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磐田文化財だより 第39号

「懐かしの昭和展」I ~あの頃のボク・ワタシ1~
-旧見付学校、旧赤松家記念館合同企画展示から-

「懐かしの昭和展」シリーズ開催!! 以下の日程で開催します

旧見付学校 「懐かしの昭和展」I~あの頃のボク・ワタシ1~

平成20年5月27日(火)~6月29日(日)まで 「懐かしの昭和展」II~あの頃のボク・ワタシ2~
平成20年7月15日(火)~9月15日(月)まで 「懐かしの昭和展」III~もはや戦後ではない1~
平成20年10月21日(火)~12月28日(日)まで 「懐かしの昭和展」IV~もはや戦後ではない2~
平成21年1月14日(水)~3月29日(日)まで 旧赤松家記念館 「懐かしの昭和展」I~あの頃のボク・ワタシ1~
平成20年6月21日(土)~7月21日(月)まで 開館時間は9時00分~16時30分まで、月曜日・祝祭日の翌日・年末年始は休館

写真:食事の間 ▲カッテ(食事の間)の再現

磐田市には、市民のみなさんや市に縁のあった方々から、数多くの生活の諸道具である「民具」が寄贈されています。これらの民具は、市の歴史を語る生きた資料として、後世に伝えていく必要があります。

旧市町村で保管していた民具すべてを合わせると、膨大(ぼうだい)な数になります。現在、これらの整理・分類・統合を進めていますが、市民の皆さんにも広く公開し、貴重な文化財として、理解を深めてもらおうと、民具展を開催することとなりました。

昭和時代の民具

写真:たらい ▲洗濯板と盥(たらい)

市で保管している民具は昭和時代のものが大半を占めます。これは昭和37年頃からの高度経済成長期以降、機械化された新製品に替わり、それまでの道具を使わなくなった結果、保管・収納していた民具がその後各市町村へ寄贈されたという経緯をたどっています。

民具には衣食住の道具、漁労具、農具など様々な種類があります。そのような民具の情景の一つである台所の姿は、江戸時代末期から昭和20年代まで、ほとんど変わらないと言われています。この後、昭和31年の経済白書で「もはや戦後ではない」と言われて以降、急速に台所の近代化があったようです。

旧見付学校と旧赤松家記念館の展示

写真:国民服 ▲国民服

今回の展示では、高度経済成長期頃を画期としてこれ以前の民具を紹介します。昭和時代前期は初期の世界恐慌により経済状況は悪化、その後回復するも日中戦争に突入、続けて太平洋戦争という歴史が展開されました。戦後は混乱の中、朝鮮戦争による特需景気を経て、昭和30年を迎えます。こうして経済社会は向上していきます。民具はこうした経済状況・世相史を実によく伝えてくれます。

例えばラジオです。大正14年3月に東京で初めてラジオ放送が始まりますが、静岡でも遅れて昭和6年3月に開局します(NHK静岡放送局)。普及率は開局後10数年で約3割と、人々の間に急速に浸透していきます。不況といえども迅速な情報の伝達・収集がいかに重要であったかをしめし、特に戦時中にはラジオは必需品となりました。

旧見付学校では、こうした生活に密着した衣食住に関する民具を紹介します。箱膳、洗濯板、盥(たらい)、炭アイロン、飯櫃(めしびつ)入れなどは卓袱(ちゃぶ)台・電気製品に取って替わられ、昭和30年代以降姿を消していってしまったものです。

旧赤松家記念館では、「茶」、「イモ」、「養蚕」、「タバコ」など産業に関わる民具を紹介します。特に、茶・養蚕・タバコは明治時代以来、市を代表する産業として発達してきました。道具を直接見ることにより先人の知恵を感じ取っていただければ幸いです。

今回の展示で紹介するのは寄贈していただいた品の中のほんの一部に過ぎません。旧見付学校では引き続き、高度経済成長期以降をテーマに展示を行います。是非、ご覧ください。また、今後、テーマを設け機会ごとに展示会を開催していく予定です。

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(1)

写真:元門車集団~見付天神裸祭/元門車(げんもんしゃ)のこだわりの巻~

今回から「わたしの好きな文化財」を連載します。筆者が大好きな(こだわる)文化財をリレー方式で紹介するもので、マニアックな筆者でなければ語れないような視点を加えます。

元門車集団

〆切の役を務めるため、拝殿に向う元門車の集団。〆切の提灯を先頭に、手に榊を持った男衆が続きます。

元門車の堂入り(見付天神社拝殿前)

写真:元門車の堂入り今回は国の重要無形民俗文化財に指定されている見付天神裸祭について紹介します。見付天神裸祭は、腰蓑(こしみの)を着けた裸姿の男達が拝殿や町中で乱舞することから 「はだか祭」と呼ばれています。見付地区28町がそれぞれの祭組を組織し、このお祭りにのぞみます。

