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磐田文化財だより 第88号

(平成24年7月1日発行)

文化財課夏の企画展を開催します

写真:黄泉の世界 磐田の後期古墳

今年のテーマは磐田の後期古墳!!

磐田市には、900を超える古墳があるって、知っていましたか?その多くは、古墳時代後期(6世紀から7世紀頃)に造られた小型の古墳です。近年の発掘調査により、そこに葬られていた品々、鉄製の刀・玉類・須恵器などが多数発見されました。その中から今回初めて公開するものを中心に展示します。

古墳の石室を模型で復元します!

写真:甑塚古墳の石室内の様子甑塚古墳の石室内の様子

古墳時代後期のはじめに築造された、甑(こしき)塚古墳は、静岡県内で最も早く横穴式石室※を取り入れて造られました。その石室内の様子を実物大模型で復元展示します。
※墳丘側面に入口のある、人を埋葬した石組の部屋

市内には古墳がいっぱい!

磐田原台地や、豊岡地区は古墳の密集地帯。あなたのお住まいの地域でも古墳が発見されているかもしれません。

<記念講演会>
日時:8月26日(日)14:00~16:00
会場:磐田市立中央図書館 2F 視聴覚室
演題:「横穴式石室の世界―磐田の後期古墳を考えるために―」
講師:土生田(はぶた) 純之(よしゆき) 氏 (専修大学文学部教授)
定員:150名 入場無料
申し込み 磐田市文化財課 TEL.0538-32-9699
(7月30日より受付開始8:30~17:15まで土・日休み)

緑ケ丘霊園の「巧勲之(こうくんの)碑(ひ)」(後篇)

いわたのこんなおはなし(磐田中部編)
だより87号掲載の前篇に引きつづきお楽しみください。

写真:「功勲之碑」「功勲之碑」

東大久保の市営緑ケ丘霊園にある、「功勲之碑」は、中泉に生まれた学者であり、軍人であった市川紀元二の功績をたたえ建立されました。
市川紀元二は、明治37年、日露戦争が勃発(ぼっぱつ)すると、「直チニ筆ヲ擲(なげう)チテ軍ニ従ヒ、南山戦闘以来各所ニ転戦シ、・・・」(中泉町誌抜粋)とあります。活躍が評価され、従七位中尉に任じられましたが、明治38年3月敵弾に倒れました。享年33歳の若さでした。郷里の人たちは、市川公園を造り、銅像を建立して顕彰(けんしょう)に努めました。今日、銅像の脇に建てられていた石碑だけが、緑ケ丘霊園に移され、当初の目的であった「名前を永久に伝え千歳に朽ちない」の役割を果たし続けています。
この石碑の正面には、題額を書いた大久保春野の名前があり、裏面には石碑建立の寄付者名と発起人の名前が刻まれています。
当時の政財界や軍部を代表する前島密(ひそか)、渋沢榮一(えいいち)、奥保鞏(やすかた)、寺内正毅(まさたけ)といった人々や、赤松則良(のりよし)、大久保春野、青山宙平など、当時の磐田地域に貢献した人々の名前があります。
一つ一つの名前を追っていくうちに、石碑が建立された経緯を知るにつけ、感動に体が震えました。

ふるさと磐田の指定文化財(12)
浅間神社本殿(せんげんじんじゃほんでん)とヤマモモ

今回は、昭和42(1967)年11月3日に旧福田町の文化財(建造物・天然記念物)に、平成17(2005)年11月21日に新磐田市の文化財(同)に指定された、磐田市大原にある「浅間神社本殿」とこの神社の境内にある「浅間神社のヤマモモ」の木を紹介します。

<浅間神社とは?>

写真:浅間神社(拝殿)浅間神社(拝殿)

