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磐田文化財だより 第49号

磐田市歴史文書館 開館1周年記念企画展を開催中!

静岡県内では初めての公文書館である、磐田市歴史文書館の開館1周年を記念した企画展「天竜川と橋」を紹介します。

川越しの歴史と木橋

写真:銅版画・豊田橋 銅版画・豊田橋

昔は、天竜川を渡るのはとてもたいへんなことでした。
明治になって木橋が架けられ、歩いて渡ることができるようになりましたが、橋の数も少なく大水が出るたびに壊れる橋だったため、いつ渡れなくなるかもしれないという心配が常にありました。

この心配が無くなったのは、鉄橋が建設されてからでした。
毎年のようにどこかの橋が壊れる状況は、人々の生活にもたいへんな影響があったものと考えられます。展示されている絵や写真からは、当時の人々の苦労が伝わってくるようです。 会期 平成21年4月1日(水)から平成21年8月31日(月)まで (土曜日・日曜日・祝日を除く)
開場時間 午前9時~午後5時まで(入館は午後4時30分までにお願いいたします)
会場 磐田市歴史文書館 展示室(竜洋支所2階)
主な展示物 天竜川絵図(内山真龍作成)、豊田橋図(銅版画)、池田橋絵図(行興寺)他

夏休み期間中も開催します。自由研究などにも利用できますので、ぜひ親子でご覧ください!

現在、源流の諏訪湖から河口の遠州灘まで、道路と鉄道橋を含むと、天竜川の本流にはいったい何本の橋が架かっているか、考えたことがありますか?
天竜川に架かる橋が何本あるのか想像しながらご覧いただくと、よりおもしろい企画展になると思います。

こんな人も天竜川を渡った

写真:天竜川船橋の図 明治天皇東幸の際、天竜川船橋の図
(静岡県史より)

昔から東海道を遮る大河をいろんな人が苦労して渡ってきました。
古くは、南北朝時代の武将・新田義貞(にったよしさだ)が箱根・竹之下の戦いに敗れ、天竜川に舟の橋を架けて渡りました。そのとき、追っ手を遮るために橋を落とすという当時の常套(じょうとう)手段をとらなかったことが美談やら失敗談などとして語り継がれています。

徳川家康も度々天竜川を渡っています。父親・松平広忠が掛塚に隠れ住んでいたと伝えられており、家康は天竜川と掛塚湊を使った木材の運び出しを行うとともに、掛塚湊を天領(幕府直轄領)として支配しました。

朝鮮通信使の一行も天竜川に舟橋を架けて渡りました。500人もの人たちが天竜川を渡るのですから、渡船では無理だったのかもしれません。このときは、この地方の舟を動員して舟橋を架けたことが記録されています。

明治天皇が京都から東京に向かわれたときにも舟橋が架けられました。その際中心になって活躍したのは、磐田市(竜洋地区・野崎)出身の浅野茂平(あさのもへい)でした。これが、きっかけになって、やがて天竜橋架橋の許可も下り、本格的な木橋架橋へとつながっていきました。

旧赤松家記念館開館5周年特別企画展 記念講演のお知らせ

『幕末オランダ留学生と赤松則良』

日時 平成21年4月25日(土)PM14:00~15:30
会場 中央図書館視聴覚ホール(先着150名)
講師 榎本隆充氏(榎本武揚の子孫)
※榎本武揚/江戸末期の幕臣・政治家です。幕末の戊辰戦争では函館戦争において幕軍側の中心人物となり、明治維新後は文部大臣、外務大臣などを歴任しました。 海軍中将・海軍中将・子爵
申込 4月1日から受付、事前に電話で文化財課へ。 電話 磐田市教育委員会文化財課(埋蔵文化財センター)TEL.0538-32-9699

★皆さんお誘い合わせの上、ぜひご参加ください。

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(11)

~遠江国分寺跡の「木装基壇」~

写真:木装基壇 金堂跡南西部でみつかった木装基壇 写真:板を留めていた柱 板を留めていた柱

今月は安藤がお送りします。国の特別史跡・遠江国分寺跡の再整備に必要な資料を得るための発掘調査を平成18年度から担当しています。今回は、本尊(仏像)を置いた金堂(こんどう)の跡から見焼土金堂の基壇つかった「木装基壇」について紹介します。

