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磐田文化財だより 第31号

古きよき掛塚の町並みをながめつつ・・・
掛塚祭屋台をじっくりと見学してみませんか!!

―文化財クローズアップ『無形民俗文化財の伝承とまちづくり』開催―

写真:掛塚祭屋台

今年も掛塚屋台祭りの季節となりました。今年の祭りは10月20日(土)・21日(日)に行われます。これに併せて、静岡県教育委員会の主催で毎年秋に行われる『文化財ウィーク』の行事の一つとして、「文化財クローズアップ」という事業が、掛塚まつりの1週間後の10月27日(土)に、磐田市を会場として開催されます。

この文化財クローズアップ事業は、実際に文化財を現地で見て、文化財と共生する現代の生活のあり方を考えようというものです。

当日は、掛塚の町並み見学に合わせて、掛塚まつりの屋台を特別に見学することができます。午後は、竜洋公民館(なぎの木会館)で、「掛塚祭屋台囃子」の演奏やシンポジウムが開催されます。みなさん、ぜひ、お出かけください。

  • 写真:廻船問屋 廻船問屋
  • 写真:旧掛塚郵便局旧掛塚郵便局 見どころ紹介

<貴船神社>

繁栄した掛塚湊の鎮守(ちんじゅ)として廻船(かいせん)業者の崇敬(すうけい)を集めました。明治30年奉納の西洋型帆船の模型などを見学します。

<廻船問屋>

掛塚湊の廻船問屋である遠州屋、中屋、川口屋の外観を見学。今も、往時をしのばせる外観が残ります。

<つるや>

元造り酒屋。懐かしい木製の酒類看板が多数残る店舗で、今も酒類を商っています。

<旧掛塚郵便局>

明治6年の開局。現在残る局舎は、昭和10年時の建築。

<掛塚祭屋台>

本町・砂町・大当町屋台を見学します。掛塚湊の繁栄(はんえい)を今に伝える豪華絢爛(ごうかけんらん)な屋台。大当町屋台は、寛政年間の作と伝えられます。

文化財クローズアップ「無形民俗文化財の伝承とまちづくり」

  1. 主催 静岡県教育委員会 磐田市教育委員会
  2. 期日 平成19年10月27日(土)
  3. 参加費 資料代 100円
  4. 日程等
    1. (1) 町並み見学(掛塚地区)
      1. 受付 9:00~ 9:45 JR東海道本線豊田町駅及び貴船神社境内
      2. 見学 10:00~11:30
      3. 見学場所 貴船神社、屋台(掛塚本町・掛塚砂町・掛塚大当町)、旧廻船問屋(川口屋・遠州屋・中屋)、旧酒造業者(つるや)、旧掛塚郵便局 4.バス利用料 (豊田町駅⇔掛塚,竜洋公民館)500円
      4. 定員 100名
      5. 申込・問合せ 〒420-8601 静岡市葵区追手町 9-6
        静岡県教育委員会文化課 電話054(221)3183
    2. お囃子披露とシンポジウム(竜洋公民館・なぎの木会館大ホール)
      1. .受付 12:30~13:00 竜洋公民館
      2. プログラム 13:15~14:10 祭囃子ビデオ上映と掛塚祭屋台囃子披露 14:30~16:00 シンポジウム
        「今に生きる掛塚の町並みと屋台囃子」 パネラー
        建部恭宣(たてべやすのぶ)(県文化財保護審議委員)
        松田香代子(愛知大学非常勤講師)ほか

もっともっと知りたい磐田の歴史

第6回 元島遺跡 編

元島遺跡は、太田川下流に位置します。河川改修のため、県教育委員会によって平成6年から発掘調査が行われました。遠州灘に近いこの地域では、あまり遺跡が確認されておらず、本格的な発掘調査は、初めてのことでした。この大規模な発掘調査により、約2千年前から人が住んでいたことがわかりました。そして、もう一つの大きな成果としては、約400年間続いた中世の集落が姿を現したことがあげられます。

物流センター

写真:北から望む元島遺跡と遠州灘 北から望む元島遺跡と遠州灘
(現在の太田川は中世とは別ルートです)

中世の元島周辺は湿地に囲まれており、旧原野谷(はらのや)川によって遠州灘に臨む湊と結ばれていました。一方、太田川や今之浦を伝い、見付にあった国府(こくふ)(現在の県庁に相当)、東海道の宿(しゅく)などへも通じていました。この二つのルートを水路によってつないでいた元島遺跡は、まさに当時の物流センターだったのです。大量の瀬戸・常滑産陶器などは、その証拠となるものです。

