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磐田文化財だより 第24号

速報!!高見丘(たかみがおか)遺跡群の調査報告

写真:発掘調査のようす発掘調査のようす

東名高速道路の遠州豊田パーキングエリアのすぐ北側の高見丘地内で、平成18年1月から開発に伴い発掘調査を行っています。臨時職員数が常時100名を超すという大規模な調査体制を組み、これまで発掘した面積は甲子園球場より広い4万m2以上に及びます。

高見丘遺跡群から発見された出土品のほとんどは磐田原台地で最初に人が住み始めた後期 旧石器 ( きゅうせっき ) 時代(約3万5千年~1万年前)のものです。

これまでに確認できたものとして、石蒸し焼き料理をした施設である 礫群 ( れきぐん ) (火を受けて赤くなった 拳 ( こぶし ) より大きい礫の集まり)、調理場や作業場とされる 配石 ( はいせき ) (子供の頭ほどの大きさの重い石)がそれぞれ200基以上見つかっています。この他にも食料を貯蔵するための 土坑 ( どこう ) (大きな穴)も発見されています。旧石器人の食事風景はどのようなものだったのでしょうか?

また、出土品は鹿児島湾の 姶良 ( あいら ) カルデラが約2万2千年前に噴出した火山灰を含む土壌より上で見つかっていることから、磐田原台地にはこの噴火の少し後から人が住み始めたと考えられます。(本号のコラムを参照)。

  • 写真:礫群 礫群
  • 写真:配石 配石

石器がいっぱい

石器はこれまでに4,000点以上が見つかっており、50ヶ所近く確認された石器製作跡などから出土しています。石器の種類としては狩猟に関係するものが多く、獲物に突き刺す槍、または、骨を削ったり肉を切断したりする道具などとして使われたナイフ形石器が多いことが特徴です。また、獣の皮をなめすための 掻器 ( そうき ) もあります。

石材はほとんど天竜川で拾われたシルト岩( 頁岩 ( けつがん ) の一種)が利用されていますが、ごくまれに 黒曜石 ( こくようせき ) が発見されます。この石ははるか長野県方面から持ち運ばれたものと考えられ、旧石器時代の流通活動の一端をうかがうことができます。

  • 写真:ナイフ形石器(赤い部分の長さ5cm) ナイフ形石器 (赤い部分の長さ5cm)
  • 写真:黒曜石 黒曜石

このように高見丘遺跡群で確認されたたくさんの遺構・遺物は、私たちが暮らす磐田に人が住み始めたころの人々の暮らしぶりを解明する貴重な資料になります。

発掘調査は平成19年3月末で終了し、来年度からは出土品の整理作業に入っていきます。今後の整理作業で明らかになってきたことについては、また文化財だより等で皆さんに報告していきます。

思わず人に話したくなる磐田の文化財

最終回市指定・登録文化財編

市内には多くの歴史遺産が所在しています。その中でも特に重要な国・県の指定文化財をこの項で連載してきましたが、今回で最終回となります。市内にはこれまで紹介した国・県以外に市指定文化財が124件指定され、国の登録文化財が1件、市の登録文化財が1件登録されています。

磐田市の指定文化財には何があるの?

磐田の歴史や文化・風土を考える上で国・県の指定を受けていない重要な文化財を市指定文化財としています。中泉御殿の表門などの建造物、徳川家康に関連する古文書などの歴史資料、仏像などの彫刻、絵画・工芸品、古墳などから出土した考古資料、 阿多古山一里塚 ( あたごさんいちりづか ) などの史跡、 加茂大念仏 ( かもだいねんぶつ ) 、八王子神社の米とぎまつりなどの無形民俗文化財、名勝、天然記念物などからなります。

  • 写真:中泉御殿表門(西光寺)中泉御殿表門(西光寺)
  • 写真:木造閻魔大王坐像(連福寺)木造閻魔大王坐像
    (えんまだいおうざぞう)(連福寺)
  • 写真:土器(奈良~平安時代) 加茂大念仏
登録有形文化財とは?

登録有形文化財は、開発や生活様式の変化などにより、消滅の危機にさらされている歴史的文化財や建造物を守る制度です。これは従来の指定制度(重要なものを厳選し、許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)に比べ緩やかな保護措置を講じる制度で、国の文化財登録原簿に記載されます。また、磐田市にとって特に必要な歴史的建造物については、市の登録有形文化財にしています。現在までに静岡県立磐田農業高等学校記念館が国の、栗田家土蔵群が市の登録有形文化財に登録されています。

  • 写真:磐田農業高等学校記念館 磐田農業高等学校記念館
  • 写真:栗田家土蔵群(見付) 栗田家土蔵群(見付)

地域史編さん室だより 竜洋町史資料編I(原始・古代・中世・近世)まもなく発刊です

写真:竜洋町史資料編I 竜洋町史資料編I

平成13年から始まった竜洋町史編さん事業、この3月にいよいよ3冊目の「資料編I」が刊行されることになりました。 この資料編Iには、原始時代から近世までの竜洋地域にまつわる資料およそ450点を掲載しました。600ページに及ぶ本編のほか、竜洋地域に残っていた絵地図10点を復元し付録として添付します。

本編には、奈良県 大和郡山 ( やまとこおりやま ) 市や三重県伊勢市の古文書なども収録されています。竜洋地域の資料が火災や水害などによってほとんど失われているため、竜洋地域の歴史を知るためには、他地域の資料に頼らざるを得ないという状況を改めて痛感しました。

今後、竜洋町史最後の「通史編」の発刊を平成21年3月に計画しています。通史編の発刊に向けて資料収集など皆様のご協力をお願い申し上げます。

なお、竜洋町史資料編I(原始・古代・中世・近世)は、1冊5,000円で、文化財課(埋蔵文化財センター)、地域史編さん室(竜洋支所内)、竜洋公民館(なぎの木会館)で販売いたします

コラム 土層は自然の履歴書だ!-「磐田の火山灰」-佐口節司

磐田原台地は約13万年前の古天竜川によって造られた基盤層の上に、風によって運ばれた天竜川平野の 砂塵 ( さじん ) が 堆積 ( たいせき ) してできたと言われています。この土層中に遠方から運ばれた火山灰が含まれていることをご存知でしょうか。

有名な火山灰には22,000年前に噴出したとされる 姶良丹沢 ( あいらたんざわ ) 火山灰があります。これは鹿児島湾にある海底火山で、桜島はその 外輪山 ( がいりんざん ) にあたり、鹿児島県では100mを超えるシラス台地を造りました。噴出した火山灰は関東地方や2000km以上離れた太平洋の海底からも見つかっているそうです。また、韓国の 鬱陵島 ( (韓国語読:ウルルンド) ) ( 鬱陵隠岐 ( うつりょうおき ) 火山灰・9,300年前)や富士山(大沢スコリア・2,700年前)、伊豆天城山(カワゴ 平 ( だいら ) 軽石・2,900年前)、南九州の薩摩 硫黄 ( いおう ) 島付近の海底火山( 鬼界 ( きかい ) アカホヤ火山灰・6,300年前)を供給源とした火山灰も検出されています。

噴火は人々の生活を大きく左右した大災害です。こうした災害とは無縁そうな磐田にも噴火の痕跡を知ることができます。土層は自然災害の履歴書と言い替えることができるのではないでしょうか。

編集後記

今回火山灰や土の話がチラホラでましたが、発掘調査で地層の断面を見ると土の堆積具合がはっきりとわかります。そこからいろいろな歴史が解明されるのですが、まだまだ勉強不足の私には何がなんだかさっぱり・・・(ひ)

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