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磐田文化財だより 第28号

訪問歴史教室を紹介します

写真:4月19日 豊田北部小学校でのようす 4月19日 豊田北部小学校でのようす

訪問歴史教室とは

写真:土器の底はどんな模様かな? 土器の底はどんな模様かな?

文化財課では、依頼のあった市内小・中学校へ職員が出向いて、歴史教室を行っています。所要時間は希望に応じて60~120分程度です。昨年度は、小・中学校6件、延べ426人の利用がありました。

学ぼう、磐田の歴史

前半は、磐田に人が住み始めた旧石器時代(今から約22,000年前)から、磐田に遠江国分寺が造られた奈良時代(今から約1,300年前)までの歴史を、遺跡から出土した石器や土器、瓦などを使って解説します。児童のみなさんに、実物に間近で見て触れてもらう良い機会にもなっています。歴史をより身近に感じ、ふるさと磐田への愛着を育(はぐく)んでもらうきっかけになれば、と思っています。

  • 写真:熱心に聞き入る子どもたち熱心に聞き入る子どもたち
  • 写真:土器や石器に触ってみよう 土器や石器に触ってみよう

古代のくらしを体験

後半は、実際に古代人のくらしの一部を体験してもらいます。獲物(えもの)の狩りをして、その調理をするという設定で、弓矢と火起こしの体験を行っています。 弓矢体験ではダンボールに描かれたシカやウサギなどの動物を仕留(しと)めます。なかなか的に当てるのは難しいですが、慣れてくると見事に命中させる子もいます。

火起こし体験では、火きり臼(うす)のくぼみに差し込んだ棒を高速回転させ、摩擦によって火種(ひだね)をつくります。なかなか骨の折れる作業で、チームワークが大切です。

こうした体験を通して、昔の人たちがどんなふうに暮らしていたのかを想像することができます。

  • 写真:ねらいをさだめて・・・ねらいをさだめて・・・
  • 写真:「火を起こすのって大変だったのね」 「火を起こすのって大変だったのね」

文化財課の普及・啓発活動

文化財課では、小・中学生を対象に、歴史訪問教室以外にも、埋蔵文化財センターの見学や総合的な学習の支援を行っています。また、一般の方々の埋蔵文化財センター見学(館内の説明は団体の方のみ。要事前申込)や、歴史講座への講師派遣も行っていますので、ご活用下さい。

もっともっと知りたい磐田の歴史

第3回 寺谷用水編

初夏の田植えシーズンになると、寺谷用水には水が満ち、さわやかな風景を見ることができます。今回はこの寺谷用水の歴史についてご紹介します。

  • 写真:寺谷用水と功労者供養塔(加茂地区) 寺谷用水と功労者供養塔(加茂地区)
  • 写真:大円寺にある平野重定の墓所(加茂地区) 大円寺にある平野重定の墓所(加茂地区)
  • 写真:寺谷用水完成400年碑(左)と寺谷用水取り入れ口址碑(右)(寺谷地区) 寺谷用水完成400年碑(左)と
    寺谷用水取り入れ口址碑(右)(寺谷地区)

寺谷用水とは?

寺谷用水の名前の由来は、天竜川からの最初の取り入れ口が寺谷地内に設けられたことからですが、最終的には豊岡地区上野部(かみのべ)から磐田地区浜部(はまべ)までの24キロにわたって作られた長大な用水路です。

寺谷用水の父・平野重定

寺谷用水は、天正16年(1588)に徳川家康の重臣であった伊奈(いな)備前守(びぜんのかみ)忠次(ただつぐ)の命を受け、その配下であった平野(ひらの)三郎右衛門(さぶろううえもん)重定(しげさだ)の指揮で作られ、天竜川の小さな支流であったものを用水として改修・整備したものです。

