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磐田文化財だより 第23号

企画展「和鏡(わきょう)-渡邊晁啓(ともひろ)コレクションII-」開催

写真:南側から見た発掘調査地 南側から見た発掘調査地

鏡のはじまり

写真:双竹柄鏡双竹柄鏡

鏡の起源は古く、鏡が初めて作られたのは今から約3,000年前の中国です。当時、使われていた青銅器(せいどうき)の模様を取り入れたもので、中国・戦国(せんごく)時代(紀元前403~前221)になり多く作られるようになります。この時代の鏡は、戦国式と呼ばれ、薄く加工した青銅の片面を磨きあげ鏡面とし、背面に様々な模様を施しました。

中国・漢(かん)の時代(紀元前(きげんぜん)206~後220)に作られた鏡(漢鏡)は、日本をはじめアジア周辺に持ち運ばれました。日本には、弥生時代ごろに中国や朝鮮から持ち込まれ、これらを模倣した鏡も作られました。鏡は姿を映す実用品ではなく、神聖なもの、権力の象徴として使われていました。

「和鏡」とは

日本で作られた鏡のうち和風の様式が取り入れられた平安時代から江戸時代にかけての鏡を「和鏡」と呼びます。

和鏡が登場する平安時代は、遣唐使(けんとうし)が廃止されるなど政治的・社会的要因から、国風(こくふう)文化が生まれ、鏡も中国の影響を受けたものから、松、菊、鶴、雀などの和風の図柄を取り入れたものに変化していきました。当時の鏡は経塚(きょうづか)や墓に納められたり、寺社などで宗教的な道具として使われたりするなど、まだ一部の人たちが使う道具でした。

平安・鎌倉時代の鏡の形は円形が中心で、室町時代になると円鏡に柄をつけた柄鏡(えかがみ)が作られるようになりました。江戸時代になると柄鏡が主流となり、化粧道具として広く一般庶民に使われ、髷(まげ)など髪型の変化とともに鏡面も次第に大型化していきました。 金堂跡の周辺からは赤く焼けた多量の瓦が出土していて、金堂が火災にあったことが確認されました。

和鏡の図柄

鏡の姿を映す面の反対面を「鏡背(きょうはい)」と呼びます。鏡背にはさまざまな動物や植物などが描かれていますが、何が描かれているか探しながら鏡を鑑賞してみてはいかがですか。

  • 写真:鶴
  • 写真:扇
  • 写真:亀
  • 写真:松
  • 写真:竹
  • 写真:梅

企画展「和鏡 -渡邊晁啓コレクションII‐」

日時: 平成19年2月3日(土)~2月18日(日) 9:30~17:30
月曜日休館(2月5日・12日) 会場: 豊田図書館1階展示室(磐田市上新屋304)

思わず人に話したくなる磐田の文化財

第22回 鰐口(わにぐち)編

写真:鰐口 鰐口

今回は市内豊浜(大島観音堂)にある鰐口を紹介します。
もともと大安寺にあったこの鰐口は昭和31年10月に静岡県の文化財(工芸品)に指定されました。

ワニの口? 鰐口とは?

ワニの口?

鰐口は神社や寺院の拝殿(はいでん)・堂の前面の高い所に吊るされており、参詣者は綱を振って鰐口を鳴らします。円形で中が空洞になっており、下側に縁のついた大きな口が開いています。鰐口は打金(うちがね)、金鼓(こんく)とも呼ばれます。

「ワニ」?それとも「サメ」?

鰐口は下側の口が鰐の口に似ているから鰐口と名付けられたといわれていますが、鰐口の鰐という漢字はハ虫類の「ワニ」を意味します。日本には在来種としてのワニはいませんが、昔の日本にはワニがいたのでしょうか?

