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磐田文化財だより 第118号

磐田市歴史文書館 第14回企画展
よみがえる“遠州の小江戸”~掛塚湊繁栄の軌跡~

よみがえる“遠州の小江戸”~掛塚湊繁栄の軌跡~

  • 期間 平成27年1月13日(火)~2月27日(金)
  • 9:00~17:00(入館は16:30まで) 土・日・祝日は休館
  • 会場 磐田市歴史文書館 磐田市竜洋支所2階

磐田市掛塚(かけつか)は天竜川の河口に位置し、江戸~明治時代にかけては、天竜川流域の木材などを江戸や大坂に積み出す廻船(かいせん)の湊(みなと)として、「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄しました。掛塚湊がもっとも活気があったといわれる明治前期には、掛塚の人口は見付をしのぐほどでした。今回の企画展では、その掛塚湊の繁栄の様子を、古文書や町並みのジオラマなどの資料を通して紹介します。(※ 明治24年の人口の統計・・・ 掛塚7,072人、見付6,733人)

湊から運ばれた物資は・・・

榑木

近世初期には、天竜川流域の木材や榑木(くれき)(檜(ひのき)や椹(さわら)などの節のない良材から製材したもの)が、駿府城や江戸城の用材として掛塚から運ばれたことが知られています。幕府は、天竜川上流の村々に税金の代わりに榑木を差し出すことを命じ、掛塚湊はこの積出港として重要な役割を果たしました。しかし、江戸中期になると、乱伐により租税としていた榑木がなくなり、掛塚の廻船は桑名(くわな)や四日市(よっかいち)など他の湊から江戸に送られる年貢米の輸送に携わることになりました。

回漕業者から廻船問屋への送り状

江戸後期になると、木材以外のお茶や繰綿(くりわた)(精製していない綿)、椎茸(しいたけ)などの産物も天竜川を下って江戸に運ばれました。
天竜川では、木材を一本ずつバラで流す管流(くだなが)しをしていましたが、後に途中の要所でこれを集めて筏(いかだ)に組んで運ぶようになりました。鹿島(かじま)(浜松市天竜区二俣)などの中流の要所には、木材を筏に組んだり荷物の中継をしたりする回漕業者がいて、掛塚の業者に届けられた送り状が今も残っています。


廻船問屋や廻船の数は・・・

文化7年の「船主廻船員数」

文化年間(1804~1818年)には、18人の廻船仲間が38艘(そう)の廻船を持っていたという記録があります。また、明治25年には36人の廻船問屋が59艘の船を持っていたと記録にあります。しかし、東海道線の開通によって、木材が浜松の中野町から鉄道で輸送されるようになると、掛塚は衰退していきます。掛塚の廻船業者の中には、製材業に転じる者も多く、金原明善・平野又十郎・稲勝清三郎などが始めた中野町の製材会社、天竜木材(株)は「丸天」と称し事業を広げました。


掛塚湊の構造は・・・

掛塚港湾絵図

明治の初めまでは、上流から送られてくる物資は天竜川の東岸につけられ、廻船は河口付近に停泊して、はしけ(舟と川岸(かし)の間で荷物を運ぶ船)で荷物の積み下ろしをしていました。しかし、年々堆積する土砂のために大型船は近づけなくなり、また輸送量も増えてきたことから、人工の港湾施設が必要となり、明治18年に天竜川東派川河口に港湾が完成しました。それに伴って、港湾を管理する「豊長社(ほうちょうしゃ)」、難破船を救助する「水難救済会」などが作られました。


掛塚の町並みは・・・

掛塚の町は、廻船問屋を中心に多くの人々が暮らしていましたが、その職業は、廻船業者や船頭など、廻船に関わるものが多く、荷物の積み下ろしなどに携わる日雇労働者も多く住んでいました。また、木材を板に加工する木挽(こびき)職人、大工・船大工・建具職人、その道具を作る鍛冶職人なども多くいました。掛塚大工の技術は極めて高く、それは掛塚祭りの屋台などにも表れています。廻船が運んだ伊豆石を使って多くの蔵や塀が作られ、伊豆石の建造物は天竜川の流域に広がっています。

郷土資料館や掛塚の町並みへも・・・

郷土資料館にある袖ヶ浦丸模型(明治26年頃の津倉家所有船)と船名額(潤徳丸 林家所有船)

展示室で古文書を見て掛塚の歴史を知っていただいた後、隣の郷土資料館で船具や榑木など実際の資料を見て、そして・・・繁栄した湊町掛塚の名残りある町並みを歩き、当時の様子に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


イベントに参加して、湊町掛塚の魅力を感じてください!!

