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磐田文化財だより 第128号

家康と磐田 第2弾 武田方との戦い

家康没後400年にあたり、「家康」をテーマにした東海道シンポジウム見附宿大会でも、多くの方から興味を寄せられた「家康と磐田」の第2弾(第1弾は文化財だより第125号)をお届けします。元亀(げんき)3年(1572年)、上洛を目指す武田信玄は遠江に侵攻し、徳川方と遠江各地で戦いを繰り広げました。市内でも三ヶ野(みかの)や一言坂(ひとことざか)で戦いが行われました。林大功(はやしだいこう)の絵画、明治初期に作成された浮世絵から当時の様子を紹介します。

本多平八郎一言坂合戦之図

一言坂の合戦と本多平八郎忠勝

一言坂の戦跡の石碑

元亀3年、三方原の戦いに先立ち、遠江の各所で徳川家康と武田信玄の戦いが行われました。袋井市の木原に本陣を置いた武田方と三ヶ野に偵察に出た徳川方との間でも、小競り合いが行われました。その後、浜松へ撤退する徳川方とそれを追撃する武田方とが一言坂で戦火を交えました。この戦いを「一言坂の合戦」と呼んでいます。
一言坂の合戦では家康の家臣本多平八郎忠勝が奮戦し、武田方の進軍を防ぎました。このときの平八郎の活躍は武田方にも称賛され、信玄のそばに仕える者が「家康に過ぎたる物は二つあり。唐の頭に本多平八」と落書したと伝えられています。


一言坂の戦いから

天竜川御難戦之図

一言坂で徳川方を破った武田方は、匂坂(さぎさか)城などの小城を落としつつ、天竜川沿いに北上します。途中、信玄は合代島(ごうだいじま)付近に陣を敷きました。徳川方は天竜川流域各所で苦戦し、北遠の拠点であった二俣城(浜松市天竜区)も落城、三方原の戦いを迎えます。「天竜川御難之図」には、硝煙がけむる天竜川を背景に、家康を支えた本多平八郎などの家臣が描かれています。


三方原の戦いと酒井の太鼓

三方原の戦いで徳川方は大敗し、浜松城に逃げ帰りました。酒井忠次(さかいただつぐ)は城門を開け、櫓(やぐら)門の太鼓を打ち鳴らし、味方の帰城を助けたと伝えられています。開け放された城門と大きく打ち鳴らされた太鼓の音に、追撃する武田方は計略があると恐れ、浜松城への攻撃を止めました。「浜松籠城之図」には、太鼓を打ち鳴らす忠次と家康や家臣、城門の外には武田方の武将が描かれています。
この時に打ち鳴らされた太鼓が「酒井の太鼓」です。この太鼓は浜松城内にありましたが、明治維新後、民間に払い下げられ見付の有力者の手にわたりました。明治8年の見付学校落成を機に、学校へ寄贈されました。
現在、「伝酒井の太鼓」として磐田市の文化財に指定され旧見付学校に展示されています。

濵松篭城之図

平成の大修理 ~府八幡宮楼門(ふはちまんぐうろうもん)~ パート2

パート1は112号に掲載しています

府八幡宮楼門(県指定文化財)の修復工事は、平成25年度から3ヶ年をかけて行っています。10月初旬に行われた祭典では、工事のための覆いがなくなり美しい姿を見ることができました。
今回は、修復を終えた内部の様子と屋根(杮葺(こけらぶき))の葺き替えの様子をご紹介します。

なんと礎石の位置も修正!

