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磐田文化財だより 第107号

歴史文書館 第12回企画展『近世からの和書』開催中!
昔、磐田の人たちはどんな本で学んだか?

昔、磐田の人たちはどんな本で学んだか?

【開催期間】
平成26年2月28日(金)まで(土・日・祝日は休館)
9:00~17:00(入館は16:30まで)
【会場】
磐田市竜洋支所2階
歴史文書館展示室(磐田市岡729-1) TEL (0538)66-9112

地域の皆様から寄贈された貴重な古書籍2,000冊の中から、地元にゆかりの40点余を選び展示しています。
江戸~明治時代、当時の磐田の人々の学びを追体験してみませんか。

攘夷(じょうい)論から国学(※1)

賀茂真淵(かものまぶち)に始まる遠州国学は、この地域に多くの国学者を生み、地元の神官などにも大きな影響を与えました。見付にある淡海国玉(おうみくにたま)神社の神官、大久保忠尚(ただなお)は、自邸に私塾を開き、磐田文庫を開設して多くの書籍を収集し、門人たちの学問研究を助けました。遠州には平田篤胤(あつたね)の国学を学ぶ神官が多くいました。

(※1)国学・・・江戸時代中期に興った学問で、儒教や仏教の影響を受ける以前の日本固有の文化を究明しようとしたもの

教科書で学ぶ

明治5年、学制が発布(はっぷ)されると各地に学校が造られ、遠州三大学校のひとつ西之島学校は、熊谷青城(せいじょう)の私塾がもとになって開設されました。青城が講義したと思われるテキスト『管子纂詁(かんしさんこ)』には、欄外に「青城先生曰…」の書き込みが見られます。また、遠州の地理、歴史、経済、道徳などあらゆることを盛り込んで、七五調にまとめた『遠江風土歌(とおとうみふうどか)』が作られ、教科書として各学校で教えられました。

その他、さまざまな分野の和書が・・・

幕末に生きた庄屋さんが、村役人としての心構えなどを冊子にまとめた『邨吏(そんり)必用』、建築の技術書『雛形(ひながた)本』、富士講行者(ぎょうじゃ)(※2)が携えた『道中記』などがあります。

(※2)富士講行者・・・富士山とその神霊への信仰により、その修行を行う者

いわたのこんなお話 竜洋編(1)

身近な文化財シリーズ、今回は、竜洋地区の「外人墓地」を訪ねました。

竜洋の駒場(こまば)霊園の一角に「外人墓地」「安政六年(1859年)十一月二十三日アメリカ船難破」と記された標柱があります。現在この場所には標柱が立っているのみですが、標柱にまつわる『アメリカ合衆国破船噺(ばなし)』として地元に残る話をここでご紹介します。


外人墓地 標柱

時は江戸時代末、日本は長い鎖国状態から開国へと変化の時をむかえていました。ペリー来航から6年後の安政6年(1859)、一隻のアメリカ船(20人程度の乗組員が乗っていた帆船)が貿易のため横浜に向かう途中、掛塚港沖合で座礁し難破しました。(※掛塚沖は、天竜川河口に吐き出された土砂による浅瀬の存在と、常に強風が吹いているという条件のため、航海する船がたびたび座礁する海の難所でした。)
遭難した乗組員たちは、ボートで脱出を試みましたが、命を落とす者もいました。命からがら海岸にたどりついた外国人たちを村人たちは懸命に救助活動し、言葉が通じない中、コミュニケーションをとり、船に取り残されている船員がいることを知りました。この状況はすぐに遠江一帯の幕府領を治めている中泉代官に伝えられ、代官を通じ幕府にも報告されました。救助された乗組員たちは住まいと食糧が用意され、亡くなった人はこの地に葬られました。後日、中泉代官が掛塚の国清寺(こくせいじ)で船長たちと会い、卵、山芋、白砂糖を慰問品として贈り、船長たちは代官や村人たちの温かなもてなしや親切に涙を流して感激したそうです。その後、乗組員と積み荷は掛塚の林文吉所有の船で横浜まで送り届けられました。


