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磐田文化財だより 第59号

企画展「人形」

平成22年1月30日(土)~2月14日(日)
磐田市立豊田図書館展示室にて開催中

写真:人形

今回の企画展では、市内で出土したり、飾られた人形を展示してご紹介します。

人形の歴史

人形は、人間の姿かたちに似せて作られたもので、呪術・信仰の道具として使われたのが始まりとされます。縄文・弥生時代の土偶や木偶、古墳時代の埴輪や土製模造品など人の形をした出土品が見られ、これらは現在の人形の原型といえます。

奈良・平安時代には、病気や災いから身を守るためのお清めやおはらいの道具として紙や木などで出来た「ひとがた」と呼ばれるものが登場します。「ひとがた」から「にんぎょう」という呼び名になったのは、鎌倉時代初期と考えられています。

江戸時代以降、技術の向上とともに全国各地でいろいろな人形が作られるようになり、雛人形や市松人形など、現在のような観賞用、愛玩用としての人形の需用が高まりました。

磐田にゆかりの深い人形を展示します

土製模造品

写真:県指定文化財明ケ島出土土製模造品 県指定文化財 明ケ島出土土製模造品

土製模造品は、土地を清めるためのお祭りに使われたと考えられるものです。人の形をしたものが多数出土しており、人形(ひとがた)の中には男女の性別を表現したものもあります。写真の土製模造品は、明ヶ島原にあった明ヶ島5号墳の墳丘下から発見されました。人以外にも動物、装飾品などがあります。大きさは手のひらに乗るほどの小さなものです。

雛人形

写真:内裏雛 内裏雛

三月の節句に使われる雛人形は、無病息災を願い、人形に厄や災いを託して川や海に流す風習と平安時代の「ひいな遊び」という幼女の人形遊びとが結びついたものと考えられています。

人形芝居

写真:人形の頭(かしら)人形の頭(かしら)

人形芝居は、明治時代に遠州一円で盛大に行われました。
市内にも、村祭などの際に遠州各地を巡業した池田(旧豊田町)の「池田吉田人形連」や、前野で興行を行った「吉田若之助座(よしだわかのすけざ)」など、明治から大正時代中期にかけて活動した団体がありました。写真の頭(かしら)は池田吉田人形連で使われたものです。

 

企画展「人形~人形に見る歴史と文化~」

企画展「人形~人形に見る歴史と文化~」

☆開催期間 平成22年1月30日(土)~2月14日(日)
☆開館時間 9:30~17:30 ☆休館日 月曜日
☆会場 磐田市立豊田図書館展示室

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(21)

鎌田神明宮の社叢(鎮守の森と人々の暮らし)

磐田原台地の東南縁部にあたる鎌田地区は、鎌田神明宮をはじめ、市内最大級の弥生時代の集落である鎌田・鍬影遺跡や、国の史跡である御厨古墳群、小堀遠州作と伝えられる庭園を持つ医王寺などなど…この紙面では十分に紹介できないほど多くの遺跡・史跡が、集中する地区です。まさに鎌田は「歴史の玉手箱じゃ~」なんです。私(サグチ)はこの中でも特に、大好きな「神明の森」を紹介します。

古代の匂い

写真:鎌田神明宮(二の鳥居前) 鎌田神明宮(二の鳥居前)

私(サグチ)は秋が深まる10月頃、深い緑に囲まれた鎌田神明宮を訪ねます。この森の風景は100年前も、200年前も、500年前も、1000年前もきっと同じだったのではないかと思いながら、シイ(椎)が落とした実を拾い集めます。シイの果実は生でも食べられることから、縄文時代から重要な食料として重宝されました。見付にある玄妙寺のお命講(11月12・13日)には、シイの実を売った夜店が並んだそうです。

シイの実の殻をはがし、口に入れると、どこかで味わったような甘さが口の中に広がります。縄文の世界に生きた人々も同じように口に含んだと思うと、古代の情景に同化する気がします。

お神明さまもうで

写真:鎌田神明宮 神門と本殿 鎌田神明宮 神門と本殿

鎌田神明宮は「お神明さま」として広く信仰を集めました。戦時中には出征する兵士の無事を祈願するため、「お神明さま」と「お天神さま(見付天神社/見付)」・「八幡さま(府八幡宮/中泉)」を巡る三社詣がおこなわれたそうです。

二の鳥居をくぐり、境内に入ると大小の樹木が織り成す社叢、鎮守の森が広がります。社殿の前の神門はシンプルな薬医門で、深い樹木の中で、絶妙なバランスを保っています。ここに佇むとなぜか神妙になった気がするのは私だけでしょうか。

鎮守の森も、大木も歴史の一コマ

写真:磐田駅前の大くす(県指定文化財 善導寺の大くす) 磐田駅前の大くす
(県指定文化財 善導寺の大くす)

私たちの祖先は周囲の自然へ手を加えることにより生活の場を広げてきました。湿地は水田に変わり、緑地は里山として施肥(せひ)や燃料の供給源に、大木は切り倒され建物や道具の部材となりました。

私たちの周辺にある神明の森などの鎮守の森、駅前にある大くすなどの大木・巨木も、意識的に残された郷土の歴史風土の一コマです。これらは、祖先が残してくれた貴重な遺産と言えるのではないでしょうか。

一度、祖先たちが残し、伝えてくれた森や大木・巨木に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

特別史跡遠江国分寺跡発掘調査の現地説明会を開催しました

写真:僧坊での説明風景 僧坊での説明風景

先月の文化財だより58号でもご紹介しましたが、1月17日に遠江国分寺跡の発掘調査の現地説明会を開催しました。当日は太陽がやわらかな日差しをそそぐ好天に恵まれ、午前と午後の説明に計240名のお客様が見学に来てくださいました。

職員による説明をお聞きになった方から、「国分寺跡がこれほどの広さで状態よく保存できたということは磐田市の誇りだね」「なにかシンボルになるようなものが復元できたらいいね」「子どもの頃ここでよく瓦を拾ったよ」といった声をきくことができました。

来年度以降、国分寺跡が市内外の方に歴史学習の場として、憩いの場として気軽に訪れることができる史跡公園となるように整備をすすめていきます。

コラム 古い住宅の魅力 谷口安曇

写真:古い住宅の調査風景 古い住宅の調査風景

最近、市内掛塚地区の明治時代から昭和初期までに建てられた古い住宅を調査し、住んでいる方々からお話を伺う機会がありました。

建物の構造、材料、歴史などについて熱く語る姿を見て、「家」に対する熱い思いが伝わってきました。

現在、掛塚に残っている古い建物は、100年近く地震・台風などの天災に耐えてきたのですから、よほど頑強なつくりだといえます。また、火災にも遭わなかったのですから、住む人による防火の備えも十分だったのだと思います。

掛塚には戦前に建てられた住宅が30軒ほど残っていて、今も使われています。古い家での暮らしは、現代の便利で快適な暮らしに比べて不便な面もあるだろうと思います。しかし、自分の親や先代たちが造り維持してきた家に住むということは、何にも変えがたい誇りだと思います。また、これらの家は地域の歴史を今に伝える宝でもあります。そこが、古い住宅の魅力ではないでしょうか。

市では、古い住宅の調査を少しずつすすめています。情報がありましたら、ぜひお寄せください。

編集後記

旧見付学校展示室では、3月28日(日)まで「近代教育と教科書」Ⅳ~戦時から終戦、そして検定教科書~の展示をおこなっています。 この機会に是非、戦中・戦後の教科書をご覧になってください。(や)

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