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磐田文化財だより 第123号

歴史文書館15回企画展
遠州報国隊と日本の近代 ~激動期を生きた神官と幕臣~

【日時】
7月6日(月)~8月28日(金)
午前9時~午後5時
(入館は午後4時30分)
土日・祝日は休館
※7月26日(日)は開館
【会場】歴史文書館(竜洋支所2階)
磐田市岡729-1

銅版画に見る大久保邸(羽衣出版『静岡県明治銅版画風景集』より


現在放映中のNHK大河ドラマの舞台である幕末維新の激動期、この磐田の地にも「もう一つの幕末維新史」がありました。戊辰(ぼしん)戦争(慶応4年/明治元年(1868)~2年(1869))の際、遠州の神官(神主)たちは「報国隊」を結成して、新政府軍として江戸に攻め入り徳川勢と戦いました。その相手方であった幕臣は、新政府成立の後、徳川家とともに駿遠の地に移り住みました。旧神官と旧幕臣の二つの勢力は、憎しみを乗り越えて、ともに近代の日本を開いていくことになります。 今回の企画展では、「報国隊」に結集した神官たち、そして磐田に移住した旧幕臣たちの足跡を、後に新政府の軍部の高官となって活躍した大久保春野(はるの)(旧神官)や赤松則良(のりよし)(旧幕臣)などを通して紹介します。

遠州国学と報国隊

本居宣長自画像(大久保家蔵)

遠州は国学(江戸時代に発展した国語学や歴史学などを合わせた学問)が盛んで、大成した学者である賀茂真淵(かものまぶち)や内山真龍(うちやままたつ)をはじめ、その門弟たちも活発な活動を展開していました。真淵の門人高林方朗(みちあきら)は、真淵や本居宣長(もとおりのりなが)の年祭を執り行い、顕彰碑の建立や真淵を祀る県居(あがたい)神社(浜松市中区東伊場)の創設などを進め、この事業には遠州の多くの門人たちが集まりました。
鳥羽・伏見の戦で旧幕府軍敗退の報を聞くと、国学を学んだ遠州の神官たちは尊王への思いを強くし、会合を開いて「報国隊」の結成をすすめていきました。天竜川東岸の神官は見付の淡海国玉(おうみくにたま)神社に集まり、大久保忠尚(ただなお)、春野(忠尚の長男)を中心に川東隊を結成します。浜松では桑原真清(みすが)を中心に川西隊がつくられ、駿府の赤心隊とともに、新政府軍の東征大総督有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王に従って、慶応4年(1868)4月江戸城に入ります。遠州報国隊に参加した人数は、約300人を超えるといわれます。


幕臣の移住

銅版画に見える磐田文庫と製茶場

大政奉還の後、徳川氏は駿遠70万石の大名として駿府城主を命ぜられ静岡に入りました。これに従って移住した幕臣は1万4千人近くともいわれています。
旧幕臣は、県内各地で茶園や農地の開墾や製塩事業などを始めます。磐田では、中泉や匂坂(さぎさか)の陣屋、駒場(こまば)などを住まいとしました。磐田原では赤松則良らによる茶園の開墾が行われました。しかし、上野戦争(慶応4年・戊辰戦争の戦闘の一つで江戸における最初で最後の戦い)から1年もたたない時期の駿遠移住で、駿遠の各地に多くの衝突が起こりました。


近代化へ貢献

磐田文庫と大久保忠尚

旧幕臣の行った茶園開拓は、輸出品としての茶の生産を高め、大きな利益をもたらしました。淡海国玉神社の神官大久保忠利(忠尚の養子)も、自ら茶園の開墾や製茶を行い、見付茶業組合を結成して販路を広げ、さらに見付に茶業伝習所を開設するなど、茶業の振興に大きく貢献しました。
また、忠尚は私塾を開いて国学を教え、蔵書を「磐田文庫」に保管し、塾生の利用にまかせました。学制が発布されるとここに見付学校がつくられ、近代的な教育が進められました。中泉奉行として磐田に来た旧幕臣の前島密(まえじまひそか)は、中泉仮学校をつくり、後の中泉学校(現 中部小学校)のもとを築きます。


明治政府の高官として

春野の詠んだ和歌

報国隊川東隊の中心となった大久保春野は、フランスへ留学した後、陸軍軍人としての道を歩み、陸軍大将に進みます。また、川袋の神官長谷川貞雄は、海軍主計総監となります。旧幕臣の赤松則良は、海軍中将として活躍します。
赤松則良、大久保春野


<参加しませんか?>

■歴史講演会『二人の男爵~春野は則良をいつ知ったのか~』(講師:木村弘之氏)
  • 日時:7月4日(土)10時~
  • 会場:竜洋支所2階 会議室
  • 申込み不要。直接会場にお越しください。

