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磐田文化財だより 第65号

文化財課企画展

くろがね・しろがね・あかがね -くらしのなかの金属-

写真:銅鐸複製とよろい・かぶと 左:銅鐸複製《西の谷遺跡出土(敷地)弥生時代青銅製》
右:よろい・かぶと《安久路2号墳出土古墳時代鉄製》

平成22年7月31日(土)~8月29日(日)
火~金曜日9:00~18:00/土・日曜日9:00~17:00(月曜日・8月27日は休館)
磐田市立中央図書館展示室(磐田市見付3599-5)

古代の人びとは金属をこがね(金)、しろがね(銀)、あかがね(銅)、くろがね(鉄)と呼び、さまざまな用途で使用しました。金属は、希少な材料でしたので、たいへん貴重でした。市内の遺跡・古墳から出土した金属製品を、用途別に展示しました。

武器・武具

戦いのときに使いました。多くは、古墳の副葬品として見つかります。銅や鉄でできていて、表面に銀(ぎん)象(ぞう)嵌(がん)(金属に模様を刻み銀線をはめ込む)が施された大刀の飾り(右写真)などもあります。金属製の武器・武具は一般的な道具ではなく、今から1,500年位前の有力な人だけが持つことができた高級品です。

  • 写真:明ケ島15号墳鞘口金具 明ケ島15号墳 鞘口金具 写真:出土耳飾り 市内の古墳より出土 耳飾り
  • 写真:堂山古墳農工具 堂山古墳 農工具

祭具・装身具・馬具

弥生時代の銅鐸や銅鏡、古墳時代の耳飾り、馬につけた飾りなどがあります。耳飾りや馬の飾りにはメッキ(金属の薄い膜でものの表面を覆う技術)が施されたものがあります。当時の金属加工の技術の高さがわかります。

農具・工具

農具・工具も古墳から出土します。当時、鉄製の農工具はまだ一般的でなく、古墳の副葬品とされました。金属製の農工具の製造には高度な技術を要するため、一般に使われるようになるのは中世(今から900年位前)以降のことです。

民具鍛冶道具

写真:堂山古墳農工具 鍛冶仕事をする市川氏(平成21年撮影)

近年まで使われていた金属製の民具のうち、鍛冶道具を中心に展示しています。また、鍛冶仕事の作業場を展示室内に再現しました。

8月8日(日)、8月21日(土)、8月29日(日)の午後1時から3時まで、市内在住の元鍛冶職人の市川安郎さんの話が聞けます。

記念講演会 『青銅鏡の神秘と磐田の古墳時代』

写真:新豊院三角縁神獣鏡講師:大手前大学 准教授 森下章司
日時:8月22日(日)14:00~16:00
場所:磐田市立中央図書館視聴覚ホール
定員:150名(入場無料)
申込み:埋蔵文化財センター TEL.32-9699(土日休み)
展示室でも申し込みできます。

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(27)

どこにでもあるような「そんじょそこらの橋のはなし」

磐田市内のどこにでも、その地域の歴史が残されています。それは、日本を変えた大きな出来事でもなく、知る人も限られた話ですが、その事がなければ、その地域がなりたたなかった重要な出来事であったかもしれません。今回は私(佐口)が豊浜地区の幅2m足らずの排水路(古川)に架かる『唐人橋』についてご紹介します。

唐人橋と原野谷川

地図:唐人橋原野谷川は、慶長9年(1604)に行われた河川改修によって太田川に合流され、現在の流路となりました。かつての原野谷川は、豊浜地区を縦断し、南端で東に蛇行、弁財天川付近で外洋に注いでいました。現在の古川、前川の流路です。この川に「唐人橋」と呼ばれる橋が架かっています。

異国船がやってきた

写真:瓦版で紹介された唐船 瓦版で紹介された唐船

寛政12年(1800)12月4日、長崎に向かって清国(今の中国)寧波(にんぽう)を出航した唐船(萬勝号)が遭難、遠州灘(掛川市沖之須沖)に漂着しました。知らせを受けた横須賀藩や掛川藩、旗本花房氏、中泉代官から警備の役人が出役しました。おりからの強風により、船は西へ流され12月11日に波浪のため破船します。

