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磐田文化財だより 第64号

磐田とびっきりの伝説

「悉平太郎(しっぺいたろう)」と見付天神裸祭

見付天神社境内の悉平太郎見付天神社境内の悉平太郎

市内を舞台とした伝説の中で、駒ヶ根生まれの霊犬「悉平太郎」伝説が最も知られています。この伝説が縁となって昭和42年1月25日に磐田市と長野県駒ヶ根市は友好都市協定を結び、現在に至るまで交流を続けています。今回は「悉平太郎」についてご紹介します。

旧暦8月10日直前の土・日曜日(今年は9月11・12日)は国の重要無形民俗文化財に指定されている見付天神裸祭が繰り広げられます。賑やかなこの祭も以前は泣き祭りとも呼ばれ、寂しく暗い祭だったと言われています。この頃の見付天神の祭礼では若い娘を人身御供(ひとみごくう)に差し出す慣わしがあり、選ばれた娘は白木の箱に収められ、怪物(狒狒(ひひ))に捧げられました。人身御供に選ばれた家の悲しみの深さはどれほどだったでしょうか…。この風習も悉平太郎の活躍によってなくなり、見付の人々はこれを喜び、この頃から裸祭が始まったと言われています。

悉平太郎の伝説のあらまし

写真:江戸時代の七世市川団十郎が書いた見付天神の狒狒 江戸時代の七世市川団十郎が書いた
見付天神の狒狒
『遠く見ます』天保3年(1832) 写真:見付天神社の悉平太郎三世 見付天神社の『悉平太郎三世』

昔、昔のその昔、遠州見付には、8月10日に若い娘を見付天神へお供えする人身御供の習慣がありました。ある年、見付に来た雲水(僧)がこれを救おうと神仏に祈願したところ、この習慣が怪物の仕業であること、怪物が信濃国(現在の長野県)の悉平太郎を恐れていることがわかりました。雲水は早速、怪物を退治するため、悉平太郎を尋ねる旅に出ました。

信濃国を探しても悉平太郎という人はおらず、あきらめかけていた時、光前寺(駒ヶ根市)に飼われている犬が悉平太郎であることを知り、雲水はこれを借り受け、見付に戻りました。

次の年、柩へ娘の代わりに悉平太郎を入れて、見付天神に運びました。その日の夜、妖怪と悉平太郎の凄まじい格闘が繰り広げられました。翌朝、見付天神には巨大な狒狒が横たわり、その横では負傷した悉平太郎の姿がありました。

その後の悉平太郎は、村人によって光前寺に届けられたとも、重傷を負いこの地に倒れたとも、秋葉街道の帰路に死亡したともさまざまな話が伝わっています。光前寺に伝わる話では光前寺まで帰り、力尽きたと言われています。(悉平太郎は信州では早太郎と呼ばれています)

天竜川が結んだ交流

磐田市と駒ヶ根市は、天竜川の水運を通じ古代から交流があったことも、両地域が悉平太郎伝説の舞台になった理由の一つであったと考えることができます。江戸時代には見付宿から光前寺に参拝する人達もありました。

悉平太郎から700年

見付天神社別当・一実坊(いちじつぼう)がお礼のため光前寺に奉納した大般若経には、正和5年(1316)の年号が記されていることから、この頃が伝説の舞台だったと言われています。光前寺では安政7年(1860)に悉平太郎没550年目の法要が行われ、その徳に感謝をしています。今年はその法要から150年目、「悉平太郎700年」にあたります。今年の見付にはこれにちなむ講演会や、裸祭を顕彰したイベントが計画されています。

ワークショップ「見付天神裸祭」

一部 裸祭を知ろう「見付天神裸祭」 名古屋大学研究員 谷部真吾ほか
二部 裸祭を生かそう「街づくりと見付天神裸祭」 高野山町副町長 高橋寛治
パネルディスカッション

展示 昔の裸祭の写真日時
日時 平成22年7月25日(日曜日)
会場 ワークピア
主催 見付天神裸祭保存会問32-2349
後援 磐田市・磐田市教育委員会

悉平太郎700年記念公開講演「霊犬伝説をめぐって」

「犬の民俗・民間信仰(仮題)」 文化庁調査官 菊池健策
「犬の説話文学(仮題)」 学習院女子大学教授 徳田和夫
「見付天神裸祭」 解説 文化財課職員

日時 平成22年9月11日(土曜日)
会場 磐田市中央図書館視聴覚室
主催 説話・伝承学会 保存伝承学会事務局 0743-63-7179
後援 磐田市教育委員会

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(26)

~匂坂中(さぎさかなか)遺跡~

今回、竹内が紹介するのは、就職して間もない平成2年から発掘調査した匂坂中遺跡です。現在、ブリヂストン磐田工場としてすっかり景観も変わっていますが、調査期間も長く、また若いころの調査として私にとっては思い出深い遺跡です。

匂坂中遺跡とは?

