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磐田文化財だより 第73号

(平成23年4月1日発行)

負けるなニッポン!~磐田に残る災害の記録~

負けるなニッポン!~磐田に残る災害の記録~

写真:雁代のクロマツ

雁代のクロマツ(磐田市豊浜)
太田川の左岸、海岸線に近い豊浜地区に胴回り3m、嘉永3年(1850)に植えられたクロマツがあります。集落を見下ろすこのクロマツは、安政東海地震、東南海地震や台風など数多くの災害を経験した人々を勇気づけ、また、災害から立ち直る人々の生活を見守ってきました。

平成23年3月11日、東北地方を中心とした未曾有の大震災では、激しい揺れと大津波により、太平洋沿岸の町や村が壊滅状態となり、多くの方の命が奪われました。被災した人々の多くは、今も避難所などで不自由な暮らしを強いられています。
私たちは、被災された方々・地域に対し哀悼の気持ちを伝えるとともに、失われた町や村が復興し、美しい故郷を取り戻すことを祈願しています。
私たちの先祖は、大小の災害を乗り越え、今に残る風土を作ってきました。災害の痕跡は文書、建造物、自然をはじめ「言い伝え」などで私たちに伝えられています。文化財だより第73号では、磐田市域の災害の爪痕と、それにまつわる話についてご紹介します。

災害への支援

写真:中泉救院跡の石碑中泉救院跡の石碑

東北関東大震災では、日本各地や世界各国・各地域から次々と支援が寄せられています。
被災者の救済は安政東海地震(安政元年1854)でも行われました。中泉代官の林鶴梁は、被災者救済のため、炊き出しや金や米の支給のほか、復興に伴う木材の値上げの取り締まりなどの対策にあたりました。この経験から、災害の際の窮民の救済のための制度も創設しています。この制度は慶応年間(1865~68)に廃止されましたが、明治2年(1869)、静岡藩中泉奉行の前島来助(のちの逓信大臣・前島密)の呼びかけによって、災害などで困窮している人々を救済するための施設として、救院(中泉救院)がつくられ、明治21年まで運営されました。

大正12年9月1日に発生した関東大震災では、義援の輪が全国に広がりました。富士見町自治会に保管している記録にもその様子が記されています。「九月十七日ノ浜垢離(はまごり)ヲ舟ニテ行クヲ見合セ経費一部ヲ特志ヲ以テ金拾円ヲ見付町三本松青年・壮年團支部トシテ寄付スル…」とあり、関東大震災への義援のため、船で浜垢離へ行っていたものを徒歩に切替え、その経費の一部を義援金にしたこと、支援物資の仕分けを深夜まで行ったことが記載されています。支援の輪は見付地区だけではなく、全国に及んだものと考えられます。

地震の脅威~地震の爪あと~

写真:東南海地震で脱線した貨車の車輪東南海地震で脱線した貨車の車輪写真:断層により曲がった古墳断層により曲がった古墳

磐田市で最も古い地震の記録(『続日本紀』)は、霊亀元年(715)に起こった大地震で、地震により山が崩れ、麁玉河(天竜川)を堰きとめ、数日後に決壊、水害の被害がでたというものです。その後、多くの地震の記録がありますが、安政東海地震と東南海地震(昭和19年1944)の様子は、今も語り継がれています。
噴砂の痕跡
安政東海地震により、家屋の多くが倒壊し、村々は壊滅的な被害を受けました。御殿・二之宮遺跡の発掘調査で、この地震による噴砂の痕跡が発見されました。地中からは砂に混じり、大きな石も吹き上げられ、地震の凄まじさを見せつけています。
発見された車輪
新貝地内での工事中、昭和19年12月7日に発生した東南海地震で脱線転覆した列車の車輪が発見されました。
曲がった古墳
新平山古墳群の発掘調査で、屈曲した古墳の石室(石を積み上げて作った主を葬った部屋)が発見されました。この古墳は断層の上に造られていたことから、地震により横ずれをおこしたものと考えられています。
★噴砂の標本・車輪は埋蔵文化財センターで展示しています。

日本中が東北地方の方々を応援しています。困窮している人を助けようとする心は、人の営みがある限り、絶えることなく続いていきます。ガンバレ東北! 負けるなニッポン!

市指定文化財 旧赤松家土蔵(図書蔵)整備が完成しました!

幕末~明治期に活躍した海軍中将・赤松則良の邸宅には、レンガ造りの門・塀などのほか漆喰で外装された土蔵が残されています。この建造物群は赤松家より磐田市へ寄贈され、「旧赤松家門・塀・土蔵」として、県や市の文化財(建造物)に指定されています。この中の図書蔵を、将来へ残す財産として平成19~22年度に保存修理を行い、建設当時の姿を再現いたしました。4月1日より一般公開を始めます!!是非一度、旧赤松家の図書蔵を見にいらしてください!

赤松家の図書蔵

図書蔵と呼ばれるこの蔵は大正初期に建造され、江戸初期から明治・大正にかけての貴重な書籍や資料が3,000点以上も収められていました。また、それら書籍を利用した読書会の会場にもなっていました。

図書蔵の特徴

図書蔵にはドーマー窓などに見られる西洋風の近代工法や、回転式雨戸など日本古来の伝統工法が巧みに組み合わされており見所となっています。

写真:図書蔵の特徴

小さな博物館「磐田の災害~天竜川の氾濫~」

市役所1F市民ホールの「小さな博物館」の展示が4月から変わります。

写真:天竜川洪水絵図天竜川洪水絵図 文政11年(1828)

3月11日に発生した東北関東大震災による大規模な被災は私たち磐田市民にも大きな衝撃を与えました。
磐田市域でも今後、東海地震発生による被災が予想されています。過去、磐田市域で実際に起こった大規模災害を「磐田の災害」と題した展示で紹介します。
磐田市は昔から天竜川や太田川の氾濫に悩まされ、甚大な被害を被ってきましたが、それらの被害はどのように磐田市に影響したのでしょうか?
今回、その一例として今から200年近く前に起こった天竜川の大氾濫を紹介します。

コラム ご存知ですか~見付に兎を訪ねて~ 山﨑 克巳

写真:脇本陣大三河屋門(屋根瓦の降瓦)脇本陣大三河屋門(屋根瓦の降瓦)

年頭のあいさつで主に経済界から、干支に因んで今年は飛躍する年になってほしい、という期待をこめた言葉が多く聞かれました。
歴史上において兎が登場するのは、さほど多くありません。大国主命が助けた「因幡の白兎」を思い浮かべます。
さて、市の指定文化財に兎が用いられているところを、見付で探しました。一つは「いこいの広場」に移築してあります「脇本陣大三河屋門」です。薬医門という重厚な造りの門ですが、屋根瓦の降瓦(くだりかわら)の先端に2羽の兎が一対乗せられています。意匠に変化があり、向かって右側は向かい合い、左側は1羽が振り向いています。なにか物語性を感じますが、はっきりしません。
もう一つは淡海国玉神社社殿の前に鎮座している兎です。多くの場合阿吽の狛犬の石像が置かれますが、ここには子兎を抱いたものと、毬を抱えた兎が置かれています。祭神が大国主命であることからです。
「因幡の白兎」やイソップ寓話のなかで、兎は良い印象では描かれていません。相手をだまし怠け者、そんな兎にも夢を託す、今日の社会情勢を反映しているのでしょうか。

編集後記

このたびの、東北関東大震災により、お亡くなりになられた全ての方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。1日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。

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