外人墓地標柱 地図

以上の話は、地元に残る古文書に基づいて記された、竜洋町教育委員会編集の『ふるさと竜洋』の一節を参考にしていますが、アメリカ船難破にまつわる記録には、代官やアメリカ船側から江戸幕府に提出された公文書などがあります。詳細については諸説ありますが、幕末の動乱期に、竜洋地域に住む村人たちが、外国船乗組員に対し温かな「お・も・て・な・し」と交流をしたという歴史を知ることができる逸話です。


ふるさと磐田の指定・登録文化財(27) 天竜浜名湖鉄道神田隧道(かんだずいどう)

3年前に、全線で駅舎やプラットホームなど36件が登録有形文化財となった、天竜浜名湖鉄道の鉄道遺産。二俣駅の転車台は有名ですね。実は、磐田市内にも1件あるんです。しかも隧道(トンネル)という、鉄道好きな方にはたまらない物件。このトンネル、登録されるにはそれなりの理由がある物件なんです・・・

トンネルの内部

神田隧道遠景

登録にあたっての専門家の調査に、市の職員2名も参加させていただきました。もちろん、鉄道会社の方々の許可を得て、列車が来ないことは確認しての調査です。
磐田市・浜松市の市境付近から南へ向けて出発。内部はコンクリート打ちっぱなしで少しひんやり、雨水が流れている箇所もあり、こわい雰囲気です。出入り口を少し進むともう真っ暗。長さ260mもあるトンネルは懐中電灯がなければ歩けません。何箇所か、楕円形にくぼんでいる場所がありました。作業用の退避坑(たいひこう)だそうです。


光明電気鉄道の遺産

昭和3年に開通した後、昭和11年にわずか7年余の短い操業期間で破産した、光明電鉄(こうみょうでんてつ)。磐田駅から北上し、二俣を経由して、船明(ふなぎら)まで延びる計画でした。操業期間の短さから「幻の鉄道」とまで呼ばれています。
その後、この地域には日本国有鉄道二俣線が昭和15年に開通し、それを引き継いで昭和62年に天竜浜名湖鉄道が誕生し、今に至っています。
神田隧道(南側) 退避坑 磐田市の中でも登録有形文化財となった神田隧道と、そのすぐ北側にある伊折(いおり)隧道は、昭和5年に造られた光明電鉄の隧道をそのまま使っている、天竜浜名湖鉄道の中でもっとも古い時期の施設です。
皆さんも、「天浜線」をご利用の際には、上野部(かみのべ)駅と天竜二俣駅の間にあるこの隧道の歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。


・・・ご注意ください・・・
今回紹介した隧道は、道路などから見学できません。列車が通行して危険ですので、
線路には絶対に入らないでください。見たい方は、天浜線に乗車してご覧ください。

新たに市指定文化財が誕生

平成26年1月に、中泉の府八幡宮楼門(ふはちまんぐうろうもん)に安置されている、木造随身像(もくぞうずいじんぞう)が新たに磐田市の指定有形文化財(彫刻)になりました。このことにより、磐田市の市指定文化財(彫刻)は、14件となりました。

櫛石間戸神 豊石間戸神 府八幡宮楼門(県指定文化財)

ただ今予約受付中!! 福田町史『資料編Ⅵ近世・近現代(続)』
申込み・問合せは歴史文書館へ…FAX(0538)-66-9722・TEL(0538)-66-9112
E-mail(chiikishi@city.iwata.lg.jp)
予約者へのお渡し・・・福田公民館にて 平成26年3月21日(金)~23日(日) 9時~16時30分
一般販売…歴史文書館にて 平成26年3月24日(月)~

編集後記

12月号のコラムに掲載した、お祭りの幟竿(のぼりざお)のてっぺん・・・。1月は市内のあちこちに幟竿が立てられ、そのてっぺんがやたらと気になりました。榊(さかき)や笹のほか、檜(ひのき)、さらには松竹(笹)梅という縁起のよさそうなものもありました。市内各地の幟竿はどうなっていたのでしょうか。

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