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磐田文化財だより 第116号

文化財探偵は見た 遺跡を知る 第4回
貝塚(かいづか)が語る歴史~西貝塚遺跡~

文化財探偵

市内の遺跡を知るシリーズの第4回目は、市内につくられた貝塚について紹介しましょう。「貝塚」は食べた後の貝殻を一ヶ所に捨ててできた場所ですが、同じく食料とした動物や魚の骨、使っていた土器や石器などの道具も見つかります。
市内で見つかっている貝塚は3ヶ所ありますが、海からは離れている場所にあります。どうしてここに貝塚があるのでしょうか?その謎を一緒に見ていきましょう。


今之浦は海だった

今から4,000年ほど前の縄文時代後期は、現在よりも2℃ほど平均気温が高かったと考えられています。温暖な気候によって海水面が上昇し、現在と比べておよそ2~3mは高かったと言われています。磐田原台地南側の低湿地、現在の今之浦付近には海水が入り込み、浅い海が広がっていました。
当時の人々はこの海の近くで生活するようになり、貝や魚などをとって暮らしていたことが、残された貝塚から出土する貝や骨を調べることでわかります。

磐田の貝塚

磐田市の貝塚の分布

見つかっている貝塚は、今之浦の東側に西貝塚(にしかいづか)、北側に見性寺貝塚(けんしょうじかいづか)(見付)、西側に石原貝塚(いしはらかいづか)(中泉)があります。
見性寺貝塚では縄文時代晩期の土器のほか、多くの石斧、土製の耳飾りなどが出土しています。石原貝塚では、住居の跡が1軒発見されており、墓の跡から埋葬された人骨の一部も見つかりました。
西貝塚については、次のページで詳しく紹介します。


西貝塚

ヤマトシジミの貝塚

「西貝塚」の地名にもあるとおり、貝塚があることは古くから知られていました。
貝塚の貝はヤマトシジミが99%近くを占め、他にはハマグリ、アサリ、カキ、アワビ、タニシなどがあります。ヤマトシジミは海水と淡水が入り混じった汽水域に生息するシジミです。まさしく遺跡近くまで海があった証拠といえるでしょう。
貝殻だけでなく、魚の骨として、サメ、エイ、コイ、ウナギ、タイなどが、動物の骨として、イノシシ、シカ、カワウソ、イタチ、タヌキなどが見つかっています。これらは当時の人々が食料として食べていたことがわかります。


発掘調査でわかったこと

昭和33年の発掘調査風景

西貝塚遺跡は明治時代から注目されていた遺跡で、明治21年には発掘調査がおこなわれています。昭和33年の発掘調査では縄文土器や石器のほか、動物の骨や角を加工した道具(骨角器(こっかくき))や埋葬された人骨が発見されました。


縄文土器などの出土状態

日本は雨が多く、土が酸性であることから、木や骨で作られた道具は長い年月、地中にあると溶けてしまい、残ることはほとんどありません。ところが、貝塚の場合は貝殻に含まれる大量のカルシウムに守られることによって、骨が残っていることがあります。


西貝塚遺跡から出土した土器

埋葬された人骨(伸展葬)

埋葬されていた人骨は2体見つかっています。2体とも成人の男性で、一体は全身を伸ばした状態で見つかりました(伸展葬(しんてんそう))。もう1体は手足を曲げて葬られた(屈葬(くっそう))可能性があり、抜歯(ばっし)の跡が見られます。わざと歯を抜く風習は人生の通過儀礼のためにおこなわれたとも言われています。


ふるさとの信仰

第4回 庚申(こうしん)

庚申塔群(長野県伊那市高遠町)

日本には本来の宗教とは別に、民衆の間で生まれ育っていった神仏があります。磐田市にあるこうした「民間信仰」、第4回は庚申さまです。


庚申とは干支のひとつで、「こうしん」とも「かのえさる」とも呼びます。60日に一度めぐってくるこの日は、三尸(さんし)という閻魔(えんま)大王のスパイが人の体から抜け出て、その人間の悪事を密告する日にあたります。
内緒にしていた悪事を閻魔様に言いつけられてはたいへんです。人々は、その日は一日中起きていて、三尸が体から抜け出さないようにすればよいと思いつきました。これが「庚申講」です。

庚申塔(匂坂中)

庚申講は信仰に関係する寄合の中ではもっともポピュラーなものですが、今でも市内のところどころで続けているようです。昔はどこでも「青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)」という怖いいでたちの神様を描いた掛け軸を飾り、お祈りをした後、ごちそうを食べながら話に花を咲かせ、一晩中起きていたと聞きます。


庚申塔(寺谷)

青面金剛を石仏で見分けるのは難しいですが、「庚申」の文字や「見ざる、言わざる、聞かざる」の3匹の猿が描かれていれば、庚申さまに関係があることがわかります。中泉にある三仭坊(みひろぼう)も、青面金剛をまつっていることから、かつては「おさる堂」と呼ばれ、今も庚申祭を行っています。


本庁舎1階展示ブース 「国の登録有形文化財建造物」を紹介します

玄妙寺経蔵

11月4日(火)から28日(金)まで、磐田市役所本庁舎1階展示ブースで、今年度新たに国の登録有形文化財建造物に加わることになった、磐田市内の建造物2箇所3件(見付の玄妙寺経蔵と門柱及び塀、前野の穂積家住宅長屋門)について紹介します。今回の展示では、各建造物に関わりの深い物の写真展示も行います。市役所開庁時間内(平日8:30~17:15)にどなたでもご覧いただけます。ぜひ、ご覧ください!


穂積家住宅長屋門、棟札(明治拾壱年寅四月八日幹支吉祥と書かれています)、玄妙寺経蔵に保管されている経典

コラム 遠州大念仏 大箸清雄

初盆の家の庭先で・・・供養の念仏をします

私は今日まで40年間、毎年8月のお盆には、遠州大念仏(壱貫地組)の一員として、初盆のお宅を回っています。若い頃は太鼓、次は鐘(双盤)、そして現在は笛を吹いています。
遠州大念仏の起源は諸説ありますが、一般的には、元亀3年(1573年)12月、三方ヶ原の戦いの後、徳川方の謀った布橋の奇計にかかって、犀ヶ崖(さいががけ)で戦死した武田軍の兵士の霊を鎮めるために始まったものと伝えられています。

太鼓を踊るように打ち鳴らします

また、もう一つは、度重なる農作物の被害から「虫送り」「五穀豊穣」「雨乞い」などの農耕儀礼のために始められたものとする説もあります。
遠州大念仏は、浜松市を中心に盆(7月が多い)の三日間に行われる郷土芸能であり、次第に盛大となりましたが、当初は規律正しい厳粛な行事でした。盛んになるにしたがい供養の姿から若者たちの娯楽の様相に変化していきます。最も盛んだった江戸時代には約280余の組(団)で行われていたと言われていますが、今日では浜松市・磐田市・袋井市などで約70組が活動しています。活動を継続していくのはなかなかたいへんなこともありますが、地域に続くこの伝統を末永く継承していきたいと考えています。


編集後記

まもなく、今年のゆるきゃらグランプリの決戦投票が行われます。子供の頃、昔話「しっぺい太郎」の本を読んで泣いたものです。かつて、この地を救った勇者(犬)「しっぺい」、今度は磐田市のPRのために健闘を祈っています。

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