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磐田文化財だより 第92号

上坂上(かみさかうえ)古墳群発掘調査報告

平成24年7月から8月にかけて、高見丘(たかみがおか)地内にある上坂上(かみさかうえ)古墳群内の新発見の古墳、上坂上7号墳を畑地改良工事に伴い発掘調査しました。その成果について報告します。

写真:古墳とその周辺(北から撮影)
古墳とその周辺(北から撮影)

★調査地域とその周辺

上坂上古墳群は、磐田原台地の西縁にあたり、上坂上7号墳はその東端にあります。大型ショッピングセンター「ららぽーと磐田」から約300m北西側に位置しています。
この古墳群の周辺の様子を見ると、人物埴輪が出土したとされる推定全長30mの前方後円墳・上坂上C古墳などが分布する他、東名高速道路を挟んで南側に広がる広野地区では、青銅鏡2面(伝広野出土獣帯鏡(じゅうたいきょう)、変形方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)。共に磐田市指定文化財)が採集されています。こうしたことから、上坂上古墳群一帯では、古墳時代中期後半から後期前半にかけて(約1,500年前)磐田原台地西部を代表するような有力な古墳が築かれたことが分かっています。
造られた当時は、大きな塚が見えていたのでしょうが、長い年月の間に土が流れ塚も見えなくなったのでしょう。

★7号墳の形

写真:真上から撮影した古墳(上が北)真上から撮影した古墳(上が北)

上坂上7号墳は、周溝(しゅうこう)(古墳の周りの溝)の形から、円墳であること、大きさは直径約17mであることがわかりました。
また、黒色の土が分布しているところは、盛土が残っていた範囲です。上部は残っていませんでしたが、茶畑の開墾などで盛土が全て失われていることが多い磐田原台地上の古墳の中では、貴重な検出例となりました。

★古墳への入口か!?

上坂上7号墳は、周溝(しゅうこう)(古墳の周りの溝)の形から、円墳であること、大きさは直径約17mであることがわかりました。
また、黒色の土が分布しているところは、盛土が残っていた範囲です。上部は残っていませんでしたが、茶畑の開墾などで盛土が全て失われていることが多い磐田原台地上の古墳の中では、貴重な検出例となりました。


~文化財課からのおしらせ~

写真:八王子神社米とぎまつり(磐田市)八王子神社米とぎまつり(磐田市)

『遠江の祭礼と民俗行事』展

(遠江歴史文化ネットワーク共催)

11月16日(金)から29日(木)まで、磐田市役所本庁舎1階展示ブースで静岡県の大井川以西(昔「遠江」と呼ばれていた地域)の市町の文化財担当課によるネットワークとの共催で、これらの地域の祭礼や民俗行事について展示をします。市役所開庁時間内(平日8:30~17:15)にどなたでもご覧いただけます。市役所に御用の際に、ちょっと覗(のぞ)いてみてください。

ふるさと磐田の指定・登録文化財(15)
澄水山(ちょうすいざん)古墳と静岡県立磐田農業高等学校記念館

今回は、磐田農業高校の敷地内にある澄水山古墳と同校の記念館を紹介します。

澄水山古墳

写真:澄水山古墳澄水山古墳

旧磐田市記念物(史跡) 昭和45(1970)年11月3日指定
新磐田市記念物(史跡) 平成17(2005)年11月21日指定

農業高校の正門近くにある、市内ではたいへん珍しい帆立貝(ほたてがい)の形の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。直径約45mの後円部の東側に長さ約10m、幅約36mの前方部が付きます。後円部は上下二段に造られ、高さは約5mあります。墳丘(ふんきゅう)のところどころに拳(こぶし)大の石が見られることから、葺石(ふきいし)と呼ばれる石が、墳丘の土の崩落防止と装飾のために古墳の表面に葺(ふ)かれていたと思われます。戦時中、後円部に防空壕(ぼうくうごう)が掘られ、この際に円筒(えんとう)埴輪(はにわ)や大刀(たち)などの鉄製品が出土したと伝えられています。埴輪や古墳の形状から、約1,600年前の5世紀前半に造られた有力者の墓と考えられます。

