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磐田文化財だより 第127号

文化財探偵は見た 遺跡を知る 第5回
特別史跡・遠江国分寺跡(とおとうみこくぶんじあと)からの新発見
金堂(こんどう)の壁土(かべつち)表面に火山灰を使っていた!

文化財探偵

平成18~26年度にかけて発掘調査を行ってきた遠江国分寺(※1)跡、その後の資料調査でどうやらすごい発見があったらしい・・・。ということで、今回はその新発見に迫ります。

※1 国分寺は、奈良時代に聖武天皇の命令で国分尼寺とともに当時の各国に建てられた寺院です。静岡県の西部は遠江国(とおとうみのくに)と呼ばれ、磐田駅南側に国府(こくふ・県庁にあたる役所)が置かれ、市役所の北側に国分寺が造られました。


県内初の発見!古代寺院の建物の壁土

金堂(本尊があった建物)跡から長さ1~3cm程度の大きさの壁土が数点出土しました。一般的には古い建物の壁土は長い年月の間に分解して残りませんが、遠江国分寺では金堂や塔・回廊が火災にあったことから、焼けて土器などと同じような分解しないものになって残りました。
壁の破片は2層になっており、表面は平らで白~橙色の土の層で、その下は黒色の層で粘土に混ぜた稲ワラの痕跡が見られます。古代寺院の壁の表面は白色に塗られ、その塗装材料には漆喰(しっくい)(※2)が使われたとされています。しかし、今回の壁土の白~橙色の層を分析したところ、カルシウムは検出されず、火山灰が主成分であることがわかりました。

※2 カルシウムが主な成分で、石灰岩や貝殻(かいがら)(カキやハマグリなど)から造られる。

遠江国分寺跡の位置遠江国分寺跡の位置

遠江国分寺の主な建物


どこから火山灰を持ってきたの?

出土した壁土(右端は断面)出土した壁土(右端は断面)

火山灰は主に火山ガラスという物質でできており、その分析を行うことで、どこの火山灰かがわかります。その結果、今から約300万年前に積もったものであることがわかりました。この火山灰は、現在の御前崎市から菊川市付近で隆起した丘陵の斜面に露出しており、今でも見ることができます。

 

古代の寺院の壁ってどんな壁?

(『難波宮跡(NW10-4次)発掘調査現地説明会資料』より) (『難波宮跡(NW10-4次)発掘調査現地説明会資料』より)
近年の発掘調査でわかった金堂の様子(調査前の資料で作成したCG)近年の発掘調査でわかった金堂の様子(調査前の資料で作成したCG)

古代の寺院や宮殿の壁は、木舞(こまい)という骨組みに稲ワラなどをスサ(補強のための混和剤(こんわざい))として入れた粘土を下塗(したぬ)りや中塗(なかぬ)りとし、表層を白色に上塗(うわぬ)りするのが一般的です。白色に塗る材料として、漆喰(しっくい)のほかに石英や長石などの鉱物を含む白土(はくど)、火山灰を主成分とする白土があります。漆喰は7世紀代に朝鮮半島から伝わり、最初は古墳の石室に、8世紀になると平城京周辺の寺院などで使われます。
古代の建物の壁土に火山灰の使用が確認されている例として、山田寺跡(やまだでらあと)(奈良県、7世紀)や難波宮跡(なにわのみやあと)(大阪府、7世紀)、平安京(京都府、9世紀)があります。国分寺跡ではこれまで知られておらず、遠江国分寺跡が全国で初めての確認例となりました。
壁土自体は、火災にあった寺院跡や宮殿跡などから多数の出土例がありますが、成分を分析した例は多くなく、これまでに出土したものを含めて、分析例が増えれば、火山灰がどういう建物や場所に使われたのか、あるいはどの地域で使われたのかといったことがわかるかもしれません。


国分寺造営に協力した地域

国分寺と瓦の生産地・火山灰の分布図(河川は現在の位置)国分寺と瓦の生産地・火山灰の分布図(河川は現在の位置)

今回の発見は、壁の上塗りに火山灰を用いる技法が当時すでに確立していたことや、国分寺という巨大寺院の造営にあたり、こうした技術が中央から地方に伝えられていることがわかる資料です。
また、国分寺の瓦のほとんどは掛川市の清ケ谷古窯跡群(せいがやこようせきぐん)で生産されて船で運ばれたほか、袋井市内の地名が書かれた土器(『貫名(ぬきな)宅』)が見つかっており、遠江国内の様々な地域が国分寺造営に協力していたことがわかります。


シリーズ第2回 磐田市の近代化遺産 幻の光明電鉄を追え!