町並トーク
1月10日(土) 午後1時30分~3時
◇講師:池田藤平氏
◇会場:竜洋支所2階会議室
◇申込:不要(直接会場へお越しください)

町並ウォーク
1月17日(土) 午前10時~12時
◇集合:貴船神社
◇定員:先着20名
◇申込:1月5日から電話・メールで歴史文書館へ
TEL:0538-66-9112・FAX:0538-66-9722
メール:chiikishi@city.iwata.lg.jp

ふるさとの信仰

第5回 火の神

日本には本来の宗教とは別に、民衆の間で生まれ育っていった神仏があります。磐田市にあるこうした「民間信仰」、第5回は火の神を紹介します。

火の神も、第1回で紹介した水の神と同じように、わたしたちにとっては火事を起こす怖いものであると同時に、調理に使ったり、寒い時に暖を取る道具として大事なものでした。

秋葉灯籠(福田)、秋葉灯籠(見付)

火の神といえば、遠州地方がそのお膝元である秋葉山ですが、京都にある愛宕山(あたごやま)も全国区の信仰を集めています。市内にも秋葉神社・愛宕神社ともにありますが、そうした正式な神社とは別に、路傍に置かれた秋葉灯籠は、みなさんにとってもなじみがある神様ではないでしょうか。秋葉灯籠は市内のおよそ120箇所に置かれていたもので、遠州地方だけでも900箇所以上あると言われています。
山岳信仰では、火を制御する儀式を行い、火渡りなどの修行を行うことがあります。市内でも、いくつかの場所でこうした儀式を見ることができますし、実際に火渡りを体験することができるところもあります。


火渡りのようす(中泉)、火鎮めの儀式(松之木島)

明治の薫りを今に残す 旧赤松家内蔵(うちぐら)ギャラリーをご利用ください!!

旧赤松家内蔵ギャラリー

赤松家は近代日本造船技術の先駆者で、明治期に磐田原台地に茶園を開拓した赤松則良が明治20~30年代に建築したレンガ造りの門(県指定文化財)が特徴の邸宅跡で、現在は赤松則良を中心に顕彰した文化財施設として公開しています。
邸宅内に建つ2階建ての内蔵と呼ばれるお蔵の1階部分は、絵画・写真・書・陶芸などの作品発表の場に、個人、団体を問わず気軽にご利用いただけるギャラリーとして広く一般に開放しています。お蔵の持つ雰囲気をそのまま生かしたギャラリーで、日頃創作された作品を発表してみませんか。


内蔵ギャラリーご利用に関するお問合せ
○お問合せ 埋蔵文化財センター
○電話番号 0538-32-9699
○時間 午前8時30分~午後5時

旧赤松家記念館入館案内
○開館時間 午前9時~午後4時30分
○休館日 毎週月曜日・祝日の翌日
○入館料 無料

★現在展示中の作品について磐田市ホームページの「旧赤松家だより」でご覧いただけます。

コラム 遠江国府惣社文庫の版木 中根麻貴

昨年、矢奈比売(やなひめ)神社を訪れた文化財課の職員が、慶應二年の年号のある磐田文庫に関する版木を目にする機会があり、その判読を担当させていただきました。
「遠江国府惣社文庫 奉納書籍勧進」の文字が目を引く版木には、淡海国玉(おうみくにたま)神社の神主であり国学者でもあった大久保忠尚の名と、“国文庫を造立し和洋古今の諸書籍を奉納し永代不朽に相伝したい”という思いが彫られていました。
版木にある慶應二年は、磐田文庫が設立された二年後にあたります。今よりもさらに文庫の中身を充実させようと大久保らが奔走していた様子が伺える、磐田文庫の歴史を知る上で貴重な資料ではないでしょうか。

遠江国府惣社文庫と書かれた版木

古文書といえば「紙に直接書かれたもの・刷られたもの」という印象が強くあります。当たり前ではあるのですが、版本等のもとである『版木』からも歴史を学べると改めて教えてもらったと同時に、反転したものを判読するのは大変だと痛感した、私にとって思い出深い資料です。


質問にお答えします!(文化財だより108号のコラムへの質問より)

Q.福田湊は乗客も運んだのか?
A.明治15年に環洋社(かんようしゃ)の汽船が茶箱と旅客50人を、また大阪から東京への航海で乗客200人余と兵士70人を乗せたとの新聞記事があります。

Q.東京までの所要時間はどのくらいだったか?
A.東京、福田間の記録はありませんが、明治10年に、夕刻に横浜から出航した汽船が明け方には遠州灘を通過した記録があります。江戸時代の帆船では清水港から江戸まで平均8日かかったそうです。

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