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磐田文化財だより 第34号

遠江国分寺跡発掘調査速報

遠江国分寺跡の再整備に必要な資料を得るための発掘調査を、昨年度に引き続き、8月から行っています。今回は、昨年度発掘した金堂(こんどう)(仏像を置いた建物)の一部を改めて調査しているほか、回廊や中門などの調査を行い、様々な発見がありましたので、そのあらましを紹介します。

金堂跡

写真:遠江国分寺跡伽藍配置図 遠江国分寺跡伽藍配置図

金堂跡は昨年度の調査で、火災にあって倒壊したこと、基壇(きだん)と呼ばれる建物があった土台の縁(周囲)が石や瓦などではなく、木の板で囲われていたこと、またその板にはヒノキやコウヤマキが使われていることがわかりました。

今回の調査では、建物の周辺から出土した瓦の一部を取上げて下の様子を調べました。その結果、縁の木の板だけでなく、その板を留めていた柱も、火災で燃えたときに柱があった位置で、そのまま炭になった状態で見つかりました。また、この柱は角材ではなく丸太が使われていること、約1.5m間隔で設置されていることがわかりました。

写真:金堂跡基壇の縁で見つかった柱 金堂跡基壇の縁で見つかった柱

(火災で焼けて黒くなっている) 回廊跡の排水路

写真:焼土や瓦がたまった排水路跡 焼土や瓦がたまった排水路跡

回廊跡で、回廊や金堂・中門に囲まれた内側にたまった水を流すための排水路の跡が見つかっています。断面がU字形の溝を掘り、木製の樋(とい)を埋め込んだ跡が残っていました。また、この排水路からは炭や焼土とともに瓦が出土していて、回廊も火災にあったことがわかりました。

回廊は、金堂と同じように建物を建てる前に地面を掘りくぼめ、土を交互に積んで叩きしめて基壇(土台)をつくっていることから、昭和26年の調査で推定した付近に回廊があったことはまちがいありません。しかし、耕作などの影響で建物の跡は、見つかっていません。
中門跡は耕作によって基壇の土が 削(けず)りとられていて、門そのものの痕跡は見つかりませんでした。

しかし、周辺からはたくさんの瓦が出土したほか、門の南西部分にあたると考えられるところから、東西に一直線に並んだ 柱穴(はしらあな)3基が見つかりました。この柱穴は、建築工事の際に使った足場の柱を埋め込んだ跡と思われます。足場は建物に近接して設置されるため、中門のおおよその位置がわかりました。また、足場穴の数や配置は門の柱と同じと考えられていることから、国分寺の建物の中心線で折り返すことにより、東西方向の柱が6本の門と推定されます。

  • 写真:周辺から瓦が多数出土した中門跡 周辺から瓦が多数出土した中門跡
  • 写真:足場と思われる柱穴足場と思われる柱穴

もっともっと知りたい磐田の歴史 第8回 池田の渡し編

『暴れ天竜』の流れ

写真:天竜川渡船場跡石碑 ▲天竜川渡船場跡石碑

豊田地区池田は天竜川の左岸に位置します。古くから天竜川の 渡船場(とせんば)として交通の要衝となっていました。古代から中世までの天竜川は、現在と違い台地のすぐ西側(現在よりも東)を流れていたことが紀行文などの記録からわかっています。

つまり、古代の池田地区は天竜川の右岸に位置していたのです。江戸時代になると、度重なる洪水から地区を守るために、河川改良が行われ、現在の流れとなりました。

徳川家康による渡船業の保護

写真:『遠州天竜池田渡船之事』文書 ▲『遠州天竜池田渡船之事』文書

元亀元年(1570)、徳川家康は、交通の要所をおさえるため、池田に渡船を独占させ、諸役の免除などの特権を与えて、船頭を保護しました。さらに、『旅人は渡し船が難渋しても船頭を殴ったりしてはいけない。もしなぐった場合は、事の軽い重いにかかわらず死罪とする』などの定書(さだめがき)を出しました。

それがこの『遠州天竜池田渡船之事』です。この文書は現在市指定文化財となっています。

徳川家康によって整備された東海道は、見付宿から中泉へ向かい、ここから西に折れ、池田へ向かいます。池田宿は、橋が架かっていなかった天竜川の川越の宿(しゅく)として、大名や旅人でにぎわいました。

現在の池田の渡し

写真:現在行われている池田の渡船体験 ▲現在行われている池田の渡船体験

現在、天竜川の堤防に天竜川渡船場跡の碑が立っています。河川敷には池田の渡船場を再現した池田の渡し公園があります。5月の連休に行われる『長藤まつり』では、渡船が再現されます。また、池田の渡し歴史風景館が整備され渡船の歴史を学べる場となっています。

小さな博物館(1~3月)陶磁器(見性寺(けんしょうじ)貝塚遺跡)

市役所市民ホールの展示が1月から変わります。

写真:中世陶磁器出土状態 中世陶磁器出土状態

見性寺貝塚遺跡は、国道一号線と見付本通りにはさまれた、見付(一番町)地内にある見性寺の境内の周辺に位置します。 縄文時代から古墳・平安・中世にわたる遺跡で、縄文時代の貝層や土器、石器、 土師器(はじき)などが出土しています。

昭和59年の調査では、16世紀初頭の中国産の陶磁器が、穴の中にぎっしり詰まった状態で発見されました。陶磁器は中国産の 青磁印花文盤(せいじいんかもんばん)や白磁小皿(はくじこざら)、国産の天目茶碗(てんもくちゃわん)、染付茶碗(そめつけちゃわん)など29点が出土しました。

こうした土器は、仏教の道具と一緒に埋められている例があることから、古い時期の見性寺に関連するものと思われます。

コラム 旅行の楽しみは四季を実感すること 佐藤喜好

旅行の楽しみは、「四季を実感し味わう」ことにあると思います。最近の日本は夏が長く、春と秋が短くなっているように感じますが、その中で、四季を最もよく、しかも美しく実感できるのが京都だと思います。ですから同じお寺・お宮さんでも、四季夫々に違う魅力を感じ、何回も行きたくなるのです。私も毎年2~3回は京都に出かけています。

昨年8月、修学院離宮に行った時、見学前の説明で、「必ず帽子と飲み水を持っていくように」と指示されました。なるほど上御茶屋へ向かう日陰の無い道の暑かったこと、でも、緑濃い上御茶屋からの絶景を眺めると、流した汗も苦にならないのです。

一方、冬の京都の寒さは、一段と身にしみます。しかし昨年、立春の日の早朝、雪が降る中を登った三千院は、墨絵のような美しさでした。その三千院に、昨秋、紅葉狩に行ってきました。早朝7時、開門前の門前は訪れる人も少なく、至極のひと時を過ごしました。

数年前、しとしとと梅雨の雨が降りしきる中、紫陽花を求めて三千院を散策しました。紫陽花には雨が似合うと思うと、いやな雨もそれほど気にならないものです。

実は、市役所本庁舎北側に広がる遠江国分寺史跡公園や竜洋支所の紅葉も良かったですよ。意外ですね。春の桜も素敵です。ぜひ訪ねてみてください。

編集後記

新年明けましておめでとうございます。文化財課にとって、今年はさらに忙しい年になりそうです。歴史文書館のオープン、国分寺整備などの大きな事業があります。それらの話題をいち早く紙面でお届けしていきます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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