平野重定は美濃国(現在の岐阜県)出身で、はじめ今川家に仕え、次いで徳川家の家臣となった人物です。豊田地区にあった加茂村に住まいがあり、用水開通後も江戸時代初めの幕府領を管理する代官となり、現在も大円寺に墓が残っています。工事に関する資料は残っていませんが、当初の3年間で掘りあげた12キロの堀だけでも、その労苦がしのばれます。堀は「大井堀」と呼ばれ、豊田地区の「井通村」の名前の由来ともなっています。地元の人たちからはこれがなまって「おいぼ」と親しみをこめて呼ばれています。

用水の恵み

この大土木工事によって、当時流域にあった73ヶ村・20平方キロメートルの土地が開発され、多くの農作物が収穫できるようになりました。用水は現在も使われており、寺谷取水口の跡地の近くには記念碑が建っています。大正6年(1917)に作られた豊岡地区・神田の取水口は今も残っています。

昭和19年(1944)には磐田用水と名づけられた近代的な用水の整備によって飛躍的に発展しました。しかしその後も寺谷用水は地元の人たちに親しまれ続け、欠くことができない「水」になっています。

小さな博物館(7~9月) 須恵器

市役所市民ホールの「小さな博物館」の展示品が7月から変わります。

写真:いろいろな形をした「はそう」 いろいろな形をした「はそう」

須恵器は青灰色に硬く焼きしまった土器で、5世紀前半に朝鮮半島から伝わった技術を用いたやきものをいいます。それまでの日本には縄文土器や弥生土器などの野焼きで焼いた素焼きの土器しかありませんでした。

須恵器とそれまでの土器が異なっている点は、ろくろによる成形と野焼きではなく 窯 ( かま ) を使うことにより1,000度以上の高温で安定して焼くことができるようになった点です。

種類は 壺 ( つぼ ) ・ 甕 ( かめ ) ・ 瓶 ( へい ) ・ 高杯 ( たかつき ) など多種多様なものがありますが、上の写真は「はそう」と呼ばれるものです。酒を注ぐための器で、体部にあけられた穴に木製の注ぎ口を付けて用いられたと考えられています。市内の古墳からも多くの「はそう」が出土していますが、同じ「はそう」でもそれぞれ形の違いがあり、作り手の技術や時代の 変遷 ( へんせん ) が 窺 ( うかが ) えます。

コラム 民具は今!! 木村弘之

写真:展示中の民具 展示中の民具 (旧見付学校 3 階にて)

磐田市ではこれまで民具を収集し、数多くの民具を保管・収蔵しています。「民具」とは耳慣れない言葉ですが、日常生活の中で使用した手作りの生活用具をいいます。現在、磐南5市町村合併により同じ民具が幾重にもあるというのが実状です。

磐田市の場合、 海浜 ( かいひん ) ・ 川辺 ( かわべ ) ・ 山間 ( やまあい ) という地形条件にあるため、当然、生活用具に違いが見られるはずです。現在、その差を見出すため旧市町村の民具を一覧する作業を進めています。特徴が見出される民具を抽出、取捨選択することで「磐田市の民具」として今後紹介できるのではないかと考えています。

さて、豊田地区では旧町時代から民俗学の竹折氏、郷土史家の飯田・門奈両氏の三氏に民具調査を依頼し、現在も引き続き当課で調査をお願いしているところですが、今年度で作業の一応の目途が立ちます。今後は台帳整理を実施していきますが、この機に市民の皆さんにその成果を見ていただこうと豊田地区において来年度展示公開を計画しています。民具についての理解を深め、また他地区にも順次展開、浸透させていくのが目的です。

旧見付学校3階展示室では、このような民具が皆さんの来館をお待ちしております。日本最古の擬洋風学校舎、旧見付学校へお越しください。

編集後記

いよいよ夏本番が間近になってきました。文化財課恒例の夏の展示会の準備が着々と進んでいます。今年もかなり見ごたえのある展示物が並ぶ予定です。ぜひ図書館展示室へ足を運んでください。詳しくは次月号でお知らせします。

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