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磐田文化財だより 第72号

速報!御殿・二之宮遺跡の発掘調査

写真:御殿・二之宮遺跡を東南より望む

御殿・二之宮遺跡は、JR磐田駅の南側一帯に広がる弥生時代~江戸時代までの遺跡で、市内の遺跡としては最大範囲を誇ります。平成22年5月~平成23年1月、道路工事に先立ち、この遺跡の発掘調査を実施しました。調査によって、約2000年前の弥生時代の人たちや、約1300年前の奈良時代の人たちが残した土器・石器・木製品など、コンテナ175箱分の資料を発見しました。また、磐田原台地の南端部分を調査していることから、台地から低地へと地形が変化する状況や、低地では豊富な地下水のなかにも遺跡が存在していたことなどがわかりました。 それでは、次ページでもう少し詳しく今年度の発掘調査についてご紹介しましょう。

穴だらけ!

写真:発掘していた場所写真:大量に出土した弥生土器大量に出土した弥生土器の一部です

右の写真は、5月から7月まで発掘していた場所を、上空から撮影したものです。無数の穴が空いているのがわかりますか?弥生時代の建物の柱穴、食物を入れた貯蔵穴、貝塚、中世の井戸が見つかりました。ここからは、大量の弥生土器やイノシシの骨、魚の骨で作った釣り道具などが出土しています。

お役人たちが使った土器?

写真:墨書土器

出土した奈良時代の土器に、墨で文字が書かれたもの(墨書土器)が見つかりました。奈良時代に文字を自由に操ることができたのは、お役人かお坊さんと考えられ、これまでの周辺域の調査成果もふまえるとこれらの土器は国府という役所で使用されたものと推定できます。土器の底やふたの裏に、「豊国」「山」「豊毅」「多西」などの文字がみられ、これらの文字の読み方や意味はまだはっきりわかっていませんが、地名や役職名などを示している可能性があります。

磐田原台地南端の古代の地形がわかります

写真:発掘していた場所写真:大量に出土した弥生土器

下の写真をごらんください。いずれも西から東を向いて撮影したものですが、②は①の場所から東へ60mの位置にあたります。①では地表面下50cmのところ、②では地表面下3mのところで遺跡が見つかっています。このことから、弥生時代から奈良時代にかけてのこの地区の地形が西から東に向かって急激に低くなっていたことを示しています。
遺跡の発掘調査では、このように古代の地形を知ることもできます。

ここでご紹介したことは、発掘調査成果のほんの一部です。今後の整理作業や来年度以降の発掘調査でも新たな発見があるかもしれません。その際には、また文化財だよりで速報としてご紹介しますので、どうぞお楽しみに!

みんなに話したい「わたしの好きな文化財」(34)

~路傍(道端)の仏様~ 柳川 千香子
今回、ご紹介するのは、指定文化財でもなく立派な祠や寺院に祀られてもいない、道端にひっそりと佇む仏様です。市内を歩いてみると、いかに信仰の対象物が多いことに気づかされます。風化して元の形をとどめていないお地蔵様や観音様。でも、ちゃんと花が生けられていたりするのです。それを目にするにつけ、私はその地域に暮らす人達の信仰に対する篤信に心打たれるのです。

如意輪観音

写真:如意輪観音豊岡(敷地)地区内の如意輪観音

右手を頬にあてて思惟(考える)のポーズをしているのが特徴的な観音さまです。
如意宝珠というあらゆる願いが意のままにかなう珠と、煩悩(苦悩)や迷いを打ち砕く法輪(武器)を持った、財宝と幸福をもたらす観音さまです。

道祖神

写真:道祖神豊田(中田)地区内の道祖神

道祖神は、道路や旅の神、さらには村を外からの災いや厄から守るため、村や地域の境や道の辻に造られた塞神です。
お地蔵さまの右側には、“右いけだみち”左側には“左かけつかみち”と刻まれており、道標を兼ねています。

馬頭観音

写真:馬頭観音竜洋(堀之内)地区内の馬頭観音

頭上に馬頭をいただいた、観音さまとしては珍しい憤怒の顔をしています。この形相で様々な苦悩や災難などを粉砕すると言われています。
馬が人々の暮らしのパートナーであった頃、馬の健康や馬と歩む道中の安全を祈り、馬の神様として祀られていたものです。
路傍に安置された意味や雰囲気、地域の歴史を訪ねてみるのも楽しみのひとつになるかもしれません。是非、道端の仏様にも目をむけてみてください。

磐田市歴史文書館〔福田町史編さん〕より

発掘の成果を「福田町史」へ!(調査続く元島遺跡)

写真:発掘調査が続く元島遺跡発掘調査が続く元島遺跡

元島遺跡は太田川の河川敷にある遺跡で、現在、発掘調査が行われていることをご存知でしょうか?
元島遺跡は、福田町史の編さんが行われていた当時の平成6年から平成10年にかけてと、平成13年から平成14年にかけて、(財)静岡県埋蔵文化財調査研究所によって発掘調査が行われました。今回の調査も(財)静岡県埋蔵文化財調査研究所により本格的な調査が行われています。今回の調査地点は弥生時代以降、太田川の流路(りゅうろ)にならなかった場所にあたるため遺跡が残ったのでしょう。これまでの発掘調査については、その成果を「福田町の歴史」にも掲載しましたので、ご覧頂いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回の発掘調査についても、その成果を、ぜひ「福田町史」でお知らせしたいと考えています。

資料調査にご協力をお願いします!

写真:資料調査をする町史編さん専門委員資料調査をする町史編さん専門委員

歴史文書館では福田町史の通史編を作るために、改めて、地域のみなさまに資料調査にご協力いただきたいと考えています。町史編さんにあたり様々な資料を収集させていただき、その資料から、福田町の歴史がどうであったのか、日本の歴史の中で福田町はどういう位置を占めていたのかを読み解き、歴史を正しくまとめる作業が、町史づくりであると考えています。
そのため、できる限りたくさんの資料を集め、その資料に基づき、正確な町史を作っていきたいと考えています。
みなさまより集められた資料は、歴史文書館がしっかりと記録し、後世に残していきたいと考えています。
みなさまのご協力をよろしくお願いいたします。
《連絡先》磐田市歴史文書館(磐田市竜洋支所1階) 磐田市岡729-1 電話66-9112

編集後記

早いもので本年度も残すところあと僅かとなりました。1年間ご愛読いただきありがとうございました。また、来年度も充実した紙面を目指します。引続きご愛読くださいますようお願いいたします。

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