基礎部分 修正された接合部

柱を持ち上げ、組まれた木を緩め、横組みの木を外していきます。礎石を浮かせ、楼門の傾きを修正するために、土を全て落とした状態でモルタルを注入します。解体により、柱と礎石の接合(のせ)が微妙にずれるため、柱の接合部の形を修正します。


部材の修復はこうやってする・・・

部材の修復

江戸時代から続く文化財を後世に残すため、修復は傷んだ部分のみを切り取り、新たな木を足します。柱は虫食いがひどく、修復できず取替えたものは楼門内に格納します。今回修復した部分には、施工年度を焼印し記録を残します。
柱など骨組みとして組まれた構造部分はケヤキ、それ以外の部分にはヒノキが使われていました。


伝統の屋根葺工法「杮葺」

杮を葺く様子、隅葺

日本で神社など立派な建築物に古くから使われる植物性屋根の一つ、杮葺。杮板は木曽谷から切り出したサワラを柾目(まさめ)に割って作ります。丸太を割って1枚の杮板(長さ30cm、厚3mm)にするまで全て手で割って作ります。割材は断面に少しの隙間ができるため、通気性や水の流れができ腐りにくくなります。
職人が3cmの幅で杮板を重ね、竹釘で固定しながら、下から葺き上げていきます。竹釘は「竹釘師」という専門職人によって製造されるもので、1枚の杮板に5~6本の釘を打つため、膨大な量の竹釘が必要になります。錆びない竹釘を使うことにより、耐久性が高くなります。


福田町史編さん講演会
遠江の要(かなめ) 福田湊(みなと)の中世・近世

嫁に行くなら福田の河岸(かし)へ お江戸帰りの船が着く 福田湊の繁栄が偲ばれます

  • 日時:平成27年11月21日(土) 13:30~(受付13:00~)
  • 会場:福田中央交流センター 大会議室
  • 申込み:事前の申し込み不要
  • 定員:先着70名
  • 問合せ:歴史文書館 TEL.0538-66-9112

■スライド上映
13:35~13:50
福田湊繁栄の美がよみがえる!
元島遺跡出土の白磁・青磁・染付・黒漆碗etc

■講演1
13:50~14:10
福田の起こりと海
「鎌田御厨と伊勢信仰」
講師:森田香司
(福田町史編さん専門委員・磐田市史執筆委員)

■講演2
14:40~15:30
福田湊と海運
「人・物の流れ、海難事例」
講師:坂部哲之
(福田町史編さん専門特別委員・磐田市史執筆委員)


コラム 歴史文書館ってどんな施設? の質問にお答えします 飯田正

磐田市歴史文書館は、歴史的公文書等を収集・保存し、それらを広く利用していただくことを目的に、平成20年4月に磐田市竜洋支所内に開館した文化施設です。
では、なぜ歴史文書館は必要なのでしょうか?それは・・・市は、お金=税金の使い道について説明責任があります。そのため、説明に必要な公文書を保存しておくことはとても重要なことなのです。しかし、公文書の全てを残すことは難しいため、文書を作った課は保存期限が過ぎると捨てる手続きを取りますが、捨てることによって市の説明責任が果たせないリスクが高まります。そこで、保存期限を過ぎた文書の中から、特に重要と思われる歴史的公文書を評価・選別する部署と、保存しておくための施設が必要になります。その二つの機能を担っているのが歴史文書館なのです。

保存されている公文書

皆さんもご家庭で大切なものや思い出の品は残されていると思います。大切なものを将来のために残すという考えは市も同じです。私は4月の異動で文書館勤務となりました。今までは文書管理についての意識はお世辞にも高いものではありませんでしたが、今その重要さが分かり、選別等には悩みつつもこの業務に関わることに充実感を感じています。20年後、50年後、あるいはもっと遠い将来、文書館が選別・保存した公文書が真に歴史的公文書となり、次世代やその先の人々への大切な贈り物になることを信じて・・・。


編集後記

すがすがしい気候に活動力もわいてきます。天高く馬肥ゆる秋、実りの秋の食欲は底をつきません。子供の頃は落ち葉で焼き芋をするのが楽しみでしたが、今では見ることはなくなりました。焼き芋は買うもの?確かに買った焼き芋はおいしい!・・・けれど、寂しくもあります。

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