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磐田文化財だより 第125号

家康と磐田 近世磐田の礎を探る

天下泰平 260年以上続く安定した江戸時代の基盤を築いた徳川家康は、27歳から45歳まで浜松を居城としていました。この間、家康は磐田に何度も足を運び、駿府に移った後も中泉に屋敷(中泉御殿)を置き、この地での宿泊の拠点としました。関ヶ原の戦いの時など、江戸から大坂・京への移動の際に中泉御殿で宿泊しています。
今年は家康没後400年にあたり、各地で記念イベントが開催されています。今回は家康と磐田の関係を探ってみました。そこにはただならぬ関係が・・・・・・

現在の城山球場(城之崎城跡)と見付の町並み

城之崎城と見付宿

城之崎城(現在の城山球場)

磐田市域は奈良時代から遠江の政治・経済の中心として栄えていました。特に見付は交通の要衝(ようしょう)として栄える一方、遠江国の国府・守護所が置かれ、今川義元の時代には町人による自治も行われました。永禄12年(1569)、遠江に進出した家康は見付を支配するため、見付宿の南東の丘陵上に新城の築城を始めました。これが、城之崎城(現在の城山球場)です。しかし、武田軍に対し天竜川を背にするという戦略上(※)の理由から、翌年には築城を中止し浜松城に本拠を移しました。現在の城山球場は、土塁の一部を利用しています。
※戦略上のほかはさまざま理由が挙げられています。


源家康~宣光寺の釣鐘~

源家康~宣光寺の釣鐘~

宣光寺(見付)に家康と磐田の関係を物語る釣鐘があります。この釣鐘は家康が地蔵菩薩のために寄進したもので、口径51.5cm、高さ74cm、鐘の胴部には「大旦那 源家康」と天正15年(1587)の銘文があります。家康は遠江支配の象徴である見付を支配するため様々な画策を行いました。宣光寺の釣鐘の寄進も見付の懐柔策の一つであると考えることができます。


名刀「成高(なりたか)」

見付の旧家に家康を助けた功績により授けられたと言われる「成高」銘の刀が伝わっています。鎌倉時代初頭、備前(岡山県)の名工・成高の作で、那須与一(なすのよいち)が所有していた刀(重要文化財)など在銘品は6点しか知られていない、貴重なものです。
家康が遠江に進攻した際、多くの見付の町人たちが家康に協力し、徳川方のために荷駄で資材を運ぶ軍役などを勤めました。磐田市内に家康に関する説話が多くありますが、住人が家康を慕っていたことに由来するのかもしれません。

「成高(県指定文化財)」の刀身と銘の部分(右)

中泉御殿

中泉御殿跡の発掘調査の様子

中泉地区の南側を御殿(ごてん)地区と呼びます。この御殿の由来となったのが、家康によって築かれた中泉御殿です。御殿は徳川家の宿泊や休憩のために造られた施設で、周囲に濠(ほり)・土塁(どるい)を巡らした城郭でした。天正15年(1587)頃、御殿が造営され、寛文10年(1670)に廃止になるまで、将軍家の宿泊施設として維持されました。発掘調査で濠跡や門の柱などが出土しています。


70年目の夏 平和への祈り
もう一つの真実がここにある

若宮神社(合代島)の平和記念碑

豊岡地区の合代島にある若宮神社の石積みの中に1枚の記念碑が組まれています。碑文には「平和記念 昭和27年4月」と刻まれています。
昭和26年9月8日に敗戦後の日本と連合国(※)との間で「サンフランシスコ平和条約」が締結、昭和27年4月28日に発効し、連合国との「戦争状態」が終了し、日本は平和国家として再び世界の舞台に立つこととなりました。この碑の由来を知る方々も亡くなられたため、確認することはできませんが、建立日や碑文名から察し、「サンフランシスコ平和条約」の発効、公布を記念して建てられたものであると考えられます。
※ソビエト連邦など一部の国は調印していません。