平成18・19年度の金堂跡の調査で、多瓦量の瓦や焼土の下から、炭になった状態で基壇(土台部分)の縁の板が出てきました。 昭和26年の調査では基壇の縁がどうなっていたのかわかりませんでした。

古代のお寺の建物は、重い瓦を屋根にのせるため、しっかりした基壇を築く必要があります。

基壇を造るときは、建物より少し広い範囲の地面を掘りくぼめ、土を叩きしめながら交互に積む「版築(はんちく)」を行ない、地面より高くします。しかし、土を積んだだけでは崩れてしまい、見栄えもよくないため、縁(周囲)を囲みます。これを「基壇化粧(きだんげしょう)」といい、一般的には石や瓦、「せん」(レンガ状の焼き物)などを用いますが、遠江国分寺の場合には、木(板)が使われていました。これが「木装基壇(もくそうきだん)」で極めて珍しいものです。

写真:石積み基壇 石積み基壇の例
(奈良文化財研究所『古代の官衙遺跡』より)

台地上の遺跡では、木は腐ってしまい、そのまま残っていることは通常ありません。ところが木が焼けて炭になると、炭のまま後世に残り、普通はわからない木の種類などがわかることがあります。今回出土した板や柱の一部を調べた結果では、板は「ヒノキ」と「コウヤマキ」、柱には「ヒノキ」が使われ、また、板の幅は約10cm、長さ約120cmで、板は横に貼り付け、径25cmほどの柱を1.4m間隔で設置して板を留めていたことがわかりました。この板が燃え残り炭で残っていてくれたため、木の種類などがわかるのです。

なお、板などの表面に、装飾を兼ねた防腐剤として漆や朱を塗った可能性もありますが、残念ながらこれについては炭ではわかりません。

小さな博物館(4~6月)御殿・二之宮遺跡寄贈資料

市役所1F市民ホールの「小さな博物館」の展示品が4月から変わります。

写真:円面硯 円面硯

現在、市内御殿・二之宮地内の新幹線線路南側を流れる久保川は、昭和37年、東海道新幹線建設工事の関連工事として線路南側に新たに排水路を掘削し、旧久保川を合流させたものです。

この掘削工事中に、多量の弥生土器、土師器(はじき)、須恵器(すえき)などの遺物が出土し、御殿・二之宮地域に弥生時代から奈良・平安時代にかけての大規模な遺跡があることが判明しました。

今回紹介する資料は、浜松市在住の個人の収集家の方が、その当時、御殿・二之宮地内で採集したもので、資料を地元で活用していただきたいというご厚意により、磐田市へご寄贈いただいたものです。

右側写真の円面硯(えんめんけん)とは、奈良時代の円形の硯(すずり)です。当時日常的に文字を使うのは、僧か役人と考えられており、遠江国府(とおとうみこくふ)(現在の県庁)の存在を示す貴重な資料です。

コラム全国○○めぐり 室内美香

イラスト:日本地図 文化財課にいると、全国から歴史好きのお客様がいらっしゃいます。その中でも多いのが、「全国の○○を見てまわっている」というお客様です。

例えば、

  1. 全国の有名な古墳をめぐっている(磐田には全国に名の知れた古墳が多数あり)、
  2. 全国の国府跡(こくふあと)をめぐっている(遠江国府は磐田に置かれました)、
  3. 全国の城跡をめぐっている(豊岡には社山城跡(やしろやまじょうあと)や亀井戸城跡(かめいどじょうあと)など戦国時代の城跡があります)、
  4. 全国の宿場や一里塚をめぐっている(季節のよい時期には、見付本通りにはこんな方が多数歩いています)、
  5. 全国の国分寺跡をめぐっている(磐田にはみなさまご存知、遠江国分寺があります)、etc…

など、さまざまな目的をもった方がいらっしゃいます。

全国をまわっている皆さんは、とにかく物知りでお話好きな方が多いので、いろんな地域のいろんな情報をもたらして下さり、興味深く聞くことができます。

このコラムを見て自分も!と思われた方、ご家族やお友達との旅行のついでに、その土地の史跡や文化財もめぐってみませんか?いつしか全国○○めぐりが始まっているかもしれません。

編集後記

市内には、名所・旧跡が数多く残されています。春の花を愛でながら史跡めぐりはいかがですか?文化財課で発行している「いわたふるさと散歩」全9編や「文化財案内図」も是非ご利用ください。(や)

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