浅間神社を名乗る神社は全国に約1,300箇所あり、市内にも3箇所(中泉・小島・大原)あります。富士山本宮浅間大社(富士宮市)を総本宮とし、多くが富士山の見えるところに位置しています。元々は富士山を山の神としてまつり、江戸時代以降は「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」(日本書記などの神話に登場する女神)を祭神としています。浅間は「あさま」ともよまれ、火山を意味する古語といわれています。

<浅間神社本殿>

写真:浅間神社の本殿浅間神社の本殿

「浅間神社本殿」は、今ノ浦川右岸の磐田市大原にあります。言い伝えによれば、大原の集落が室町時代の大永(だいえい)年間(1521~1528)に開発され、その際に駿河国の富士浅間を勧請(かんじょう)して建てられたといわれています。
現在の拝殿(はいでん)は昭和11年(1936)に建て替えられたもので、この拝殿の中に本殿があります。本殿は大正4年(1915)に再建されたものですが、材はケヤキを用い、屋根は※杮葺(こけらぶ)きです。江戸時代の工法を受け継いだ造りをしています。
※薄い木片を重ねて敷き詰めた屋根

<浅間神社のヤマモモ>

写真:浅間神社のヤマモモ浅間神社のヤマモモ

ヤマモモは、関東以西の暖地に自生する常緑の高木です。樹皮は灰白色で、古い木になると縦に裂け目ができます。葉は革質で細く、小さな桃色の花が4月ごろに咲き、甘酸っぱい黒赤色の実が6月ごろに熟します。樹皮は褐色の染料となります。
浅間神社の鳥居の脇にあるヤマモモの木は目通(めどお)り(人の目の高さで測った幹の周囲の長さ)が約4m、高さは約12mあります。「お宮のヤマモモ」として、地域で親しまれてきました。
行き方:磐田駅より遠鉄バス「大原西」下車徒歩1分

新シリーズ「秋葉山」(全3回)ザ・ロード・トゥ・あきはさん その2

秋葉山は防火の神様として全国に知られ、遠州地方はお膝元として特に遺跡が残っています。そのひとつ、秋葉山常夜灯はみなさんの身近にあり、親しみのあるものではないでしょうか。今回はこの秋葉山常夜灯についてご紹介します。

なぜ造られた?

市内には約120箇所の秋葉山常夜灯が残っています。見付地区・福田地区や長野地区には、特に多くの常夜灯が見られます。
秋葉山常夜灯には、秋葉山にお参りする旅人が道に迷わないための道標(みちしるべ)と、町内が火災にあわないように、というふたつの目的があったようです。

いつごろ、どういう場所に?

写真:池田(寛政9年)池田(寛政9年)

秋葉参りが盛んになった江戸時代後期以降に多く造られ、現存するものとしては、市内では上野部(安永9年〔1780〕)、池田(寛政9年〔1797〕)、下大之郷(文化2年〔1805〕)などが古いものです。「あきはみち」と呼ばれた参道や東海道などの主要な道沿いに造られたもの、お寺・神社の常夜灯を兼ねたものなど、さまざまな場所に見られます。

写真:上野部(安永9年)上野部(安永9年)

いろんな形があるようだけど…?

写真:角柱状の例 福田10・11・12番組角柱状の例 福田10・11・12番組

常夜灯はさまざまな形をしています。石灯篭の形をしたものと、灯篭を小さな社で覆った鞘(さや)堂(竜灯)が代表的なものです(実際には中身の灯篭がないものも多く見られます)。見付にある青銅製の灯篭はたいへん珍しいものです。その他、大正末期から昭和30年代くらいにかけて、角柱に近い形のものも造られたようです。角柱状のものは県内でも市内周辺にしかなく、磐田市の特徴と言えるのではないでしょうか。

写真:見付・宿町(青銅製)見付・宿町(青銅製)

編集後記

7月に入り、暑さもこれからが本番です。休みを利用して、身近な地域の歴史をひもといてみませんか。文化財課では、今後も様々な地域に密着した情報を発信してゆきます。

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