光明電気鉄道は、昭和3年11月から昭和11年1月までのごくわずかな期間だけ運行していた、ファンの間では「幻の鉄道」とされる鉄道です。今回は5回シリーズの第2回です。沿線に残る鉄道の痕跡を探ってみたいと思います。

光明電鉄のルート

光明電鉄は、今の磐田駅付近(新中泉)から二俣町まで走っていた路線です。
写真(下)は当時発行していた案内パンフレットです。下に天竜川が流れ、赤く塗られた鉄道のルート上に「遠州見附」「加茂東」の駅名が見え、また「(見付)天神社」「煙草専賣(売)局(今の中遠総合庁舎付近)」「見付女學(学)校(現・磐田北高校)」などの建物が表示されています。
遠州見附駅は現在の加茂川交差点の南東付近ではないかと思われますが、痕跡はまったく残っていません。

光明電気鉄道沿線案内 昭和3年

光明電気鉄道沿線案内(見付地区を拡大したところ)


見付に残る路線の名残り

見付・西光寺の門前に残る光明電鉄の路線跡(南から)

見付・西光寺の門前を南北に通っている道があります。これが光明電気鉄道の路線跡と言われています。
光明電鉄は破産した後、路線の土地は他の所有者に移り、今ではまったく痕跡をとどめていないところばかりですが、ほんのわずか数十mですが、当時の路線が残っている箇所があります。


津倉家住宅見学会開催のご案内

しっぺい

掛塚湊の繁栄の歴史を今に伝える明治の豪商・廻船問屋「津倉家」の見学会を開催します。今回2回目となる見学会は、ぜひもう一度・・・との熱い声にお応えし、掛塚祭で町が賑わうこの2日間にあわせての公開です!
※津倉家住宅のみどころは、文化財だより第117号をご覧ください。


  • 日時:平成27年10月17日(土)・18日(日) 各日9:00~12:00・13:00~15:00
  • 見学料:無料
  • 申込み:不要(都合のつく時間にお越しください)
  • 駐車場:天竜川掛塚橋下河川敷駐車場
  • 公開は1階のみです。

廻船業を中心として栄えた掛塚の屋台は豪華絢爛(8台が市指定文化財)!また、屋台の中で演奏される掛塚祭屋台囃子のうち数種類が県の民俗文化財に指定されています。

コラム 初めての文化財業務 山内健司

悩める人

この4月の人事異動により文化財課配属となりました。文化財課の「イメージ」というと、「専門性の高い学問の世界」というのが印象でした。案の定、専門用語などが飛び交い、意味も理屈も理解できず周囲の方に迷惑をかけつつ、半年が過ぎ去ってしまいました。
自分の主な業務は、市内各所にある遺跡エリア内での、開発等に伴う届出などの受付、処理、調整業務などを行っています。市内には数多くの古墳群や遺跡エリアがあり、これらを保護することを目的に日々の業務にあたっています。ここで、はっきり言えることは文化財(特に埋蔵文化財)に対する自分の認識が変わったということです(もちろんいい意味で・・・)。この埋蔵文化財は、先人たちが残してくれた貴重かつ重要な財産であり、これにより当時の生活の営みや習慣などがわかるため、壊すことなく保護し未来の世代に伝えていくことが非常に大切であると考えます。つまり、過去~現代~未来と繋がっているということ。もしかしたら、「携帯電話やパソコン」「電気やガス」など、現代の人々がごく当たり前のように使っているものが、千年後には驚きを与えるかもしれません。遠い将来、どのように進化しているかは誰にもわかりませんが、そう考えると面白いものです。古墳や遺跡の宝庫である磐田「是非!お越しください!」


編集後記

見付の裸まつりを皮切りに、続々と市内各地区の秋祭りが行われます。虫の音がセミからマツムシに変わり、夏の終りを感じ寂しくもありますが、毎夜、聞こえる太鼓の音に、ワクワクしてきます。

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