磐田のみどころ

磐田市役所 ホーム > 磐田のみどころ > 文化財 > 磐田文化財だより 第67号

磐田文化財だより 第67号

巨大地震からの警告

歴史文書館第6回企画展を開催します!!
安政東海地震と東南海地震-残された記録・古文書から読み解く―

写真:地震のため脱線転覆した貨車地震のため脱線転覆した貨車
(『写真でみる東南地震』より)

今年4月、太田川に近い磐田市新貝地内の工事現場で地下2mの土中に埋もれた貨車の車輪が発見されました。この車輪は今年の7月に埋蔵文化財センター敷地内に設置し、報道をご覧になった方もいらっしゃることでしょう。

昭和19年、東海道線を静岡方面に向って走っていた貨物列車が、「太田川駒洗川橋梁」付近で東南海地震による強い揺れを受けて脱線転覆したものであることがわかりました。この車輪の発見は、大地震に対する警鐘をわたしたちに伝えているように思えてなりません。

歴史文書館では…

いまから156年前に磐田市周辺を襲った安政東海地震、体験された人々の脳裏に今でも残る昭和19年の東南海地震の2つの巨大地震を取り上げ、当時の被害状況を史料や記録から読み解き、学ぶことで、今後、発生が予想されている「東海地震」への防災意識が高まるきっかけになることを願っています。

平成22年11月1日(月)~ 平成23年1月28日(金)
開館 月~金曜日9:00~17:00(ただし入館は16:30まで)
休館日 土・日・祝日、および年末年始【12月29日(水)~1月3日(月)】
場所 磐田市竜洋支所内 磐田市歴史文書館2F展示室(磐田市岡729-1)

記録、史料からみる2つの大地震

写真:地震の被害状況を記した「地震災潰(つぶれ)家書上帳」(下大之郷自治会所蔵文書)地震の被害状況を記した「地震災潰(つぶれ)家書上帳」
(下大之郷自治会所蔵文書)

安政元年(1854)、遠州灘を震源に発生した安政東海地震(M8.4)は、伊豆から伊勢まで広範囲の地域を襲い、磐田市周辺においても家屋の倒壊や津波、天竜川の破堤による洪水など人々の生活に甚大な被害をもたらしました。恐怖の中、竹薮で何日も過ごし、押寄せる泥水で渡船ができなくなるなど、壊滅的な被害を受けた人々の様子を下大之郷村や池田村などの古文書に見ることができます。また当時、中泉代官であった林鶴梁は苦しむ人々を救うために米や金の支給だけでなく、復興に向けた対策に尽力しました。

写真:東南海地震の震災被害報告書(旧向笠村、旧岩田村役場文書)東南海地震の震災被害報告書
(旧向笠村、旧岩田村役場文書)

第二次世界大戦も終わりに近づいた昭和19年(1944)12月7日、熊野灘を震源とする東南海地震(M8.0)が発生し、静岡県西部、愛知県、岐阜県、三重県にかけては震度5(強震)を超える大揺れ、磐田市周辺も太田川流域を中心にかなりの被害に見舞われました。家屋倒壊等の被害は軟らかい粘土層が厚く堆積している太田川流域に集中し、特に袋井市川井付近は壊滅に近い状態となりました。しかし、硬い礫層で形成されている磐田原台地上に位置する向笠地区(原)の被害はほとんどありませんでした。当時は、戦時下であったため、ラジオや新聞でも被害の大きさが伝えられることはありませんでした。

史料から地震を読み解く

写真:歴史文書館へのご案内《歴史文書館へのご案内》

歴史的には慶長地震(1605)以降、宝永地震(1707)、安政東海地震(1854)、東南海地震(1944)まで、東海から四国にかけての海域でおおむね100年から150年の周期で、ほぼ同じ場所でほぼ同じ規模の大地震が繰り返し起っています。
先人たちが残してくれた過去の記録から地震の恐ろしさを感じ、地震に対する備えに役立てていただければ幸いです。

この企画展を通じて、先祖が未来へ伝えたかった史実を読み解いてください。

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(29)

