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磐田文化財だより 第57号

発掘された古代の鎌田 ~鎌田・鍬影遺跡発掘調査でわかったこと~

今年5月から9月にかけて、鎌田・鍬影遺跡(鎌田)の発掘調査をしました。この遺跡は弥生時代から中世までのあいだ、人びとが暮らしていたムラの跡です。これまでの調査では遠江国分寺と同じ頃の寺院の跡も見つかっています。

今回の調査では新たに奈良時代以降のたくさんの建物跡が発見されましたので紹介します。

写真:鎌田・鍬影遺跡(鎌田)ムラの跡

無数に掘られた柱の穴が並んでいるようすがわかりますか?

鎌田・鍬影遺跡とは

写真:調査地点位置図 調査地点位置図

鎌田・鍬影遺跡は、磐田原台地の東南端に位置しています。この地には、過去の調査で「大草」「草寺」などの文字が墨で書かれた土器が見つかっていること、建物の屋根に葺かれた瓦も出土していることから、奈良時代の寺院があったといわれています。

近年の発掘調査では、寺院に関連する大型建物跡の柱穴も見つかりました。

今回は何が見つかったの?

写真:建物跡 建物跡(柱穴が等間隔に並びます)写真:奈良時代の土器が出土した穴 奈良時代の土器が出土した穴

掘立柱(ほったてばしら)建物の柱穴の跡が250基あまり見つかりました。柱穴は大きさと形から、何種類かに分けられます。

径約30cmの円形の柱穴10基が等間隔に並んでいることから、柱間南北3間、東西2間の建物を1棟復元できました。その他、大型の穴が3、4基並んでいるところもありましたが、建物の大きさは復元できませんでした。 このほか、ほぼ直角に折れ曲がった幅約2mの溝も見つかりました。内と外を区画しているように見えますので、境界のような役割の溝と考えられます。

出土品の中心は、奈良時代から鎌倉時代の土器です。土器に文字が墨で書かれていないか、泥を落とし念入りに洗って探していますが、今のところ見つかっていません。

新たにわかったこと

1.建物は板葺または茅葺きだった!

出土品に瓦はありませんでしたので、おそらく板葺きまたは茅葺きの建物があったようです。金堂など寺院の主な建物は瓦葺きであったと考えられますので、ここはお寺の中心ではなく、関連する施設の建物や柵列があった可能性も考えられます。

2奈良時代から中世まで人が住んでいた!

柱穴は場所を変えて何度も造りかえられていることから、長年に渡って同じ場所に建物を建てて利用していたことがわかりました。この土地は太田川に近く、水田をつくるのに適していたこと、奈良時代に国府(現在の県庁にあたる)があった御殿・二之宮遺跡にもほど近い立地など、住みやすい条件があったのだと思われます。

以上のことから以前の発掘調査で寺院の存在を示すような建物跡や遺物が発見されていることから、今回の調査で見つかった建物跡も一般的な集落ではなくて、寺院または管理施設・倉庫などのような性格の施設が考えられます。今後、詳しく分析していく中で新たな発見があるかもしれません。また、文化財だよりで最新の情報をお伝えします。

以上のことから

以前の発掘調査で寺院の存在を示すような建物跡や遺物が発見されていることから、今回の調査で見つかった建物跡も一般的な集落ではなくて、寺院または管理施設・倉庫などのような性格の施設が考えられます。今後、詳しく分析していく中で新たな発見があるかもしれません。

また、文化財だよりで最新の情報をお伝えします。

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(19)

東日本最古の「大工道具セット」(御殿・二之宮遺跡出土)

今回は、平成16年度に中泉(御殿)の鎌倉時代のお墓から見つかった建築用の道具について安藤が紹介します。

大工道具セット発見!

