磐田のみどころ

磐田市役所 ホーム > 磐田のみどころ > 文化財 > 磐田文化財だより 第58号

磐田文化財だより 第58号

遠江国分寺跡の発掘調査速報

―1月17日(日)に現地説明会を開催します!―

平成18年度から開始した国の特別史跡・遠江国分寺跡の発掘調査も4年目となります。現在、塔跡・南大門跡・僧房跡(お坊さんの寄宿舎)などの調査を行っています。

木のぬくもり…

写真:木装基壇の図 木装基壇の図

遠江国分寺は「木」を多く用いていることがわかりました。古代のお寺の多くは、基壇(土台部分)の周囲を石や瓦などで囲みますが、遠江国分寺の主な建物では、周囲を木の板で囲んでいることがわかりました。

これは、「木装基壇」と呼ばれるもので、主に厚さ10cm前後のヒノキが使われていました。

新たな発見…


写真:遠江国分寺主な建物の配置図 遠江国分寺
主な建物の配置図

僧房も新たに見つかった他、金堂(本尊の仏像がおかれた建物)の前には直径50cmの柱をもつ燈籠があり、回廊(金堂と中門を結ぶ廊下)の地下には木をくりぬいて作った排水路があったことなどがわかりました。

遠江国分寺跡の発掘調査現地説明会

写真:仏像の頭部仏像の頭部

日時:平成22年1月17日(日)(少雨決行)
1回目午前10時~、2回目午後1時30分~
場所:遠江国分寺跡史跡公園(磐田市役所北側)

※説明時間は約40分の予定です。今年度の出土品のほか、昨年度の調査で塔跡から出土した仏像(塔本塑像=写真)も特別公開します。
※駐車場は市役所をご利用ください。

[問い合わせ] 磐田市文化財課:0538-32-9699

塔跡について

写真:塔東側で瓦が並んで出土したようす塔東側で瓦が並んで出土したようす 写真:塔跡南側で瓦が出土したようす塔跡南側で瓦が出土したようす

昨年度の調査では、塔の柱の間取りや基礎工事の方法などがわかりましたが、基壇の大きさや周囲を何で囲っていたのかはわかりませんでした。

今年度、塔跡の南側と東側を発掘したところ、南側から一部焼土(しょうど)と一緒に多量の瓦が出土しました。現在は、これらの瓦を取上げて、もう一度基壇について調べています。

また、東側からは、瓦が基壇に向かって立てかけられたような状態で並んで出土しています。まだ使えそうな瓦を立てかけておいたものと思われ、大変珍しい発見であるため、出土した様子を写真や図で記録しています。

南大門跡について

南大門跡は、昭和26年の調査で「門の大きさなどは不明」とされていました。 遺構の大半は耕作によって削られていたため、今回の発掘でもやはり門の大きさはわかりませんでした。 しかし、土の色やかたさなどの違いから門の基礎工事の様子(地下を掘った跡)を調べ、門があった場所を見つける地道な作業を現在も行っています。

また、門の東西につながる塀(「築地塀(ついじべい)」とよばれる土壁の上に瓦のせた塀)や塀にともなう溝の位置も同じようにして調べています。

僧房跡について

写真:僧房跡の近くから土器や瓦などが出土したようす 僧房跡の近くから土器や瓦などが出土したようす

昨年度の調査で、お坊さんが住んだ僧房が講堂跡の北側にあることがわかりましたが、今年度はその規模を調べています。

また、僧房跡の東側から、僧房の屋根にあったと思われる瓦や、お坊さんたちが使ったと思われる土器などを捨てた穴が見つかりました。

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(20)

~加茂東原Ⅰ遺跡~

今月は、竹内が担当させていただきます。今回は、私が担当となって平成20年度に発掘調査報告書を刊行し、最新の成果を公表した加茂東原Ⅰ遺跡について紹介します。

加茂ムラとは?

