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磐田文化財だより 第83号

(平成24年2月1日発行)

特別史跡 遠江国分寺跡 平成23年度発掘調査報告
やはり回廊も「木装基壇」!~焼失も明らかに~

遠江国分寺跡は、奈良時代に聖武天皇が全国に建立を命じた国分寺のひとつです。平成18年度から公園の再整備に必要な資料を得るための発掘調査を行っています。平成23年度は、前年度に続いて回廊(東回廊)の調査を行いました。

写真:調査場所

回廊は、僧などが歩く廊下で、金堂(仏像(本尊)あった建物)と中門をつないでいます。昨年度の調査で「複廊」(中央に間仕切りのある廊下)である可能性が高いことがわかりました。
今年度は回廊の基壇の幅が10mほどあることや、東回廊では、軟弱な地盤に対処するため、建物の柱が建つ部分に多数の石を入れて強化を図っていることが判明しました。
また、土台そのものも「木装基壇」であることがわかりました。古代の寺を建てるときには、地盤を強化するために地下を掘りくぼめて土を幾重にも重ねて交互に積み、土台を地表面より少し高くします。これを基壇と呼びます。基壇の土は積んだだけでは崩れてしまうため、装飾を兼ねて石や瓦などで周囲を囲むのが一般的です。遠江国分寺では、これまでの塔や金堂・講堂(僧が経典を学ぶ建物)・僧房(僧の寄宿舎)の調査で、木の板を使う「木装基壇」であることがわかっていました。

写真:回廊の基壇を発掘したようす

回廊の基壇を発掘したようす

写真:回廊(複廊)のイメージ(吉川弘文館『歴史考古学大辞典』掲載の図を改変)

回廊(複廊)のイメージ
(吉川弘文館『歴史考古学大辞典』掲載の図を改変)

今回の調査により、遠江国分寺で基壇の構造が確認できた建物跡はすべて「木装基壇」という、国分寺以外の寺院を含めても、全国的にも例がない寺院であることがわかりました。

写真:回廊東側から出土した瓦回廊東側から出土した瓦

また、基壇の外側にある雨落溝などから焼土や炭などが見つかり、東回廊も火災にあったことが判明しました。遠江国分寺は、平安時代の弘仁10年(819)に火災にあったという記録(『類聚国史)』=平安時代の歴史書)があり、これまでの調査で、塔や金堂などが焼けたことが明らかとなっています。この火災は国分寺の中心部分が焼失する大規模な火災だったようです。基壇東側からは、焼けおちた回廊の屋根にあったと考えられる瓦のが一部が見つかっています。

写真:瓦の下から見つかった雨落溝(排水溝)瓦の下から見つかった雨落溝(排水溝)

この火災の後、塔や金堂・回廊などが同じ場所に再建されたようすはありません。しかし、周辺の発掘調査では平安時代中ごろまでの遺構や遺物が見つかっていることから、この火災の後も遠江国分寺は営(いとな)まれ、税で運営する官営の寺院としては平安時代中ごろまで機能していたと考えられます。

ふるさと磐田の指定文化財(7) 熊野絵巻と行興寺の宝篋印塔

今回は、「熊野絵巻」と「行興寺の宝篋印塔」を紹介します。前者は平成6年に、後者は昭和52年に旧豊田町の指定文化財となり、平成17年には磐田市指定文化財になっています。両方共、熊野の長フジ(国・県指定天然記念物)で有名な行興寺にあります。

<熊野御前と平宗盛>

写真:熊野絵巻熊野絵巻

熊野絵巻には、能の謡曲「熊野」の詞が優美な文字で書かれています。内容は、池田宿の長者の娘として生まれた熊野が、寵愛を受けていた武将、平宗盛に、年老いた母の看病のために京から故郷に帰ることを願い出る際のやりとりを謡ったものです。二人の出会いは平安時代末で、時の権力者・平清盛の子、宗盛が平治元年(1159)に遠江国司として赴任したことがきっかけであったようです。また、この話は古くは『平家物語』にも見られます。
熊野絵巻の形状は長さ8.3m幅30cmで、製作年代は室町時代後期と考えられます。寺伝によれば、謡曲「熊野」の作者・世阿弥が書いたものとも伝えられていますが、作者については別の説もあります。絵巻には、熊野や宗盛、その他大勢の人物が、素朴ながらも鮮やかで色彩豊かに描かれています。

<その後の熊野>
宗盛に許されて池田に戻った熊野でしたが、その後、源平の合戦で敗れた宗盛が処刑されてしまいます。さらに、数年で最愛の母が亡くなりました。行興寺の寺伝によれば、悲しみのあまり尼となった熊野はお堂を建立して、念仏三昧の日々を送ったと言われています。
行興寺の境内には、熊野とその母の墓とされる宝篋印塔が残されています。建立年代ははっきりしませんが、14世紀末に造られたものと考えられます。また、熊野は生前フジの木を大変愛し、行興寺の境内に植えたと伝えられています。
大好きな母やフジに囲まれて眠る熊野の心は、どんなに安らかなことでしょうか。

写真:熊野御前(左)と母(右)の墓

熊野御前(左)と母(右)の墓

写真:熊野の長フジ(国指定木)

熊野の長フジ(国指定木)

福田町史を編さんしています!

磐田市歴史文書館では、福田町史編さんにかかる資料調査をおこなっています。

写真:廻船の進水式大正9年7月 進水式(山内甚太郎家所蔵)

福田町史編さんにかかる資料調査として、歴史文書館職員が福田地区の各お宅を回っています。その中で提供いただきました資料の一部をご紹介します。

これは大正時代の廻船の進水式の様子を写したものです。静岡県統計書によると明治44年には福島村船籍の帆船が17艘、豊浜村船籍が9艘、於保村船籍が3艘ありました。
(船の名前や場所等詳しくわかりません。お分かりになりましたら情報をご提供ください。)

写真:仮装行列(山内甚太郎家所蔵)

右の写真は、昭和30年頃の六社神社の祭典でおこなわれた仮装行列の写真です。現在の六社神社の祭典ではこの仮装行列はおこなわれていませんので、当時の様子を知る大変貴重な資料です。

江戸・明治・大正時代の古文書をはじめ、昭和初期から昭和40年頃までの記録や写真、絵図、日記等ありましたらぜひ見せてください。特に、太平洋戦争前後の写真や寺子屋関係資料を探しています。これから3月頃まで調査を行う予定ですので、皆様のご協力をお願いします。

編集後記

文化財課では、展示会、講演会、講座などさまざまなイベントを行なっています。ご希望の方にはメールにてイベント情報をお送りします。bunkazai@city.iwata.lg.jp (文化財課メールアドレス)まで、『文化財情報希望』という件名にてメールを送ってください。随時情報発信いたします。

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