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磐田文化財だより 第53号

文化財課企画展「いわたデザインヒストリー」

第2部 ~栗田煙草(くりたたばこ)とパッケージデザイン~

写真:煙草のパッケージ煙草のパッケージ 左から朝比奈(あさいな)・三番叟(さんばそう)・金時(きんとき)

毎年恒例の夏の企画展。今年は「デザイン」を共通テーマに第1部、第2部の2回にわけて開催します。現在、市立中央図書館にて第1部「古代の美」展を開催中です。

8月15日(土)からは第2部の「栗田煙草とパッケージデザイン」展を開催します。
明治時代、磐田は煙草製造の一大産地として全国にその名を知られており、栗田煙草はその中心的存在でした。この栗田家から、さきごろ多数の煙草包装紙用の版木(はんぎ)を含む煙草関連資料のご寄贈をいただきました。煙草包装紙は、デザインに優れ明治期の煙草販売競争にはかかせないものでした。

今回企画展では、煙草の歴史を知る上でも貴重な煙草包装紙や版木などを中心に磐田の煙草産業について紹介します。

磐田と煙草

日本に煙草が伝来したのは16世紀末とされ、九州地方で煙草栽培が始まったといわれています。喫煙の風習が広がるとともに、全国で煙草の栽培が始まりました。

江戸時代初めには、市内鎌田でも煙草の栽培が始められ、その後遠州各地に広まり、品種改良を重ねて「遠州葉」という一大ブランドが生まれました。煙草葉は高収入が見込めたことから栽培する農家が増えました。 明治期、見付の栗田家は「平尾屋」と号し、当主の栗田茂平(もへい)が明治18年ごろから煙草の買い付けをはじめ、明治20年ごろに栗田煙草合資会社を設立して、遠州地方でも有数の煙草製造会社を築きあげました。

見付では栗田煙草以外にも、明治30年に東海煙草株式会社(従業員150名)が河原町(旧専売公社磐田工場敷地の南側一帯)に建設されるなど加工場が林立し、煙草の一大生産地として全国に名を馳せました。しかし、明治37年の専売法施行後は、これらの工場は政府によって買収され、旧専売公社磐田工場の基礎となる見付煙草製造所に引き継がれました。現在は、日本たばこ産業株式会社東海工場(西之島)として製造が続けられています。

宣伝合戦

写真:徳用刻煙草包装紙 「徳用刻煙草」包装紙

カラフルなデザインの包装紙は販売上の決め手であり、製品の質よりも宣伝広告の良し悪しが売り上げに影響しました。中でも当時の最大手メーカーである東京の岩谷(いわや)商店、京都の村井兄弟商会は、激しい宣伝合戦をくり広げました。

栗田煙草も豊橋にあった全国5位の原田万久(まんきゅう)商店としのぎを削りました。

栗田煙草の包装紙は当初は「徳用刻煙草(とくようきざみたばこ)」という単色の包装紙でしたが、東京の岩谷商会が天狗の商標で人気を集めると栗田煙草は秋葉神社の天狗の団扇(うちわ)をマークにした「天狗団扇印」や「天狗」の字が書かれた包装紙を作り始めました。ほかにも「三番叟(さんばそう)」や「朝比奈(あさいな)」など歌舞伎や能・狂言などを題材としたものが作られました。

初公開!包装紙用版木

写真:版木版木

写真の版木は、刻煙草の包装紙を印刷するもので、栗田家よりご寄贈いただいたものの一枚です。版木は多色刷りのもので、一つの包装紙を作成するのにいくつもの版木が必要でした。

寄贈いただいた版木は、質量ともに国内最大のコレクションで、近代日本を代表する産業であった煙草生産の実態を示す貴重な資料です。

企画展記念講演会申込み受付中

明治時代のたばこにまつわるお話をしていただきます。ぜひお越しください。

とき 平成21年8月30日(日)午後2時~4時
ところ 磐田市立中央図書館視聴覚ホール
講師 半田昌之氏(たばこと塩の博物館学芸部長)
定員 先着150名
申込み 事前に電話で文化財課 0538-32-9699へ

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(15)

~上坂上 II 遺跡編~

今回は、文化財課4年目の渡邊が、浅い調査経験の中からではありますが、初めて一人で発掘調査を担当した思い出深い上坂上II遺跡をご紹介します。

上坂上Ⅱ遺跡とは

写真:カメの出土状況カメの出土状況

この遺跡は、ららぽーと磐田の北側の通りを西進した磐田原台地西縁にあります。私が担当したのは、道路工事に伴う、平成19・20年度の調査で、1,200m2余りを発掘しました。

この時の調査では旧石器時代の石器が製作されたところや奈良時代の土器やカメなどが見つかりました。

初めての発掘調査!