破船に先立ち乗員や積荷が小船に移され、陸に移され、乗員は太郎助村と大島村(豊浜)の大安寺に分宿し、3月まで逗留することとなりました。この事件は巷でも大騒ぎとなり、多くの人々が見物にきたと伝えています。その後、遭難者は福田湊から鳥羽・長崎を経由し帰国することができました。

唐人橋と殿様

写真:唐船の残材(豊浜小学校) 唐船の残材(豊浜小学校)

江戸時代の旧原野谷川には、丸太の橋しかなく、視察に来た殿様が川を渡ることができなかったようです。このため、萬勝号の廃材を使い、かけられた橋が唐人橋だったと子供の頃に聞かされました。

当時の私はへっぴり腰の殿様を想像し、一人笑っていました。唐人橋は12間5尺(23m)、幅2間(3m余り)であったと伝えられ、その残材は豊浜小学校に残されています。

『橋』の名を気にしてください

橋などには小字や伝承、その土地の歴史を伝えるものも少なくありません。豊浜地区の前川に架かる橋には、塩田を開発した旧幕臣の長屋が近くにあったことから名づけられた「お長屋橋」もあります。一度、近くの欄干を確認してみたらどうでしょうか。私たちの知らない歴史の手がかりを知る機会になるかもしれません。

市内の石造物を訪ねて(中)六地蔵、そして…

1.ほかにもこんな六地蔵が!

前回は珍しい六地蔵1基を紹介しましたが、市内ではこの他にも、(1)一石に六体、(2)六面体の六地蔵があります。(1)は福田・五十子(いかご)の蔵本寺(ぞうほんじ)にある舟形(ふながた)六地蔵[享保16年(1731)銘]で、一石に六体の地蔵を彫りだしています。(2)-1は豊岡・大平の円通寺入口にある六面体の地蔵です。

傘をかぶせた形のもので、これを石幢と呼んでいます。(2)-2は福田・南島の宗次寺にある六地蔵で、かつては石灯篭のように立っていましたが、いつの間にか六地蔵部分だけが残り、今では無縁仏の一画に寄せられています。石幢は六地蔵信仰が盛んな室町時代に多く造られますが、この2基((2)-1,(2)-2)は六地蔵の彫り出しや仕上げが丁寧に施されていることがうかがえることから江戸時代初期のものではないかと推定しています。

  • 写真:蔵本寺(五十子)(1)蔵本寺(五十子)
  • 写真:円通寺入口(大平)(2)-1 円通寺入口(大平)
  • 写真:宗次寺(南島)(2)-2 宗次寺(南島)
  • 写真:西光寺(掛塚) 西光寺(掛塚)

2.「伊勢国の石塔」を見つけたよ!

寺院境内の一画には、「無縁仏」といってお墓を供養する親戚や縁者の途絶えた墓石を集めておく場所があります。そんな無縁仏のなかに古い石塔を目にすることがあります。 そのなかでも、掛塚・西光寺で見つけた舟形光背(ふながたこうはい)五輪塔は特に珍しく、県内では類例がありません。元和(げんな)6年(1620)銘の緑色片岩製で五輪塔をかたどった伊勢国の製品です。

江戸時代、懸塚湊が伊勢国の湊と交易をした証となり、またこの時代さまざまな交易品を手にしていたことが想像されます。石塔は供養のために特別に造らせたものでしょう。これはさすが湊町といえる一品です。 石造物の石材や類例をたどることで、製作された時代の背景が浮かび、興味をそそられます。

編集後記

紙面でも紹介いたしましたが、文化財課夏の企画展が始まりました。同時に歴史文書館でも「公文書にみる戦争と磐田」展を開催しております。梅雨も明けて夏本番を迎え暑い日々が続きますが是非一度足をお運び下さい。

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