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磐田文化財だより 第37号

文化財課トピックス(1) 旧見付学校入館者30万人達成!

写真:旧見付学校を訪れた富士市比奈の古川幾生さん、明美さん夫妻

平成20年3月23日(日)に旧見付学校(馬場町)の入館者が30万人となりました。平成4年に郷土館から旧見付学校に名称変更してから16年目での達成です。

この日、旧見付学校を訪れた富士市比奈の古川幾生さん、明美さん夫妻がめでたく30万人目の来館者となり、これを記念し同日に記念式典を開催しました。古川さん夫妻には、教育長から認定証が贈られ、旧見付学校からは花束、記念品が贈呈されました。古川さん夫妻は満面の笑顔で喜んでいらっしゃいました。

旧見付学校は年間2万人ほどの来館者がありますので、おおむね5年ごとに10万人加算されることとなります。ちなみに、10万人は平成10年4月11日に、20万人は平成15年4月8日に達成されています。年々入館者が増加していることはありがたいことです。

今年度は新たな企画展の開催やむかしの授業体験などさまざまな行事を予定しています。お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。

文化財課トピックス(2) 熊野の長フジを見にでかけませんか?

写真:行興寺の長藤 行興寺(ぎょうこうじ)の長フジ

国・県指定文化財になっている、行興寺(池田)の熊野の長フジが今月の下旬から5月上旬に見ごろとなります。境内にある長フジの1株が国の指定、5株が県の指定天然記念物となっています。樹齢は数百年といわれていて、花の房は長さ1m以上になります。とても美しく見事な長フジです。

熊野御前(ゆやごぜん)の伝説

平安時代の末期、池田荘の庄司・藤原重徳の娘として、熊野権現(くまのごんげん)に祈願して生まれたので熊野(ゆや)と名付けられました。才色兼備で当時の女性の手本とされていました。後に平宗盛に仕え寵愛(ちょうあい)を受けました。鎌倉時代には平家物語に熊野御前の説話が登場し、室町時代には謡曲(ようきょく)『熊野(ゆや)』が作られました。

その熊野が亡き母の冥福を祈るために建立したお堂が行興寺の始まりといわれます。フジをたいへん愛していた熊野が植えたフジが、この熊野の長フジと伝えられています。行興寺の境内には熊野とその母の墓と伝えられる石塔が残っています(市指定文化財)。

写真:行興寺周辺地図 ▲行興寺周辺地図

池田・熊野の長藤まつり開催!

4月20日(日)から5月5日(祝)まで、豊田熊野記念公園周辺で池田・熊野の長藤まつりが開催されます。期間中はさまざまなイベントが行われますので、どうぞお誘いあわせのうえお出かけください。

長フジの開花状況は磐田市ホームページでお知らせします。ご確認ください。

【長藤まつりお問い合わせ先】

磐田市観光協会(電話0538-33-1222)
※文化財の指定名称は『熊野の長フジ』です。

もっともっと知りたい磐田の歴史 第11回 血松塚古墳編

市の指定文化財(史跡)・血松塚古墳(ちまつづかこふん)は磐田原台地の北西部、上神増(かみかんぞ)に位置します。すぐ西側は天竜川の浸食によって削られた急な崖になっており、天竜川の沖積平野や対岸の三方原台地を一望できます。今回はこの血松塚古墳をご紹介します。

  • 写真:血松塚古墳とその周辺の古墳 ▲血松塚古墳とその周辺の古墳
  • 写真:北西上空からみた血松塚古墳 ▲北西上空からみた血松塚古墳
    (1980年代撮影)
  • 写真:出土した人物埴輪(腕と胴体) ▲出土した人物埴輪(腕と胴体)

「血松塚」名前の由来

かつて古墳の頂上に大きな松があり、ある人がそれを切り倒そうとした時に松から血が流れだしたので『血松塚』と命名されたといわれます。一説には、松の中に冬眠していた多数のヘビを切ったために、体液が流れだしたのではないか、ともいわれています。

発掘調査でわかったこと

血松塚古墳は、昔からよく知られていました。1987年に県指定史跡候補として、古墳の範囲と時期を把握するための発掘調査が行われました。

その結果、全長約48mの前方後円墳で、周りには墳丘の形に沿って溝をめぐらせていたことが分かりました。また、埴輪やほぼ完形の甕(かめ)が出土しました。埴輪には、筒状の円筒埴輪の他に、家や動物、人物の形をしたものの破片が見つかっています。かつては墳丘に埴輪がたくさん並べられていたことでしょう。
出土した埴輪や土器の形などから、5世紀後半(約1,550年前)に造られたと考えられます。

葬られたのはどんな人?

古墳の中心部は調査されていないためその構造はわかりませんが、血松塚古墳は周囲に多数分布する古墳の中で最も規模が大きいことから、そこに葬られた人物は、この周辺一帯を治めていた有力な豪族であったと考えられます。
どんな人物だったのでしょうね。

小さな博物館(4~6月)御殿・二之宮遺跡第96~98次調査

市役所市民ホールの展示が変わりました。

  • 写真:遺物出土状態 ▲遺物出土状態
  • 写真:灰釉陶器 ▲灰釉陶器 写真:軒平瓦 ▲軒平瓦

御殿・二之宮遺跡は、磐田駅の南側に位置する弥生時代から奈良・平安、江戸時代までたいへん長い間営まれた遺跡です。 奈良時代には、遠江国の役所である遠江国府が置かれ、近世には徳川家の宿泊・休憩用の施設である中泉御殿が築かれるなど、磐田が遠江の中心であったことがわかる遺跡です。

磐田駅に近いことから、大小の開発により遺跡が消失していたと考えられていましたが、第96~98次調査地点では、平安時代の建物跡や中泉御殿に関連する遺構を発見することができました。平安時代の掘立柱建物や灰釉陶器・土師器のほか瓦や緑釉陶器が見つかっていることから、国府に関連する施設があったことがわかりました。また、寛文10年(1670)の御殿廃止の際に埋められたと考えられる幅2mの溝も検出しました。

『磐田市歴史文書館』がオープンしました!

写真:磐田市歴史文書館4月1日(火)から磐田市竜洋支所の2階で開館しました。歴史文書館は、磐田の歴史を調べるときに役に立つ資料を収集・保存し、その一部を公開している施設です。歴史文書館で所蔵している資料は、閲覧・複写することができます。

このほか、資料に関する問い合わせや、磐田の歴史に関する質問なども受け付けています。

歴史文書館で取り扱う資料

[公文書]
明治~平成合併前の役場文書
[地域資料]
各家・寺社・各種団体等の古文書類
[行政資料]
公の施設が発行した冊子・パンフレット、統計資料
[図書]
磐田及び周辺地域の歴史に関する図書

歴史文書館展示室では、企画展「公文書にみる磐田のあゆみ」を開催しています。入場無料ですので、お気軽にお立ち寄りください。

【休館日】土・日曜日、祝日、年末年始
【電話】0538-66-9112
【ファックス】0538-66-9722

編集後記

新年度が始まりました。みなさんは何か変化がありましたか?文化財課では新しく歴史文書館がオープンし、旧赤松家の庭園の整備もすすみ、新たに新豊院山古墳群の整備も始まろうとしています。今年度もこの紙面で情報をいち早くお伝えていきます。乞うご期待!

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