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磐田文化財だより 第87号

(平成24年6月1日発行)

「ふるさと歴史たんけん隊」隊員大募集!

文化財課では、市内の小学校5・6年生を対象に、ふるさとの歴史を楽しく学べる講座を開きます。遺跡の発掘体験をしたり、勾玉つくりに挑戦したり、自分だけのオリジナル土器を作ったりします。さあ!ワクワク体験してみよう!

活動予定

  とき ところ 内容
第1回 平成24年7月28日(土) 埋蔵文化財センター 埋蔵文化財センターを探検しよう
第2回 平成24年8月 市内発掘現場 遺跡を発掘しよう
第3回 平成24年9月22日(土) 埋蔵文化財センター 勾玉を作ろう
第4回 平成24年10月13日(土) 市内史跡等 市内の文化財を訪ねよう
第5回 平成24年11月3日(土) 埋蔵文化財センター 土器をつくってみよう
第6回 平成24年11月23日(祝) 埋蔵文化財センター 土器を焼こう

※第2回は、発掘現場の状況が決まり次第、直接参加者に連絡します。
※第6回は、雨天の場合、12月1日(土)に順延します。

活動内容

7月から11月まで、全6回の体験型の講座です。きっと、いままで知らなかった歴史のおもしろさを発見できますよ。

写真:発掘作業体験発掘作業を体験します

普段できない発掘体験をして、昔の人達の生活に触れてみよう。


写真:埋蔵文化財センター探検埋蔵文化財センターを探検します

いろいろなものがあるよ。埋蔵文化財センターを探検しよう。


写真:文化財をたずねます市内の文化財をたずねます

市内の文化財を訪ねて、ふるさとの歴史を身近に感じてみよう。


勾玉や、土器つくりに挑戦しよう。

写真:勾玉つくり

勾玉をつくります

写真:土器野焼き

土器を野焼きして完成させます

写真:土器野焼き

土器を野焼きして完成させます

その他

市内の文化財を訪ねて、ふるさとの歴史を身近に感じてみよう。
活動時間は、午前9時30分~11時30分です。(内容により変更有)
・費用は、1,000円です。(全6回分)
・募集人数は、25名です。(応募者多数の場合は、抽選となります)
※できるだけ、6回すべての講座に参加できる方を募集します。

申し込み先:文化財課(埋蔵文化財センター)Tel 0538-32-9699
申し込み期間:平成24年6月15日(金)から7月6日(金) 8:30~17:15(土日除く)

新シリーズ 緑ケ丘霊園の「巧勲之(こうくんの)碑(ひ)」(前篇)

身近な地域の歴史をお楽しみください。

いわたのこんなおはなし(磐田中部編)

写真:石碑群全景石碑群全景

東大久保にある市営緑ケ丘霊園の一隅に、「功勲之(こうくんの)碑(ひ)」という石碑があります。
この一隅には、大小合わせて12の石碑が、あたかも、中国の景勝地桂(けい)林(りん)を連想させるようにそびえ立っています。
緑ケ丘霊園は、昭和40年に市有地となったことから、それ以降移設されたと考えられます。
石碑の全体の配置を見ると、最も奥まったところに「忠魂(ちゅうこん)碑(ひ)」(※1)が建ち、全体に均衡が図られた配置をしていることから、また、石碑の基礎となる石材が 細(さい)礫岩(れきがん)(※2)と共通していることから、計画的にしかも短期間に移設されたものと考えられます。
今回紹介する石碑は、高さ3.2m、最大幅1.3m、厚さ17cmを測る明治時代の学者であり軍人であった市川紀元(きげん)二(じ)の功績をたたえて、明治40年に建てられたものです。
市川紀元二は、明治6年中泉に生まれました。その詳しい人物像や石碑の内容については、次号で紹介します。

(※1)忠魂碑:戦死者の供養のために建立された碑

(※2)細礫岩:細かい礫を含んだ堆積岩(たいせきがん)(岩石)のこと。

ふるさと磐田の指定文化財(11) 阿多古山(あたごさん)一里塚(いちりづか)

第11回は、昭和42(1967)年11月3日に旧磐田市の文化財(史跡)に、平成17(2005)年11月21日に新磐田市の文化財(史跡)に指定された、阿多古山一里塚を紹介します。

