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磐田文化財だより 第106号

文化財課 冬の企画展を開催します
千客萬来 ~いわたの商店と明治・大正・昭和期の広告~

千客萬来 ~いわたの商店と明治・大正・昭和期の広告~

平成26年2月8日(土)~2月23日(日)
磐田市立豊田図書館 展示室(磐田市上新屋304)
月曜休館 入場無料
午前9:30~午後5:30

皆さんは、明治~昭和前期の市内の商店について知っていますか?
企画展では、古写真や商売に関わった物等を展示し、当時の商店の姿や商売の様子について紹介します。ちょっとレトロな雰囲気を、一緒に感じてみませんか。

今回は、広告や商品の包装紙、看板などの展示をメインとし、明治~昭和前期の商店のPR方法について焦点を当てていきます。その中で、当時の商店がPRの際、どのような工夫を凝らしていたのか、という点についても紹介していきます。

見付にあった商店の看板

看板 看板は、店名を表示する「商店の顔」として、また、商品を宣伝する道具として、古来より商店に欠かせないものでした。江戸時代には、江戸や大阪などの都市部の商店などで大いに用いられました。明治時代になると、地方においても徐々にカラフルなものが使われるようになりました。また、材質も、次第に、木彫り看板や板に顔料で文字や絵を描いたものから、ブリキやトタンなどの薄鉄板にペンキで描いたものが多くなっていきます。右の看板は、見付の商店で用いられた木製品で、黒く塗った表面を削り、金色で文字を表現しています。


見付にあった商店の引札

広告 明治時代には、商業の発展を受けて、江戸時代の浮世絵の影響を受けた引札という広告が盛んに作られるようになります。引札とは、客に配布するために作られた一枚刷りの広告のことです。
引札は、正月に配られることが多く、左の図絵のように商売の神である大黒様や恵比須様が描かれたり、表紙の図絵のように、カレンダーが入れられたりしました。
色鮮やかで、当時の人の目を引いたことでしょう。


市内各所の地名が入った徳利

商品に見られる工夫 看板や広告以外にも、商店は商品をPRするために様々な工夫を凝らしました。商品を派手な包装紙で包んだり、販売促進のための様々なグッズを作り出したりすることも、その一環です。また、右の徳利のように、客に貸し出した容器に、酒店の店名や所在地、電話番号などを記載することも行われました。


看板や引札を見るだけで、当時の商店の華やかさが伝わってきます。
また、あなたがお住まいの町の名前が入った徳利もあるかもしれません。
その他、いろいろな展示品をそろえて会場でお待ちしています。
あなたも展示会に、足を運んでみませんか!?

“平成の大修理”いよいよ始まる! 淡海国玉(おうみくにたま)神社社殿

市指定文化財の淡海国玉神社社殿(見付)は一昨年の台風で本殿が損壊し、今年度から修理工事を行っています。期せずして、旧遠江国の総社として市を代表する神社が大がかりな修理をされることになりました。今回は、修理工事が進んでいる淡海国玉神社の工事現場をのぞいてみましょう。
(時期を同じくして、県指定文化財・府八幡宮楼門(中泉)も部材が老朽化し、解体修理が決まりました。こちらについては、工事が始まりましたら、またご紹介させていただきます。)

屋根の骨組み

屋根が見えてきた(7月撮影)
屋根の表面の檜皮(ひわだ)(ヒノキの皮)を剥(は)がすと、屋根の基本的な形が見えてきます。曲面を作った苦労の跡がわかります。何度か大がかりな修理が行われているので、いつ、どのような修理工事が行われたのか、その履歴を調べることが大事です。現在はこの屋根も外され、柱が見えています。


明暦の擬宝珠(ぎぼし)発見

本殿の内部、擬宝珠の年号

本殿に入る手前の橋の欄干(らんかん)に、銅でできた擬宝珠があり、「願主 袋井 田代八郎左衛門吉次 明暦三丁酉年」と書かれています。これによって、この建物が1657年に作られたことがわかります。