富士見町は祭組名を「元門車(げんもんしゃ)」と呼び、祭の最後を締めくくる「〆切(しめきり)」として、御輿(みこし)を警護するための役割を担ってきました。祭りの最高潮を迎えた深夜、灯火が消され、漆黒(しっこく)の闇の中、御輿の渡御(とぎょ)が無言のうちに行われます。元門車の一団は大鳥居あたりで、この御輿の通過を待ち、裸の群集が御輿に近づかないように榊(さかき)を振りながら、これを制止します。

御輿を追う裸の群集と、これを制止させようとする元門車(〆切)の間に熱い熱い駆け引きが繰り広げられます。「御輿に裸を近づけるな・・しめろ~」と指示が出されます。怒号と喚起の声が轟き、100人に満たない元門車の一群は、勢いづく裸の群衆に体を張り、その役目を果たします。この間わずか数分。御輿は担ぎなおさ、総社(淡海国玉神社-おうみくにたまじんじゃ-)へ疾走します。

それぞれの町には、触番(鈴振り番)、輿番や親町などの役目やしきたりが受け継がれ、これを守り伝える努力がされています。

私のこだわり

写真:浜垢離の様子見付天神裸祭は見ても、参加しても面白い。それは延々と続いた先輩たちの思いが伝わっているからではないでしょうか。わずか数分間の『〆切』。この役目を務めるため、富士見町の人々は1年間の準備を進めます

。国の指定文化財である見付天神裸祭ですが、それぞれ祭組の「こだわり(誇り・伝統・しきたり)」を感じてみれば、100倍も面白い祭りになるのではないでしょうか。そして、見付宿に棲(す)む筆者はこの瞬間に人生最大の興奮に浸ります。(せ)

[今年の見付天神裸祭主な行事]
8月31日(日)祭事始・御斯葉(みしば)おろし
9月3日(水)浜垢離(はまごり)
9月5日(金)御池(みいけ)の清祓(きよはら)い
9月6日(土)~7日(日)例祭(9月7日還御-かんぎょ-)

浜垢離の様子(写真右)
遠州灘海岸(福田海岸)の海水で祭参加者や氏子の心身を清めるとともに、神官たちによる神事が行われます。

~地域史編さん室だより~ 古文書に見られる遠州地方の医療関係者

写真:薬局のお蔵 ▲薬局のお蔵

先日、愛知県新城市の薬局に、竜洋町史の資料調査でお邪魔しました。

この薬局の先祖は、芸州(今の広島県)三原の出身で、越中富山を経て、三州新城の地に移り、寛政9(1797)年に秋葉寺から免許を受けて薬の製造販売を始めた歴史のあるお店です。この薬局に、ある古文書が残っています。

時は幕末、三河国の一宮・砥鹿(とが)神社の再建奉加帳に、「遠州掛塚湊本町・松影元秀」、「豊田郡川袋・石川」などの名前が見えます。砥鹿神社の再建に当たって、東海地方各地の医者や薬師などを訪ねて寄附を募ったもの。詳しいことは分かっていませんが、松影元秀(まつかげもとひで)は、幕末には江戸に移り住んだといわれるお医者さま。「川袋・石川」とあるのは、川袋村の医師・石川愿量(「いしかわよしとも」か)でしょうか。

いままで江戸時代の医療関係の資料が無かっただけに、たいへん参考になる資料です

コラム 熊野(ゆや)の長フジ 柳川千香子

写真:熊野の長藤 ▲熊野の長藤

薄紫色の花房が無数に咲き枝垂れる姿が美しい行興寺(ぎょうこうじ)の長フジは、樹齢数百年余り。花の房は長さ1m以上になり、1本が国の天然記念物に5本が県の天然記念物に指定されています。

熊野の長フジで有名な池田の行興寺は、熊野御前ゆかりのお寺です。平安時代末(今から約800年前)に平宗盛(むねもり)に仕え、寵愛(ちょうあい)をうけたと伝えられる熊野御前とはどんな女性だったのでしょうか?

藤の花言葉は「陶酔する恋」。甘い香りを漂わせ、薄紫色の花房をしなやかに揺らすその姿は、訪れる人々にあでやかな女性を想起させることでしょう。

初めて訪れた行興寺の境内は甘い香りに包まれ、藤の花が風に吹かれて咲き散る姿がとても幻想的でした。熊野御前の秘話を伝える老木は、時とともに美しさを増し続け、何百年もたった今でもなお、人々を魅了し続けています

編集後記

衣替えの季節になり、雑草も勢いを増してきました。史跡整備や管理の大変な季節となりました。日頃から、地元地域の皆さまのご理解・ご協力には感謝申し上げます。(や)

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