城之崎城(見付新城)跡

今回は、城之崎出身の大村が、地名の由来になった城之崎城について紹介します。中学生の3年間は、すぐそばが通学路となっており、ごくごく身近に感じる風景でした。

徳川家康が築城

写真:城之崎城が築城された環境城之崎城が築城された環境

永禄12年(1569年)、遠江の支配を確立した徳川家康は、本拠地として城之崎城の築造をはじめました。見付宿の中央にあたる、現在の北小学校・見付公民館付近に位置していた、中世以来の見付城に対し、「見付新城」とも呼ばれます。しかし翌年、家康は築城を中止し、浜松城を居城とします。時は戦国時代、武田氏との抗争上、天竜川を背にするのは不利という戦略的な理由が主な原因と考えられています。

現存する絵図には、4つの曲輪(くるわ)が描かれており、土塁(どるい)や空堀(からぼり)の跡が近年まで残っていました。南西に位置する福王寺には、城之崎城から移築した石垣が残っています。

城の立地

城之崎城は、磐田原台地の南端近くの丘陵上に造られました。北には東海道と見付宿があり、西~南側は今之浦の湿地帯に面しています。交通の要地であり、天然の要害でもあったことから、城を築くには良い場所だったのでしょう。

城之崎城の南側は低丘陵が続き、城之崎の集落が広がります。昭和40年代の区画整理後は、住宅地として大きく発展を遂げました。今之浦に突き出した格好の丘陵は地名のとおり、まさしく「城の崎(先)」です。

城の現在

写真:城山球場周辺の航空写真(北東から)城山球場周辺の航空写真(北東から)

城之崎城は現在、形を変え、磐田城山球場となっています。球場が建設されたのは、昭和24年のことで、今から60年ほど前のことです。その後、改修工事が行われましたが、現在でも夏の高校野球の予選をはじめとする会場として利用されています。

小さな博物館(10~12月)「工芸の美」

市役所1F市民ホールの「小さな博物館」の展示品が10月から変わります。

写真:一の谷中世墳墓群遺跡(見付)出土「和鏡」(鎌倉時代)一の谷中世墳墓群遺跡(見付)出土
「和鏡」(鎌倉時代)

10月9日(土)~11月14日(日)の間、旧赤松家にて企画展「AKAMATSU spatial art 2010」が開催されます。この企画はガラスと金属の工房・新造形創造館の作家が旧赤松家専用に芸術作品を製作し、展示するものであり、今年で5回目を数えます。

今回、小さな博物館では上記の展示にちなんで10月~12月にかけて文化財課で所蔵する工芸品を展示します。古墳時代から江戸時代まで、様々な時代の工芸品が並びますので、小さな博物館と旧赤松家、過去と現在の工芸品の展示を御覧下さい。

コラム「酒林」という造り酒屋の看板 柳川千香子

昔から造り酒屋の軒先には、スギの葉を束ねて丸く刈り込んでボール状にした酒林(杉玉とも呼ばれる)を吊るす風習がありました。
これは、奈良県の三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社のお酒の神様に、良質な酒造りを願い、感謝を捧げるものであったと言われています。

写真:市内造り酒屋で見られる酒林市内造り酒屋で見られる酒林

新酒の搾り始めに吊るされる酒林は、お酒の熟成具合を知る目安になるとも言われています。吊るされたばかりの杉玉はまだ青々としていますが、やがて葉が枯れ茶色に変わっていきます。これにあわせるように搾りたての青々しい新酒も、時とともに熟成していきます。軒下に1年吊るされ、茶色になった酒林、これが緑色の真新しいものに替わると、それはその年の新酒ができたというサインなのです。
私も三輪山のお酒の神様に、今年も美味しいお酒が呑めるようにと祈りつつ、緑鮮やかな酒林が吊るされる日を待ち望んでいるひとりです。

編集後記

ようやく猛暑も過ぎ去り、朝夕と心地良い秋風を感じるようになりました。今月は市内各地でお祭りが開催され、週末毎にお囃子や太鼓の音が聞かれます。すでに待ちきれないという方も…。楽しみですね!

ページの先頭へ

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの構成について、ご意見・ご要望などがありましたら下記に入力してください。
入力内容への個別の回答はできかねますのでご了承ください。

このアンケートフォームは、磐田市ホームページに関するご意見をお聞かせいただくものです。
市政に対するご意見、お問い合わせなどはこちらへお寄せください。ご意見・お問い合わせ