獅子飾り

本殿の内部
本殿には畳敷きのスペースがあり、その奥が神様の部屋になっています。上部には金箔を施した彫刻も見られます。

その他にも…
屋根の近くにあった、獅子の飾りでしょうか。建てられた時期に近いものか、かなり風化が進んでいます。
今後、26年度までの2年間をかけて修理工事を行う予定です。皆様にも、見学会などを通じて新しい調査成果をお伝えしてまいります。


淡海国玉神社の古写真

淡海国玉神社地図

おねがい
市では淡海国玉神社の古写真を探しています。左の写真は大正2~3年頃の絵葉書ですが、昭和50年くらいまでの本殿が写っている写真がありましたら、ぜひお貸しください。


工事中は危険ですので現地への立ち入りや見学はできません。
みなさまのご理解とご協力をお願いします。

文書館だより

磐田市歴史文書館(竜洋支所内) 磐田市岡729-1 電話66-9112

天竜川水害被害状況絵図 天竜川水害被害状況絵図
※歴史文書館所蔵(A家より寄贈)

昨年、豊岡地区にあるA家の資料を調査しました。A家は、村の庄屋を代々務め、古文書がたくさん残っていました。天竜川の中州にあったA家の古文書の一部は、水害の痕跡(こんせき)が残るものもありました。古文書は、家の建て替え、代替わり、洪水の多い地区では流されたことなどが原因でなくなってしまうことがあります。「梁(はり)の上の、箱の中に入っていた。昔の衆らが流されちゃいかんと思って、上に置いただらね。」というお話をAさんから聞きました。先代の、役職への責任感や記録に対する思いと、Aさんが資料を大切に引き継いでくださったこと、A家菩提寺のご住職がA家の資料を大切に保管されていたことなど、多くの方の思いが集結して、貴重な資料が現代に残りました。昨夏に開催した企画展では、A家から寄贈された古文書(右)を展示しました。慶応4年の天竜川水害被害状況絵図でしたが、天竜川がどのような被害を家々に与えたのかを、百年以上経った今でも見ることができ、村の苦労が感じられるとともに、村の歴史がわかります。
各家の古文書などは、その家の歴史がわかるだけではなく、所蔵者がお住まいの地区の歴史につながっているともいえます。今では、地区がたくさん集結し、市町村を形成していますので、古文書は磐田市の歴史を表しているといえるでしょう。


コラム 「午年ですね!今年もよろしくお願いします!」 山室淳子

現在も豊岡地区で飼われている馬現在も豊岡地区で飼われている馬
(名:ヒカリレオ)

私が生まれ育った旧豊岡村広瀬地区は、「池神競馬」と呼ばれた農耕馬による草競馬が行われていた土地でした。一丁池の周りを馬が走り、戦中生まれの父や叔父が「子どもの時、楽しみだった」というくらい、戦後のある年代までは続いていたと聞いています。今は、池もなくなり、馬の逃げ込んだ松林もなく、当時の面影はありませんが、方々から人々が集まりたいへん賑やかだったそうです。

草競馬の様子

さて、昭和54年ごろ、現 豊岡学校給食センター北側一帯で4回ほど草競馬が行われたことがありました。当時、旧豊岡村では馬(サラブレッド)を飼っていた家が何軒かあり、その有志で、草競馬を行ったそうです。小学生だった私は、松林の中で休憩している馬を見たり、叔父が騎乗する馬を応援したりしました。馬の走る姿が美しかったことを今でも覚えています。この草競馬も、残念ながら開催場所には当時の面影はありません。
なお、豊岡村の草競馬は、昭和54年、NHKテレビ「あなたの町から30分」で紹介されました。ゲストは、歌手の小林幸子さんでした(参考「広報とよおか」)。


編集後記

あけましておめでとうございます。本年も、皆様に興味をもっていただける文化財だよりの編集をめざして勉強させていただきますので、よろしくお願いいたします。冬の企画展では、明治・大正時代の商店の引札の展示もします。当時の人々の目を楽しませた色鮮やかで美しい絵、今見てもこころ惹かれるセンスのよさを、ぜひご覧ください。

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