写真:掛塚灯台と風竜 見つかった建築道具は、ノミ2点とカンナ(ヤリガンナ)、キリ、刀子(小刀)各1点の計5点と砥石の一部で、鎌倉時代初めの土器(小さなお皿)や短刀とともに出土しました。木製の柄の部分は腐って残っていませんでした。 ノミは2種類あり、鉄部分を袋状に作って中に柄を差し込む荒加工用の「袋柄ノミ」と、長い柄に鉄の一部を差し込み片手で使う「突ノミ」があります。

刀子は切る・削るなどの作業に、キリは釘を打ち込む前に木が割れないように穴を開けるのに使われました。ノミ2種類とヤリガンナは現在ではまったく使われていないものです。

東日本では最古の発見!

写真:東日本では最も古い大工道具写真:室町時代の絵巻物『春日権現験記絵』に描かれた当時の建築作業 室町時代の絵巻物『春日権現験記絵』に
描かれた当時の建築作業(写真右)

「大工道具」がセットで出土するのは極めてめずらしく、大分県で平安時代のお墓から出土した「ノコギリ・ノミ・カンナ」のセットに次いで全国で2番目、東日本では最も古い、大工道具の移り変わりを知る上で貴重な資料です。

専門家の先生に鑑定していただいた時、類例が1例しかないと聞き、とても嬉しく思いました。この道具を使った人は建築にたずさわる人々を率いた棟梁的な存在で、大きな神社やお寺などの建築にかかわった人物ではないかと思われます。

なお、建築作業にあたる人は当時「番匠」と呼ばれ、「大工」と呼ばれるのは戦国時代からといわれています。出土品から「番匠」の息遣いが伝わってくるようです。

歴史文書館だより「義侠の庄屋・伊藤源蔵」新資料が見つかりました

写真:資料の山と格闘する調査員資料の山と格闘する調査員

伊藤松坪と号し、嗜んだ俳句

磐田市中平松の伊藤家は、江戸から明治にかけての中平松村という時代に庄屋をつとめた家柄で、当主・伊藤源蔵は、正義を重んじて弱いものを助ける庄屋として村民の尊敬を集めていました。

このほど築150年以上と伝えられる伊藤家から、文書資料や書画・民具など、ざっと見積もっても1000点以上はある貴重な資料をお預りしました。代々、当主は源蔵を名乗りました。歴代の源蔵の中には「伊藤松坪」として俳句を詠んだ風流人もいました。史料のなかには、伊藤松坪が詠んだと考えられる句が記された短冊もあります。

今後の調査報告にご期待ください。

コラム 「文化」と「文化財」 川島澄夫

写真:サッチモ(ルイ・アームストロング)のCD サッチモ(ルイ・アームストロング)
のCDは「文化」か「文化財」か

「文化」と「文化財」の違いは、と問われて即答できる方はどれくらいいるだろうか。広辞苑には、「文化-人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果」、「文化財-文化活動の客観的所産としての諸事象または諸事物で文化価値を有するもの」とある。この説明で、なるほどと納得される方も、ますますわからんと頭を抱える方もいるだろう。(私は、恥ずかしながら後者のほう)

そこで、私なりに「文化」と「文化財」の違いをこんなふうに考えてみた。つまり、「文化」は現在進行形のもの、「文化財」は過去完了形のもの、と。

ごく大雑把で、反論もあるだろうが、たとえば、ジャズやロックという音楽形式がある。これらは新しい演奏方法やアプローチで日々変化を続けているから「文化」。一方、その音楽をパッケージしたレコードはすでに進化を止めたから「文化財」。算盤は「文化財」でパソコンは「文化」。わらじは「文化財」で靴は「文化」。ブラウン管テレビは「文化財」で液晶テレビは「文化」…なんとなくそんな気がしませんか。

では、既に亡くなっている歌手(サッチモ、J・レノン、森繁久弥等)の生前のレコード音源をCDで再発した場合、これは「文化」か「文化財」か…、答は?

編集後記

旧赤松家記念館では、12月13日まで「見付天神奉納書画」掛け軸展を開催しています。見付天神社からお借りした、ふだんは見ることができない貴重な掛け軸を、この機会に是非ご覧ください。(や)

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