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磐田文化財だより 第36号

旧赤松家庭園が新しくなります!

写真:旧赤松家配置図

旧赤松家記念館では、平成19年度事業として庭園の整備を進めています(平成20年3月21日完了予定)。今年度の工事(上図赤字)は、庭園東側の散策通路や、池の造成などが主となります。

工事を実施する箇所は、今までは竹林で、来館者の皆様があまり立ち入ることがなかった場所です。今後は、庭園にある四季折々の樹木を見ながら、自由な散策を楽しんでいただけるようになります。

暖かくなる頃には、工事も終了しておりますので、皆様の来館をお待ちしております。また、来年度以降にイベント広場や竹林遊歩道も整備を予定しています。旧赤松家を散策や休憩などにもぜひご利用下さい。

昔の赤松家はどんな姿をしていた?

写真:二俣街道より赤松家を望む (二俣街道より赤松家を望む)

  • 写真:現在の赤松家正門 現在の赤松家正門
  • 写真:赤松家母屋(明治40年代) 赤松家母屋(明治40年代)

旧赤松家を比べてみると…

上の写真は明治40年代、今からおよそ100年ほど前に撮られた赤松家です。現在の赤松家(右写真)と比べても正門はほぼ変わりないのが分かります。 しかしながら、長い年月の間にいくつかの変化がありました。中でも最も大きなものが母屋の移築です。母屋は大正12(1923)年の関東大震災の後に東京に移築され、太平洋戦争の戦火により焼失してしまいました。

こだわりの母屋

赤松家の母屋は明治20年代、赤松則良男爵によって建築されました。 赤松家は家族が多く、また親戚や使用人も住んでいたため、建築当時より増築を重ね20余りの部屋を数える大邸宅となりました。則良本人も正門屋根や母屋改修の一部を自ら行うなど、かなりこだわっていたようです。

現在の赤松家

現在は、敷地内に残る内蔵(建て直し)や庭園の木々、古い写真が当時の赤松家の面影(おもかげ)を今に伝えています。

もっともっと知りたい磐田の歴史 第10回 福田の別珍・コール天編

  • 写真:コール天・別珍 コール天(写真左)・別珍(写真右)
  • 写真:別珍の祖 寺田市十の碑

別珍の祖 寺田市十の碑

別珍の基礎を築いた寺田市十を顕彰する碑が福田に建てられています。 福田地区は、別珍(べっちん)・コール天とともに発展してきました。技術の発展に伴い、生産方法は変わりましたが、今も多くの織物工場で、地場産業を支える別珍・コール天が生産されています。(コール天は、コーデュロイの別名ですが、「コール天」の名称を使いました)

世界一!福田の別珍・コール天

別珍・コール天は表面がパイル(毛)で覆われた、光沢を帯び、滑(なめ)らかに仕上げられた織物です。コール天にはタテ方向に畝(うね)状の凹凸(おうとつ)がありますが、別珍には目立った畝はありません。実は、この地域での生産量は全国シェアの90%以上を占めているんです。しかも、世界中で日本が最も生産量が多い…と言うことは…世界一の生産地なんです。

コール天のはじまり

江戸時代後期に福田で織物が行われるようになりました。明治になると新しい布を織るような工夫がされ、明治29年頃からコール天織がはじまります。当時、鼻緒(はなお)の材料として人気があったコール天のほとんどが輸入されていましたが、福田の人々によって国産化されました。

「やらまいか」・「織らまいか」そして世界の別珍・コール天へ

福田の人々の「やらまいか」精神はこれでは満足せず、コール天生産に工夫を凝(こ)らします。寺田市十(てらだいちじゅう)は「新しくきれいな布」を目指し、織り方の研究を進めました。明治43年頃、製織後の剪毛(せんもう)などの障害を克服し、「新しくきれいな布」・別珍の製造に成功しました。 その後、福田は別珍・コール天の国内最大の産地として知られるようになりました。繊維不況など様々な困難を乗りこえ、別珍・コール天は福田を代表する地場産品として発展してきました。

※やらまいか ご存知、遠州地方の方言で「~をやろう!」。積極的に挑むとの意味が含まれています。

  • 写真:コーデュロイハウスでの展示風景
  • 写真:天龍社織物工業共同組合

「コーデュロイハウス」では…

コーデュロイハウス(磐田市繊維工業振興センター 磐田市大原)では別珍・コール天の歴史を見ることができます。また、手織りなどの体験もできます。開館時間等はコーデュロイハウスにお問い合わせ下さい。
(電話 55-3155)

天龍社織物工業共同組合

大正13年に織物各社の組合として設立し、別珍・コール天の発展に寄与しました。
(昭和25年、三笠宮殿下の視察)

写真:三角屋根の「こうば」

三角屋根の「こうば」

福田地区には三角屋根の工場が多く見られます。現役として働く工場ばかりでなく、すでに役目を終えた工場もあり、かつての歴史を伝えています。

~地域史編さん室だより~

珍しい「天竜川東派川(ひがしはせん)(東天竜川)堤防の写真」

天竜川東派川(東天竜川)は、昭和19年の締切り工事によって、今はその痕跡がほとんどなくなってしまいました。磐田市竜洋中島の東海道新幹線天竜川鉄橋の南側あたりで枝分かれして東に流れを変え、駒場(こまば)から遠州灘に注いでいました。ちょうど掛塚地区をはさむように流れていました。時代によっては、今の天竜川よりも水量が多くて水深もあったそうです。

天竜川東派川の堤防は締切り工事で不用になったため、河川敷の埋め立て・整地などに大量の土砂を使うために削り取られて、今はごく一部にしか堤防の跡は残っていません。

写真:民家の奥に見えるのが堤防

民家の奥に見えるのが堤防です 今年度、竜洋地域で行っている訪問調査で、何枚かの「天竜川東派川」堤防の写真を見せていただきました。昭和10年前後に撮影された写真は、松の木が立ち並んでいる堤防の様子がよくわかります。これらの堤防写真は、決して堤防の写真を撮影しようとして撮影したものではなく、たまたま背景として写真に写ったものでした。

何気なく撮った写真でも、背景や服装、電気製品など、今は見られない物が写っているかもしれません。一度、古いアルバムを見返してみてはいかがでしょうか。懐かしいあの笑顔に出会えますよ。

コラム 冬の過ごし方 天野薫

写真:朝日をうける満開の梅 朝日をうける満開の梅 4月から、旧赤松家記念館に勤務しております。明治期の建造物に触れ、自然と出合い、様々な方々と出会う日々。毎日が新鮮です。

「桜花咲く華やかな春、くすなどの新緑鮮やかな夏、イチョウが紅葉しドウダンツツジが真っ赤に染まる秋、落葉した木々が春の訪れを待つ冬」
本館では、四季それぞれの趣きをこのように多様に感じることができます。心が潤いと豊かさで満たされます。こうした中で詠んだ拙句です。

写真:旧赤松家門正面 旧赤松家門正面

肩に手に まつはる木の葉 いとほしむ
干支の子の 吊られて笑まふ 初日影
春立つ日 コート着込んで 花菜愛で

編集後記

春が近づいてきました。毎年寒い冬を乗り越えたこの季節は、何か楽しいことがありそうで、ワクワクしますね。まちのあちこちで花のつぼみがふくらみはじめています。今月号で紹介しました赤松家に花を見にどうぞお出かけください。

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