姿をあらわした中世集落

写真:出土した中世の器 出土した中世の器
(各地から入ってきた鍋や茶碗などが見られます)

元島遺跡は、15世紀の後半に最盛期を迎えます。生活の場と、物資を保管する場が水路によって明確に区別され、さながら計画的に造られたようでした。また、鍛冶(かじ)に関連した職人も住んでいたようで、戦国大名今川氏など有力者との関連をうかがうことができます。

出土品を見ると、漆(うるし)が塗られた木の器や中国産陶磁器(とうじき)などの高級品の他、土鍋(どなべ)や下駄(げた)、箸(はし)など私たちが見慣れた日常道具もあり、中世の人々の暮らしの一端が見えてきます。

しかし、江戸時代になると、この地域の代官であった伊奈忠次(いなただつぐ)による太田川改修のため、移転を余儀なくされました。こうして、かつて集落があった場所は「元島」と呼ばれるようになったのです。

小さな博物館(10~12月) 石器(せっき)

市役所市民ホールの「小さな博物館」の展示品が10月から変わります。

写真:遺跡から出土したナイフ形石器ほか 遺跡から出土したナイフ形石器ほか

石器は、石を材料として、それを加工し作られた道具です。
人類が石を打ち欠き、道具として使うようになったのは、今から約250万年前と考えられています。市内で確認される最も古い石器は、約2万2千年前のもので、この時代、人々は狩りを行い、植物や木の実を採取する生活をしていました。

市内では、寺谷(てらだに)遺跡、匂坂中(さぎさかなか)遺跡など磐田原台地上の旧石器時代の遺跡からいろいろな石器が数多く見つかっています。

遺跡から最も多く出土するのはナイフ形石器で、大きな石をたたき割ってはがした細長い剥片(はくへん)を素材に作られたものです。形がナイフに似ていることから名前がつけられました。肉を切ったり、棒の先端に取り付けて槍のように使ったりしました。

ほかにも、木の実などをつぶすたたき石や獣(けもの)の皮の裏側についた脂肪をそぎ落とすために使われた掻器(そうき)など、いろいろな石器があります。

~地域史編さん室だより~ 慶徳丸の航海メモから 嘱託 鈴木雄介

写真:見つかった航海メモ見つかった航海メモ
“慶徳丸88.02トン 掛塚湊船主杉山又重、
船長鈴木国吉丙種運転免状”

掛塚湊の最盛期は、明治19年(1886)から同28年(1895)の10年間であるといわれている。この10年間に掛塚で造られた船は80隻、出入りした船の数は大小合わせて年間1,480隻に達したといわれる。

慶徳丸もこの時期の船で、西洋型帆船であり、羅針盤を備えていたと思われる。このほど、この船の船長の航海メモが見つかった。このメモは明治27年から30年までの記録であり、停泊した湊が書かれている。この記録の一部を見ると、以下の通りである。

明治26年 6月 12日 掛塚出帆
14日 東京入港
18日 東京出帆
26日 勝浦入港(和歌山県)
30日 勝浦出帆
7月 6日 新宮入港(和歌山県)
9日 新宮出帆
10日 二木島入港(三重県)
18日 二木島出帆
21日 東京入港
28日 東京出帆
8月 11日 勝浦入港(和歌山県)
12日 勝浦出帆
16日 兵庫入港
25日 兵庫出帆
27日 牛窓入港(岡山県)
28日 丸亀(香川県)
30日 多度津(香川県)
9月 5日 佐賀関入港
9日 佐賀関出帆
10月 26日 二木島入港(三重県)
11月 1日 二木島出帆
11月 10日 東京入港
14日 東京出帆
20日 掛塚入港

掛塚を出帆して帰港するまで、5ヶ月どんな積荷で、どのような商取引をしていたか資料がないので分からないが、紀伊半島を周り、瀬戸内を通り九州まで航海していたことが新たに分かった。

編集後記

今年の掛塚まつりは10月20日・21日に行われます。秋の夜を彩る豪華な屋台を見にでかけませんか?27日には、掛塚のまちなみを散策し、屋台を間近で見ることができるイベントがありますので、こちらにもぜひ参加してください。

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