写真:カメ(右)とフタとして使われた皿(左)カメ(右)とフタとして使われた皿(左)
カメの高さ約28.5cm

あの時は毎日が緊張の連続でした。
最初に遺跡と関係のない土を重機で取り除くのですが、掘りすぎてしまわないよう、オペレーターさんに恐る恐る指示を出していました。

また、古代の溝を掘っていた時には、その下から奈良時代(約1,300年前)の完全な形のカメが発見され、とても興奮しました。カメは小さな穴の中に丁寧に納められていました。中からは皿が見つかりました。このカメは骨蔵器(こつぞうき)で、中には遺骨が納められ、皿はフタとして使われたと思われます。

今とかわらぬ、死者を丁重に葬るという行為に、とても感動しました。

極小の石器

写真:細石核(左)・細石刃(右)細石核(左)・細石刃(右)
8月9日まで文化財課企画展展示中

細石刃(さいせきじん)とそれを元の石から剥がした残りの細石核(さいせっかく)という、旧石器時代の終わりごろ(約14,000年前)の石器も出土しました。

細石刃は、枝や骨に細い溝をつけ、そこに複数埋め込んで使ったと思われます。1点1点がとても小さく、探していると目が痛くなるほどでしたが、見つかったときの私の喜びはとても大きいものでした。

数々の失敗もしましたが、貴重な成果と感動を得ることができました。
現在は発掘調査報告書の刊行に向けて整理作業を続けています。

旧見付学校からのお知らせ

企画展「近代教育と教科書」II~近代教育と検定教科書~を開催中

写真:いろいろな教科書 いろいろな教科書

旧見付学校では7月25日(土)~10月4日(日)まで1階西側展示室で企画展を開催しています。「近代教育と教科書」と題し、年4回に分けて、当館所蔵の教科書を紹介する企画展で、今回はその2回目になります。

今回の企画展では、明治5年(1872)の「学制」、明治19年(1886)の「小学校令」と教育施策の改正を繰り返し、近代教育制度の確立を目指していた時期を紹介します。太平洋戦争まで続く国家主義教育のよりどころとなった教育勅語(ちょくご)もこの時期に発布され、教科書も教育施策に基づき様々に改訂されました。

この近代教育の確立への混乱期を小学校教科書のひとつの転機となった検定教科書を中心に紹介していますので、ぜひ皆さんお越しください。

コラム ガンダム見付にたつ!? 谷野敦哉

写真:旧見付学校(左)とガンダム(右)旧見付学校(左)とガンダム(右)

学校の白い壁とガンダムは意外とマッチする気もします。ファンとしては、ビームライフルやシールドを持ったガンダムも見てみたいです。
(右は、お台場で撮影)

30代後半の私にとって『機動戦士ガンダム』は、思い出に残るアニメ番組のひとつです。 そんな『機動戦士ガンダム』の主役メカガンダムが、この夏、東京のお台場に等身大(全長18m)で再現されたとのニュースがテレビで放映されていました。足元に屋台や土産屋が並ぶガンダムは何とも不思議な感じで、なぜか私には奈良や鎌倉の大仏が連想されました。

ということで、調べてみたところ、「銅造盧舎那仏坐像(どうづくりるしゃなぶつざぞう)」という名で国宝に指定されている奈良の大仏は、高さが座って14.7mなので立てば約30m、こちらも「銅造阿弥陀如来坐像(どうづくりあみだにょらいざぞう)」という名で国宝に指定されている鎌倉の大仏は、座った高さが11mなので立てば約20mと、どちらもガンダムより身長が高いことが分かりました。

ちなみに、等身大のガンダムがある「お台場」の名前は、もともと江戸時代末から明治時代の始めに江戸(東京)を守るため、建設された洋式の海上砲台(ほうだい)(=台場)がその由来となっています。

ほぼ同じ頃、磐田には旧見付学校が建てられました。国の史跡に指定されているこの学校の現在の校舎の高さは約21mなので、隣にガンダムが立つと…、こんな感じになるはずです。(写真参照)

編集後記

文化財課恒例の夏の企画展第1部が8/9(日)に終了します。第2部は8/15(日)からの開催です。もしかしたら、夏休みの自由研究の題材が見つかるかもしれませんよ。どうぞお出かけください(や)

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