写真:澄水山古墳澄水山古墳


静岡県立磐田農業高等学校記念館

国登録有形文化財 平成13(2001)年10月12日登録

写真:磐田農業高等学校記念館磐田農業高等学校記念館

記念館は、県立農学校が創立10周年を契機として見付から中泉に移転する際に、講堂として明治42(1909)年に建築されました。 木造平屋建てで、間口(まぐち)12m、奥行(おくゆ)き17.5mあります。屋根は寄(よ)せ棟(むね)造りの瓦葺(がわらぶ)き、外壁には雨が入らないように下見(したみ)板(いた)と呼ばれる横板が張られ、上げ下げ窓がつくという、和洋折衷(わようせっちゅう)の建物です。内部は天井が高く、稲穂のレリーフがついています。
昭和51(1976)年に記念館として整備され、内部には同校の歴史を物語る文書や品物などの資料が保管されています。
明治後期の公立学校建築のようすがわかる建物として、市内で第1号の登録文化財となりました。

※磐田農業高校では、11/10(土)に澄水祭(文化祭)を開催する予定です。9:00~14:30まで記念館を一般公開します。澄水山古墳も併せてご覧いただけます。
※磐田農業高校へは、JR東海道線磐田駅北口から徒歩8分(700m)です。


福田町史展ただいま開催中!

歴史文書館では、福田町史の編さんのため寄せられた数々の資料の中から、資料調査のすすんだものを中心に展示しています。

写真:磐田農業高等学校記念館

元島遺跡からわかった中世の福田の様子や、江戸時代の古文書等の多くの資料、みなさんの戦時体験や若き日の就労の想い出など貴重な体験を、懐かしい写真とともにご紹介しています。
福田町史は、来年平成25年度に資料編Ⅵの発行を予定しています。資料調査は平成27年 の通史編発行まで続けていきます。また、新たな事実が掘り起こされるかもしれません。


写真:磐田農業高等学校記念館

全6テーマで展示しています

①福田のあけぼの 遠江の源流・元島遺跡
②福田の村と湊と人々 検地・領主・年貢・湊
③祈りと宗教 社寺・修験・講
④近代産業の発展 漁業・養鰻・織物
⑤戦争の爪あと 空襲被害・満蒙開拓
⑥戦前・戦後の暮らし 町の情景・人々の営み

平成24年10月12日(金)~12月2日(日)
午前9時~午後5時(月曜日・第2日曜日は休館)福田公民館展示ホール
主催:磐田市歴史文書館(磐田市岡729-1 電話66-9112)

コラム 「やんぞうこんぞう」 飯田 訓子

写真:訪問歴史教室訪問歴史教室

私の住んでいる岩田地区では「ホソバ(イヌマキ)の生垣」のあるお宅がたくさんあります。天竜川に面した西側の地域では古来より「遠州のからっ風」として知られる強い偏西風を防ぐため、防風林としてホソバ(イヌマキ)の生垣が多く見られます。
私が子供のころ、そのホソバに出来た実を「やんぞうこんぞう」と呼んでよく食べました。緑と赤い実がくっついていて、赤い実の方だけ食べると甘酸っぱい味がします。今食べてみると美味しいとは言えるかどうか・・子供のころはそれも楽しい遊びのひとつだったのですね。
「やんぞうこんぞう」とは、遠州の方言で、「弥蔵小僧」とも言うそうで、一説には弥蔵が小僧を背負っているように見えることから、この言い方になったそうです。そもそも弥蔵って誰だろう?弥蔵が赤い実で、小僧が緑の実?と新たなナゾも浮かびながら、あの頃の私と同じ歳になった我が子と、今日もホソバの周りを散策しています。

編集後記

11月は紅葉の季節。朝夕だんだんと冷え込むようになると、からだは大変ですが、野山の紅葉は一層美しさを増します。みなさんのご近所の鎮守の森にも美しい紅葉の季節が訪れていることでしょう。

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