<一里塚の誕生>

写真:愛宕一里塚案内図愛宕一里塚案内図
秋葉バスサービス見付天神入口下車
遠鉄バス見付下車

今春、新たに交通の大動脈となる新東名高速道路が静岡県内で開通し、東海道があらためて注目を集めています。その東海道が、関東と関西を結ぶ交通・物流の大動脈となった背景には、徳川家康の存在がありました。
関ヶ原合戦後、全国の大名を支配下に治めた家康は慶長6(1601)年に東海道の宿を定め、人々の往来を活発にさせました。さらに、同9年に、二代将軍・秀忠が、距離の目印として東海道などの主要街道の両側に一里塚を築かせました。


<阿多古山一里塚>

写真:南側の阿多古山一里塚南側の阿多古山一里塚

阿多古山一里塚は、見付宿の東の入口にあたる愛宕(あたご)神社の裏手と、街道を隔てた北側に築かれました。一里塚は1里(約4km)毎に築かれ、駕籠(かご)や荷物を運ぶ料金の目安としても利用されました。形状は、5間(約9m)四方の土台部に高さ2~3mの円形の小山を築いたもので、塚の上には榎(えのき)や松が植えられました。木陰は旅人達の休憩所ともなりました。阿多古山一里塚は、盛土の一部は流出しているものの、手が加えられることなく、旧状を留めています。
また、愛宕神社境内からは見付のまちが良く見えますので、一里塚にお立ち寄りの際は、ぜひご覧下さい。


<復元されたもう1つの一里塚>

写真:宮之一色一里塚宮之一色一里塚

市内には宮之一色(みやのいっしき)にも一里塚があります。この一里塚は現在の県道261号線(旧国道)の北側にあり、昭和46年に復元されたものですが、古い記録から、この付近にあったことがわかっています。
また、周辺では、旧東海道の松並木が見られます。この付近は見付宿と天竜川の渡船場であった池田とのほぼ中間にあたり、多くの人々が行き交ったことでしょう。なお、街道に松を植えさせたのも家康です。
(交通案内)宮之一色一里塚…遠鉄バス下万能バス停前

ザ・ロード・トゥ・あきはさん その1

秋葉山は防火の神様として全国に知られ、遠州地方はそのお膝元として特に遺跡が残っています。でも、なぜそんなに秋葉山が有名なのでしょうか…

そもそもあきはさんとは?

「秋葉山」とは浜松市天竜区春野町にある標高866mの山です。この山そのものや、そこに飛来したという「秋葉(あきは)三尺坊(さんじゃくぼう)大権現(だいごんげん)」をまつるのが「秋葉信仰」と呼ばれるものです。

大ブレークのきっかけ

貞(じょう)享(きょう)2年(1685)に遠州地方の人々が中心となって「貞享の秋葉祭」が行われました。この祭りのようすははっきりとはわかっていませんが、民衆が多く集まって騒ぐのを警戒した幕府は、こうした祭りを禁止しました。しかし、この祭りが大ブレークのきっかけとなり、後には大名や皇族も信仰するようになりました。江戸時代後期には全国的な旅行スポットとして、「お伊勢参り」と並んで多くの人々が参詣するようになりました。

人によって違う「あきは」

写真:秋葉神社(新開)秋葉神社(新開)

ただ「秋葉山」と言っても、明治時代の神仏分離令以降は神道の「秋葉神社」と仏教の「秋葉寺」に分かれ、また袋井市の可睡斎も「秋葉総本殿」を名乗っています。静岡市清水区にも「秋葉寺」がありますし、秋葉神社も浜松市中区などにあり、どの「あきは」にお参りするかは人によってさまざまなのです。市内には新開や掛塚、東名などに「秋葉神社」があります。上神増には秋葉灯篭の横に鳥居があり、ここから秋葉山を遠く拝んだのだと思われます。
どの「あきは」かはともかく、人々が防火を祈る気持ちは同じですね。


写真:鳥居と秋葉灯篭(上神増)

鳥居と秋葉灯篭(上神増)

写真:秋葉神社(掛塚・新町)

秋葉神社(掛塚・新町)

写真:秋葉神社(東名)

秋葉神社(東名)

編集後記

今月号から、不定期ではありますが、新しいシリーズが2つはじまります。私たちの身近にある物や事柄のいろいろな歴史を語ってゆきます。お楽しみに。

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