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磐田文化財だより 第94号

文化財課冬の企画展

写真:古墳とその周辺(北から撮影)

何気なく通る道にたたずむ野仏や神社の片隅に建つ石碑の歴史やいわれをご存知ですか?
私たちの暮らしは「石」とどう関わってきたのでしょうか。遺跡からの出土資料や市内に残る石造物をご紹介しながら探っていきます。

開催期間/平成25年2月2日(土)~2月17日(日)
開館時間/9:30~17:30
休館日/月曜日
会場/磐田市立豊田図書館展示

「石頭」「石の上にも三年」などのように、硬くて冷たいというイメージの「石」ですが、私たちは古くからこの石を生活に取り入れ暮らしてきました。展示会では、さまざまな角度から石の利用法を探り、私たちとの関わりを紹介します。

人々と石の歴史

写真:地図
池端前遺跡(大藤)出土の石皿と敲石。
堅い木の実等をすりつぶす道具。(旧石器時代)

石は古くから刃物として、また、すりつぶす道具(石器)等として使われてきました。旧石器時代~弥生時代(約20,000年前~約2,000年前)の人々にとって大変重要な生活の道具でした。古墳時代(約1500年前)には身分の高い人のアクセサリーとして美しい石が用いられ、古墳の埋葬施設にも石が使われました。


民俗資料として残る石の道具

写真:石臼石臼

昔はどの家庭にもあったという石臼(いしうす)が石の道具の代表格でしょう。上臼と下臼を重ね合わせ、上臼の穴から小麦、米、豆、ソバなどの穀粒を落として上臼を回転させ製粉する道具です。


建物素材・庭園・記念碑につかわれた石

写真:伊豆石で造られた蔵伊豆石で造られた蔵

石はその硬さや重さを利用して建物の素材に利用されてきました。江戸~明治時代にかけて、伊豆半島の海岸沿いで切り出された「伊豆石」が掛塚湊経由で持ち込まれ、市内各所には伊豆石を利用した蔵や塀が残っています。また、各地にはその地域の発展に力を尽くした人物などの記念碑が残り、ふるさとの歴史を物語っています。お寺の庭園では自然石を巧みに組み合わせた庭園が造られています。

写真:医王寺(鎌田)の庭園医王寺(鎌田)の庭園


信仰とかかわる石

写真:下野部の馬頭観音には「右秋葉山」「左いけた」と刻まれています。下野部の馬頭観音には
「右秋葉山」「左いけた」
と刻まれています。

お寺や神社へお参りすると、灯籠(とうろう)、鳥居、石仏、狛犬(こまいぬ)、手水(ちょうず)石などを目にしますが、これらは人々のさまざまな願いを込めて造られ、地元の人たちから寄進されたものです。また道端には道祖神(どうそじん)(旅人や村人を守る神)や道標を兼ねている石仏などもあり、市内各地には庶民の信仰の産物である石造物が数多く残っています。


石に刻まれた歴史を知ることはふるさとの歴史を知ることです。ぜひ展示会場で「石の世界」に触れてください!

ふるさと磐田の指定文化財(17) 蓮覚寺(れんかくじ)山門

第17回は、平成元年(1989)9月16日に旧竜洋町の文化財(建造物)に、平成17年(2005)11月21日に新磐田市の文化財(建造物)として指定された、蓮覚寺山門を紹介します。

平家ゆかりの寺、蓮覚寺

写真:蓮覚寺本堂蓮覚寺本堂

蓮覚寺は、平清盛(きよもり)の長子、平重盛(しげもり)が遠江守(とおとうみのかみ)として、見付の国府在任中の安元元年(1175)に開いた寺だと伝えられています。2度の火災で焼失したため、現在地に移転し、文化13年(1816)に現在の本堂が再建されました。本堂の天井板は、張り替えられていますが、梁は再建当時のままの古いものが残されています。また、本堂の祭壇には、重盛の位牌が安置されています。


蓮覚寺山門

天保13年(1842)建立の蓮覚寺山門は、竜洋地区で最大最古の山門で、薬医(やくい)門という様式です。薬医門というのは、前方と後方に2本ずつ、計4本の柱で屋根を支える形の門で、本柱が門の中心線から前にあります。おもに公卿や武家屋敷のほか寺門に比較的多いとされます。明治時代までは茅葺であったようですが、その後瓦葺に代わりました。屋根には鯱(しゃち)と獅子(しし)と牡丹(ぼたん)の飾り瓦、頂部には浪模様が施されていて大変優美です。なお、両袖の塀は昭和35年頃板塀から土塀に改装されました。

写真:鯱/牡丹/獅子/蓮覚寺山門

この門は、掛塚の大工小栗伝吉により天保13年(1842)に建立されました。掛塚の大工たちは、進んだ建築技術をいち早く取り入れ習得して代々その技術を受け継いでいたようです。後に掛塚屋台が地元大工らによって造られてゆく素地となっていったのかもしれません。
写真:地図


お詫びと訂正
「いわた文化財だより」第93号(12月1日号)に掲載しました、ふるさと磐田の指定部文化財(16)中野白山神社十日祭(お箱)を紹介する文章の中で、表記に誤りがありました。深くお詫びし、下記のとおり訂正いたします。
午王宝印(ごおうほういん)→ 牛王宝印(ごおうほういん)

磐田のこんなおはなし(南部編)
前野の濡(ぬ)れ地蔵

旧蓮花寺の境内には、濡れ地蔵と呼ばれる地蔵があります。
火災で蓮花寺の観音堂が類焼(るいしょう)したため、火災の火元となった家が中心となり災難除の地蔵を建立したと伝えられています。
濡れ地蔵の名には、この地蔵がお堂を持たず雨に濡れることから、「水」をかけて火災がおこらないようにとの願いが込められているようです。

青銅造りの地蔵

写真:濡れ地蔵*鋳物師…鉄、銅を高い温度で熱して液体にしたあと、
型に流し込み冷やして目的の形状に固める職人

濡れ地蔵は高さ135cmほどですが、石の台座を含めると高さ3mにもなります。市内の青銅製の仏像としては最も大きなものになります。
腰の部分に「尾州名古屋 治工 加藤忠右衛門」と刻まれており、名古屋の鋳物師(いもじ)が造ったものであることもわかります。なぜ、遠方の方に依頼したのかはっきりしませんが、中心となった家が、当時伊勢尾張方面や江戸方面と手広く回船業を営んでいたことに関係しているようです。


江戸時代の地蔵

写真:お地蔵さん後ろ

お地蔵さんの後ろにまわると左肩に、「寛政4年壬子(みずのえね)」の文字があり、1792年に建立されたことがわかります。
また、蓮弁(台座になっているハスの花弁)には多くの人達の法名が刻み込まれています。法名には前野村の人達だけでなく、近隣の村の人達の名もあり、多くの人達が先祖の供養や村の安全を祈願したことがわかります。
太平洋戦争時における金属供出の難を逃れ、江戸中期から今日までの蓮花寺の盛衰(せいすい)を見続けてきた濡れ地蔵は、廃寺となったあとも寺跡に安置されており、信仰の対象となっています。


編集後記

新年明けましておめでとうございます。初詣で神社仏閣を訪れる機会が増える季節です。お宮お寺は歴史の宝庫。小さな石造物にもいろいろなお話がつまっています。廻ってみるのも楽しいものです。

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