写真:南西上空から見た調査中の匂坂中遺跡 南西上空から見た調査中の匂坂中遺跡

匂坂中遺跡は、82,000m2と新旧磐田市を通じてもっとも広い面積を発掘調査した遺跡です。内部は小さな谷によって北区(匂坂中上1遺跡)・南区(匂坂中下5遺跡)・東区(出山道下1・2遺跡)の3つの遺跡(ムラ)に分かれていました。

どんな遺跡?

写真:黒曜石でできた皮なめしの道具 黒曜石でできた皮なめしの道具

今から20,000~15,000年前の旧石器時代のムラの跡が中心でした。当時の人々が狩りのときに短期間のキャンプ地として使った跡が26箇所発見されています。それぞれのキャンプ地からは、石を打ち欠いて作ったさまざまな道具や、調理に使ったと思われる、真っ赤に焼けた石が数十個まとまった状態で見つかりました。

長野県産と思われる黒曜石でできた皮なめしの道具が見つかったときには、ガラスのような美しさにその場にいた皆が感嘆の声をあげたのを覚えています。

気が遠く…

写真:発掘調査のようす 発掘調査のようす

発見されたものとして、石の道具が約9,000点、焼けた石などが21,000点ありました。発掘が終わると遺物や図面など、膨大な資料と格闘する日々が始まり、一体いつ終わるのかと途方にくれる思いでした。

発掘調査の開始から6年後に業務が完了し、発掘調査報告書が刊行されたときは、本当に達成感でいっぱいになりました。

小さな博物館(7~9月)「お金~意外と知らないお金の歴史~」

写真:永楽通宝 永楽通宝

7月31日(土)~8月29日(日)の間、磐田市立中央図書館1F展示室にて文化財課企画展「しろがね・くろがね・あかがね」~くらしのなかの金属~が開催されます。

今回、小さな博物館では、この企画展に合わせ、金属製の古銭を中心に、お金の歴史について紹介します。皆さんの身近にあるお金の歴史に触れてみてください。展示の内容を少しだけ先に紹介します。

永楽通宝(えいらくつうほう)
室町時代、日本~明(当時の中国王朝)間の貿易で使用された通貨です。良質で量も豊富であったため、中国製であるにもかかわらず、15世紀はじめごろから日本全国に流通しました。

寛永通宝(かんえいつうほう)
江戸時代はじめごろ、幕府によって鋳造された通貨です。安定した品質と量が供給されたため、次第に他の通貨をしのぎ、全国的に流通しました。
また、なんと、昭和28年まで法律で通貨と認められていました。

コラム「ゲンペイ」という名の動植物」 山﨑克巳

二つのものを比較する、あるいは相対する特徴を有するものを呼ぶ時に「ゲンペイ」という表現を使います。これは貴族政治から武家政治へ移行した時代を代表する「源氏」と「平氏」に因んでいることはいうまでもありません。二氏を比較した時に、どちらかといえば、源氏のほうが優位にあるような印象を受けます。

まず思い浮かべるものに、「ゲンジボタル」と「ヘイケボタル」があります。最近では環境に対する意識も高まり、自然環境の保全や動植物の保護に取組む地域や団体、企業が増えています。蛍鑑賞会も各地で開かれています。水辺に舞う怪しげな光の軌跡に、幻想的な世界が広がります。蛍では体の大きさや放つ光の強弱の違いが、「ゲンペイ」を分ける要素となっています。

写真:ゲンペイコギク ゲンペイコギク

一方、植物にも「ゲンペイ」と付くものがあります。植物の場合には、一つの個体に、あるいは一種類の花の色に紅白が見られるものに付けられています。例えば、ゲンペイコギクやゲンペイカズラ、ゲンペイシダレなどがあります。こちらは「源平」が仲良く同居しています。優劣を付けない理由は、花がもつ優しさにあるように思います。私は、心を癒してくれる植物の世界が好きです。

編集後記

気象庁の梅雨明け速報によると今年の東海地方の梅雨明けは7月20日ごろのようです。今月末に予定している企画展開催前の梅雨明けですね。梅雨明けの晴天のもと企画展には多くの方々の来場を心よりお待ちしております。

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