世界平和と記された山車

平和の尊さを訴えるものは意外な箇所で見ることができます。見付天神裸祭に参加する祭組の山車の文字に「世界平和」と記されたものがあります。「家内安全」や「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」などが多い中、世界を見据えていると感心しました。この山車の文字の由来は確認することはできませんが、若宮神社と同じである可能性が考えられます。

昭和20年8月15日正午に放送された玉音放送により、長く続いた太平洋戦争は終わりました。それから70年。磐田市内には、戦争で亡くなった方々を悼み、平和を祈る忠魂碑や記念碑が各所に建立されています。今一度、平和の尊さを考えてみてはいかがでしょうか。


― 巡回パネル展『戦争の時代と磐田の人々』開催 ―
広島・長崎被爆写真パネル展も同時開催中

戦後70年、失われていく磐田の戦争の時代をパネルにしました。戦争について学び、感じ、考える展示会です。

愛犬ジョニー号の出征 展示内容
「見付国民学校児童28名と小苗先生の戦災死」「見付や福田の空襲被災」「18歳神風特別攻撃隊員の遺書」「満蒙開拓団と逃避行」「愛犬ジョニー号 軍用犬として出征」「愛犬クロとのわかれ」など
今後の巡回予定

7/30~8/5竜洋なぎの木会館・8/7~8/13豊田図書館・8/15磐田市民文化会館(磐田市平和祈念式典にて)・8/19~8/23ワークピア磐田・8/25~9/1豊岡支所

東海道シンポジウム 見附宿大会

宿場間の交流と活性化を目的に第28回大会が見付宿で行われます。今年はワークピア磐田を会場に「家康」をテーマに本多隆成先生(静岡大学名誉教授)の基調講演、シンポジウムのほか、ロビー展示、東海道の散策(6日)を行います。文化財課では、本多平八郎奮戦図絵や中泉御殿関係資料を展示します。
(主催・・・東海道シンポジウム見附宿大会実行委員会)
本多平八郎(林大功 画)
9月5日(土) 10時~15時30分 ロビー展示
13時~16時 基調講演・シンポジウムほか
9月6日(日) 9時~12時 見付宿と家康を巡るウォーキング
(集合9時・申込み不要・直接現地に集合してください)
コース 見付コース 集合 見付「いこい茶屋」
中泉コース 集合 ワークピア磐田玄関
◎問合わせ 東海道シンポジウム見附宿大会事務局 寺田伊勢男 TEL:0538(32)8598
携:090・3155・9656

コラム 祇園祭り 名倉愼一郎

青垣山

京都祇園祭の山鉾が、巡行直前の台風襲来で、駒形提灯を外されたり、シートで覆われたりと地元では大わらわだったようです。昨年は、150年ぶりに復活した大船鉾の巡行を見てきましたので、他人事のように思えません。
この時期、あちこちで夏祭りが行われます。私の家は天竜川の堤防のすぐ近くにあり、幼い頃から夏になると堤防に上がって花火を見るのを楽しみとしていました。今でも多い日には10箇所くらいの花火が一度に見えます。
6月の日曜日、佐久間町の民俗伝承館で地域で行われている祇園祭(地元では「津島さま」という)を再現するというので出かけていきました。まず、ススキの葉を採って、これに赤い紙を付けて一升瓶に挿し、団子を供えて神様に祈ります。その後、供えてあった花火をやらせてもらいましたが、隣町の水窪でも、祇園祭には通りが煙で見えなくなるくらい花火をします。翌日、近くの沢にススキを流して祭りは終わります。
次の週、島という集落で行われた祇園祭は、あいにくの雨で家の中で行われました。いつもは、祇園淵と呼ばれる河原に作る「青垣山」を、祢宜様の庭に作ってくれました。観光化した祇園祭よりも、無病息災を願って素朴につづけられているこのような祭りにより心を惹かれます。


編集後記

4つの企画展を開催中!「大磐田展 古墳からのメッセージ」中央図書館、「遠州報告隊と日本の近代 激動期を生きた神官と幕臣」歴史文書館、「磐田の小学校 今むかし」旧見付学校、巡回パネル展「戦争の時代と磐田の人々」。ご覧ください。

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