写真:北から見た 加茂ムラの想像図(右が天竜川) 北から見た 加茂ムラの想像図(右が天竜川)

市内富丘にある加茂東原Ⅰ遺跡は、県内には他に例があまりない、弥生時代後期(約1,800年前)のムラの範囲がわかっている遺跡です。
ムラの範囲は南北270m、東西140mで、約1万坪の敷地の中に数百人の人々が暮らしていたと想像されています。

ムラの境界には幅2m、深さ1.5mの溝が掘られていて、簡単に人の出入りができないようになっていました。

厳重な守り

境界の溝は2種類見つかっていますので、二重になっていたとも考えられます。また、西側は磐田原台地の端にあたり、自然の地形を利用した砦のように作られていました。しかし、なぜこのような厳重な作りになっていたのでしょうか。
ムラの内部からは大きな穴がたくさん見つかっていますが、土器を作るのに必要な粘土を採掘した跡だったようです。良質で貴重な粘土を守るために、お城の堀のように溝をめぐらしたものと想像されます。

どこから来て、どこへ…

写真:境界溝と見つかった土器 境界溝と見つかった土器

加茂ムラに人が住んでいたのは、100年くらいの期間だけだったようです。境界の溝は、ムラがなくなるときに捨てた土器でいっぱいになっていました。

今回調査した300m2の範囲だけでも700点以上の土器が発見されています。報告書を作る際に700点の土器を種類ごとに分ける作業をしましたが、数が多く、とても苦労しました。

加茂ムラの住民たちは、どこから来て、またどこへ去っていったのでしょうか。 いつか市内のどこかで、引越し先が見つかるかもしれません。そんなロマンを感じる遺跡です。

小さな博物館(1~3月)人形

市役所市民ホールの「小さな図書館」が1月から「小さな博物館」に戻ります

写真:人形の頭(かしら) 人形の頭(かしら)
明治・大正時代に、磐田周辺で
人形芝居の興行をおこなった
「池田吉田人形連」で
使われたものです。

人形は、どこの家庭でも見られる馴染みのあるものですが、土や木、紙などの材料を人間の姿に似せて作り、まじないや信仰の道具として使われたのが始まりとされます。

三月の節句に使われる雛人形は、無病息災を願い人形(ひとがた)に厄や災いを託して海や川に流す風習と平安時代の「ひいな遊び」という幼女の人形遊びとが結びついたものと考えられています。

人形は、時代を経るごとに元々持っていた信仰・祭祀(さいし)的な役割が薄れ、市松人形やからくり人形、人形浄瑠璃(じょうるり)で使われる人形など、玩具や工芸的に優れた観賞用の人形として発展していきました。

今回、こうした人形の中で、市内の方に寄贈していただいたものを展示します。

コラム 「きもの」について 是賀絵美子

写真:日本の伝統文化きもの(千代紙で制作) 日本の伝統文化 きもの

一月は、初詣や成人式といった年中行事のある月です。その際、着物姿の方を時折見かけることがありますが、こういった特別な行事以外で着物を着る機会は、ほとんど無いように思われます。

「きもの」は、礼装の黒留袖(くろとめそで)から、街着の小紋(こもん)、または、旧見付学校一階展示室の授業の様子にもみられる絣(かすり)の着物、といった具合に、用途によって使い分けられます。また単(ひとえ)・絽(ろ)・袷(あわせ)といった生地だけでなく、着物や帯の模様からも季節を感じることが出来ます。

私は、以前着付け教室に通っていました。浴衣を一人で着られたらいいなぁ、というただその理由から着付け教室に通い始めたのですが、これが着物に興味を持つきっかけとなりました。その教室では一年に一回、卒業生徒も含めての食事会が開かれます。

出席するにあたって、「どんな着物でも良いから、自分で着物を着てきましょう」といったルールがあるのですが、皆それぞれ素敵な柄・色あわせで着物を着こなしてきます。「きもの」を“タンスの肥やし”にはせず、私も、普段着感覚で気軽に着こなすことができればいいなと思います…。

編集後記

あけましておめでとうございます。本年も引き続きご愛読をよろしくお願い致します。2月号のメインページでは、1月30日(土)から豊田図書館で開催する文化財課の冬の企画展の紹介をします。(や)

ページの先頭へ

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの構成について、ご意見・ご要望などがありましたら下記に入力してください。
入力内容への個別の回答はできかねますのでご了承ください。

このアンケートフォームは、磐田市ホームページに関するご意見をお聞かせいただくものです。
市政に対するご意見、お問い合わせなどはこちらへお寄せください。ご意見・お問い合わせ