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磐田文化財だより 第69号

平成22年度 遠江国分寺跡発掘調査報告

磐田市教育委員会では、国の特別史跡・遠江国分寺跡の再整備に必要な資料を得るための発掘調査を、平成18年度から行っています。今年度は、9月から11月にかけて、回廊跡と塔跡東側の調査を行いました(調査面積86m2)。その結果、回廊の規模や塔を建てる際の工事のようすが明らかになりました。

「複廊」の可能性が高い回廊

写真:遠江国分寺跡 平成22年度調査箇所遠江国分寺跡 平成22年度調査箇所
写真:回廊跡(東回廊)を発掘したようす(南東から撮影)回廊跡(東回廊)を発掘したようす(南東から撮影)
写真:単廊と複廊(吉川弘文館『歴史考古学大辞典』より)単廊と複廊(吉川弘文館『歴史考古学大辞典』より)

回廊は金堂本尊が置かれた建物)と中門を結ぶ廊下です。昭和26年(1951)の発掘調査で金堂西側から「回廊の礎石」などが見つかり、間仕切りのある「複廊」とされました。ところが、平成19年度に同じ場所を再調査したところ、この礎石は江戸時代の建物のもので、古代の国分寺のものではないことがわかりました。このため、今年度、東側の回廊を発掘して「複廊」であるかどうかの確認を行いました。

その結果、礎石は残っていませんでしたが、基壇(建物の土台部分)の規模が東西約10mと広いことから、「複廊」である可能性が高いことがわかりました。この基壇は土を叩(たた)きしめながら積んでいるほか、径10cm前後の石を入れて土台部分の強化を図っています。

奈良時代、聖武天皇は当時あった60余りの国々に国分寺を建てるように命じましたが、回廊はほとんどが単廊で、複廊であるのが確認されているのは、陸奥(仙台市)や信濃(上田市)など、1割あまりにすぎません。複廊は単廊に比べ、建物の規模が大きくなるため、建設に必要な費用や作業量も多くかかることになります。複廊であるのは、当時の遠江国の財政力などを反映しているのかもしれません。

なお、回廊も金堂や塔と同じように「木装基壇」の可能性があるほか、礎石は失われているものの、下部の痕跡から柱間(柱の間隔)を知ることができる可能性があるため、それらの確認も今後行う予定です。

地盤を大改造して建てられた塔

写真:塔の基壇の構造塔の基壇の構造

塔の東側を調査したところ、塔を建てる際に、塔のまわりを一回り広く、かつ深く地盤改良した部分と、浅く地盤改良を行った部分があることがわかりました。
地盤改良には、軟弱な土地を一度掘り下げ、土を層状に積み重ねる「版築(はんちく)」という工法がとられています。塔の建物の下には大きな力がかかるため、約1mほど掘り下げて「版築」を行い、さらに地盤を強化するために、径10~20cmの石を、掘り下げた部分の底面近く全体に敷き並べていることも確認されました。
軟弱な地盤を克服して塔を建てるために努力した当時の人々の知恵と技術を感じとることができます。

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(31)

大藤村道路元標
今回は、大藤地区在住の竹内が担当します。大藤の人はひょっとしたら一度は見たことがある、しかしその価値は意外に知られていない、そんな道端の文化財です。

道路元標(どうろげんぴょう)とは…?

写真:道路元標大藤公民館の南西隅の道路の傍らにあります

道路元標は大正9年に施行された「道路法」という法律で、全国の市町村の道路の基準として建てられた石の標柱のことです。当時の市町村は12,000以上ありましたから、その数も12,000以上ということになります。
いまの市町村の数が約1,700と言われていますから、昔はずいぶんたくさんの市町村があったのですね。

ただの古い石じゃん。って…言わないでね。

道路元標は各市町村にひとつと決められていたので、日本の中心になるものはありません。ただし、その基点は東京市の道路元標とされていました。
東京市の道路元標はその後移設されましたが、ナンと国の文化財(!)に指定されています。その他にも埼玉県や栃木県の市の指定文化財になっているものも10数例ありますので、地域にとって大切で貴重な文化財と言えるのではないでしょうか。

超レアもの?大藤の道路元標

写真:大藤の道路元標

大藤公民館の脇にそびえる一本の石柱。これぞ「大藤村道路元標」。「昭和三年」と刻まれ、また静岡県庁からの距離が刻まれています。大正9年から少し時間が経っていますが、なぜかははっきりしません。また、当時の法令で定められた規格とサイズや形が少し違うようですが、その理由もわかりません。

写真:大藤の道路元標

県内には中ノ町村(浜松市東区中野町)の道路元標と、この大藤村道路元標の2ヶ所に残るだけと言われ、静岡県を代表する貴重な歴史遺産と言えそうです。
みなさんも、大藤公民館にお寄りの際には、大藤地区の全ての道路の元となった80年前のモニュメントに立ち寄られたらいかがでしょうか。

(写真左)裏側には隣村の役場までの距離が書かれています
(写真右)「大藤村道路元標距静岡縣廰」と読めます

「福田町史編さん事業」から!

探しています!!昭和40年頃までの写真、古い文書やチラシなど…。

写真:江戸時代の芸能・祭文の資料江戸時代の芸能・祭文の資料

中断していた福田町史編さん事業が、再び動きはじめ、資料編と通史編の発行を目指し資料調査を行っております。ただ今、昭和40年頃までの写真などを探しています。古いアルバムをお持ちの方、一度、見せていただけませんか!!

今回、掲載した資料(左写真)は、福田地区のお宅からお預かりしたもので、祭文語り(江戸時代の大道芸人)によって三味線を伴奏に演じられた芸能(祭文)の資料と思われます。皆様も、ご自宅を探していただくと、意外な資料が見つかるかも知れません。もし、ご自宅で保管されている文書などで読み方や歴史的価値を知りたいといった場合は、「歴史文書館」までお尋ねください。解読のお手伝いをさせていただきます。
【連絡先:磐田市歴史文書館(竜洋支所2階)電話66-9112】

福田町史地区協力員の活動に ご理解とご協力をお願いします

写真:地区協力員との会議風景地区協力員との会議風景

去る11月11日(木)、福田支所において、福田町史地区協力員の皆様との打合せ会を開催させていただきました。「福田町史地区協力員」とは、福田の各地区に眠っている資料を発掘するため、地区の歴史や実情に詳しい方、歴史に興味のある方の中から、情報をお寄せいただくために協力をお願いした方々です。地区協力員の皆様には、資料調査などにもご参加いただき、福田の各地域の歴史を、掘り起こしたいと考えています。地区協力員の活動にご理解とご協力をお願いいたします。

編集後記

12月に入り徐々に寒さも厳しくなり、早いもので今年もあとわずかで年の瀬を迎えますね。今年も文化財だよりをご愛読頂きありがとうございました。来年も多くの文化財情報を皆様に発信して行きたいと思います。

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