江戸時代の百科事典「和漢三才図会(わかんさんさいずえ)」に鰐口は「鰐の口に似ているため鰐口と名づけた」と、鰐については、「蜥蜴(とかげ)に似て大きく…、人を襲う」と記載されていることから、江戸時代にはワニについて知られていたようです。

また、海の神様である金毘羅(こんぴら)(宮毘羅(くびら)とも言う:薬師如来(やくしにょらい)十二神将の一つ)はもともとインドの神様クンビーラに由来するようですが、クンビーラはサンスクリット語で「ワニ」を意味するようです。 日本最古の歴史書の古事記(こじき)にも和邇(わに)という言葉が見られ、「わに」という言葉は古くから使われていたようです。皆さんご存知の神話「因幡(いなば)の白兎(うさぎ)」にも和邇が登場します。 しかし、こちらの和邇は諸説いろいろありますが、サメとも考えられており、山陰地方ではサメのことを「わに」と呼ぶようです。

鰐口の銘が初めてみられるのは鎌倉時代で、実際鰐口の鰐はどちらを意味するのかわかりませんが「ワニ」も「サメ」も大きな口をしているのはまちがいありません。

静岡県で5番目

静岡県内には現在、県指定文化財の鰐口が26口あり、そのうち最も古いのが、静岡市一渓寺(いっけいじ)の正安(しょうあん)4年(1302)の年号が刻まれたものです。大島観音堂にある鰐口には延文(えんぶん)5年(1360)の年号が刻まれています。県内でも5番目に古いものになります。

  1. 一溪寺(静岡市) 正安4年(1302)
  2. 飯室乃(いいむろの)神社(牧之原市) 文保(ぶんぽ)3年(1319)
  3. 普照寺(ふしょうじ)(南伊豆町) 元応(げんおう)2年(1320)
  4. 智者山(ちじゃさん)神社(川根本町) 貞和(じょうわ)3年(1347)
  5. 大島観音堂(磐田市) 延文5年(1360)

第1回神谷みつ人形展を開催中

写真:三番叟 三番叟

現在、「第2回神谷みつ人形展」を旧赤松記念館で開催しています。企画展では神谷みつ氏が制作し、昭和58年に市へご寄贈いただいた「さくら人形」を展示しています。

神谷みつ氏は約40年もの間人形制作に打ち込まれ、人形制作以外に文学や美術にも造詣が深く、画家の平野竹逸(ちくいつ)氏などとも交流をもっていました。
今回展示している「さくら人形」とは、布製(ぬのせい)の顔をもった人形であり、木彫(きぼり)人形作家の小松(こまつ)康(やす)城(しろ)氏(1915~1979)が昭和初期に創始したものです。人形は日本古来の伝統的な美しさと新しいセンスを併せ持ち、当時多くの人に親しまれました。髪型やポーズも自由な形に作ることができ、衣装や小道具なども好みのものが選べるので、作者の個性や工夫が生かしやすいものでした。

写真の人形は三番叟(さんばそう)叟と名付けられており、歌舞伎の「三番叟物(さんばそうもの)」を題材としています。このほかにも「黒田(くろだ)節(ぶし)」や「お七」など、謡曲(ようきょく)・芝居などを題材にしたものが数多くあります。
企画展は3月11日まで開催しておりますので、ぜひ一度ご覧下さい。(旧赤松家記念館休館日:月曜日・祝日の翌日)

コラム -「国分寺の瓦」- 神谷英雄

先月の文化財だよりの特集でも紹介しましたが、現在遠江国分寺跡の発掘調査を行っています。
今年度の調査は2月で終了しますが、現在金堂(こんどう)跡の調査を行っています。以前、年配の方たちにお話を伺った時、「昔は国分寺跡地に瓦がゴロゴロいっぱい転がっていたよ」なんてお話を聞いていましたが、現場にいってビックリ!本当に瓦がどっさり出土しています。瓦というと私はどうしても灰色の瓦をイメージしてしまうのですが、ここで出土している瓦は白や茶やもちろん灰色など色とりどりです。なぜこんなに色が違うのかといえば、窯での焼き具合が均一ではないため、瓦の色が違ってしまうということです。

国分寺といえば統一された色のきれいな屋根を勝手にイメージしていましたが、当時の屋根はパッチワークみたいだったのでしょうか。

編集後記

特集で紹介しました和鏡展が2月3日から豊田図書館で開催されます。2週間と期間は短いですが、ほかではなかなか見ることができない鏡のコレクションですので、ぜひ皆さん一度会場に訪れてみてください。(ひ)

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