歴史文書館 地図

■現地見学会
  • 日時:7月11日(土)10時~
  • 場所:淡海国玉神社・大久保家屋敷地
  • 申込:7月1日までに歴史文書館へ電話で申し込んでください。

*問合せ:歴史文書館 TEL0538-66-9112


いわたのこんなお話 豊田編② 熊野御前(ゆやごぜん)

世界三大美人とまではいかないまでも、平安時代末期の磐田市には、平家物語に名を残す、東海道を代表する美女が二人いたといわれています。一人は千手(せんじゅ)の前、もう一人は熊野御前です。今回は、このうちの一人“熊野御前”をご紹介します。

熊野の肖像(行興寺蔵)

平安時代の終わりころ、池田に生まれ育った熊野は、父親が紀州(現在の和歌山県)の熊野権現に子授けの祈願をして授かったことにちなんで命名されました。
才色兼備な女性に成人した熊野は、遠江に国司として赴任した平宗盛(1147~1185年・平清盛の三男)に見初められ、京の都に上り仕えました。数年後、池田の母が病に倒れた知らせを受け、こんな歌を詠みました。

「いかにせん 都の春も惜しけれど なれしあずまの花やちるらん」
華やかな都の春は名残惜しいけれど、住み慣れた磐田では母の命が散ろうとしている
私はどうしたらよいのでしょう・・・

母を想う気持ちに感動した宗盛は熊野に帰郷を許しました。室町時代後期にこの熊野の物語に感動して世阿弥(ぜあみ)が書いたといわれる作品が謡曲(ようきょく)「熊野」です。
現在、行興寺境内には、熊野とその母が愛した長藤と、ふたりの供養塔があり、寺宝として、世阿弥直筆と伝えられる「熊野絵巻」が残ります。長フジは、お花見スポットとして有名ですが、熊野御前お手植えのフジと伝られています。毎年5月3日には、美しい長藤の下で、熊野の供養祭が行われています。教養豊かで親孝行なうえ、美しい熊野は磐田を代表する歴史上の女性と言えます。ぜひ行興寺を訪れて、熊野に思いをはせてみてはいかがですか?

今年の供養祭のようす 熊野絵巻(磐田市指定文化財)

文化財課からのお知らせ

<参加者募集>

「旧見付学校を知ろう(旧見付学校勉強会Vol 2)」
日時:7月17日(金) 9:30~11:00 会場:旧見付学校
今年で校舎落成140周年を迎える旧見付学校。見学だけでは分からない旧見付学校のあんなこと、こんなこと・・・・学校職員が日ごろの調査でわかったことを、回ごとにテーマを決めてお話をします。
問合せ:旧見付学校 磐田市見付2452 TEL:0538-32-4511
申込み:不要(直接会場へお越しください)

<書籍刊行>

「松林山1号墳発掘調査報告書」
『いわた文化財だより』102号で調査の中間報告を行った新貝地内の古墳の調査報告書を刊行しました。古墳時代の中期に造られた円墳で、出土した船形(ふながた)などの埴輪や土器のほか、この古墳から大正時代に出土した中国製の鏡なども紹介しています。この報告書は図書館や埋蔵文化財センターで見ることができるほか、埋蔵文化財センターにて1冊1,000円で販売しています。

コラム ちょっと昔の“我が家”の界隈 鮫島篤克

わが町 富士見

私が住む地区の歴史をまとめた冊子が発行されました。これを見ているうちに50年前の様子が蘇ってきました。
私は見付宿の外れ、愛宕(あたご)坂の上、昔は三本松と呼ばれた富士見町で生まれ育ちました。家の前の往還は江戸時代には多くの旅人やお武家さま、お大名が行き来し、水戸の黄門さまも歩いた?天下の東海道です。北側の麦畑からは富士山を望むこともできました。
国道や旧東海道の往還も砂利が敷かれてボコボコ。ボンネットバスが走っていた旧東海道の道幅も狭く、見付天神裸祭では裸衆の集団(梯団)のすれ違い(擦れ合い)がやっと。子供心に裸祭の迫力を感じました。
近所の母親たちの多くは磐田名物の「しそ巻き」屋で、味噌をしそで包むアルバイトに精を出していました。我が家の周りには、「よぐし屋」(しそ巻きを刺す竹串)、「マンパチ屋」(蒸篭)、「目立て屋」(刃物の目立て)など職人さんも多く、どの家にも同じ年頃の遊び仲間がいて、勝手気ままに隣近所を訪ねていました。
どの家も家族同様に扱ってくれ、自然と地域の絆が育まれたような気がします。

編集後記

埋蔵文化財センター展示コーナーの埴輪などをご覧になり、「●年間(50~70年が多いかな?)磐田に住んでて初めて来たけど、すごい!」とよく言われます。ぜひお気軽にお越しください。

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