

ジーンズもハンバーガーも良いですが、最近テレビで流行の「欧米か!」ではなく、皆さんもっともっと日本、いや「磐田」の歴史にも触れてみてはいかがですか。きっと日本人でよかったと実感できるはずですよ。

編集後記

新年あけましておめでとうございます。今年も面白く?皆さんに少しでも文化財に興味をもっていただけるようなだよりを作っていきたいと思いますので、今年も文化財だよりをよろしくお願いします (ひ)

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