磐田のみどころ

磐田市役所 ホーム > 磐田のみどころ > 文化財 > 磐田文化財だより 第129号

磐田文化財だより 第129号

淡海国玉神社本殿(おうみくにたまじんじゃほんでん)が県指定文化財に!

磐田市指定文化財に指定されている見付の淡海国玉神社社殿(本殿・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん))のうち、本殿が県指定文化財に指定されることになりました。11月23日の県文化財保護審議会で県教育委員会へ答申され、今年度正式に指定されます。

本殿(正面より)、本殿(正側面。西南より)

これが指定のポイント

淡海国玉神社本殿は、三間社(さんげんしゃ)(※1)流造(ながれづく)り(※2)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。三間社流造りは、京都の上賀茂神社・下鴨神社などに見られ、日本古来の建築様式の一つです。
社記に明暦(めいれき)2年(1656)の再建と書かれていたようですが、現在は社記の行方が不明で、建造年を証明するものがありませんでした。ところが!平成25~26年度に行われた本殿の全解体・修復工事で、本殿に入る橋の欄干(らんかん)の擬宝珠(ぎぼし)に明暦3年(1657)と書かれていたことが発見され、この頃の建造であることが確実となりました。三間社流造り檜皮葺の建物としては、県内で2番目に古い建物で、県内の三間社流造りの変遷を理解するうえで欠くことができない建造物です。

擬宝珠 擬宝珠の年号は明暦3年

また、建築時の特徴をよく残す彫刻が各所に施され装飾性にも優れており、県内の江戸時代前期の神社建築を代表する建物の一つであるといえます。

※1 神社本殿の正面の柱間が3つあるものをいう。「間」とは、柱と柱の間を差す。柱4本で3間。
※2 神社建築の形式のひとつで、屋根の前の方が長く伸びて、向拝(礼拝するところ)を覆い、庇(ひさし)と母屋が同じ流れで葺いてあることからこの名がある。


第16回歴史文書館企画展 家康没後400年の締めくくり、磐田でも家康展開催
「家康と磐田」 ~古文書・古記録でたどる家康の足跡~

家康が磐田に関わった時代を「戦国大名時代」・「豊臣秀吉の家臣時代」・「天下人の時代」の三つの時代に分けて、それぞれの時代に磐田地区に発給された文書・その後に記された古記録、地区に伝わる伝説を通して、磐田に残る家康の足跡をたどります。
古文書・古記録の他家康伝説も多く集めてみました。ほとんどの資料は今回が初公開です。お見逃しなく!

期間:平成28年1月12日(火)~2月26日(金) 休館(土・日・祝日)
9:00~17:00(入館は16:30まで)
会場:磐田市歴史文書館(磐田市竜洋支所2階)
問合せ:TEL 0538-66-9112(歴史文書館)

苦難の時代

市指定文化財 行興寺文書(本多重次の書状)

家康は幼少期に今川家の人質として過ごすなど、苦難の時代を過ごしました。今川義元が桶狭間の戦いで戦死し、ようやく戦国大名の一人として自立することができました。
右の史料は重臣・本多重次が池田の渡船衆に渡した手紙で、家康が遠州を平定した年(1569年)前後のものです。


屈服、我が時を待つ

徳川家康七ヶ条定書

大大名となった家康ですが、豊臣秀吉の時代はその臣下という立場に甘んじます。
右の文書は秀吉による関東移封の命令の直前(1589年)に出されたものです。


ついに天下人へ

市指定文化財 中泉御殿表門(見付・西光寺)

関ヶ原の戦いで勝利し、1603年に征夷大将軍となって念願の天下人となった家康。
中泉にあった別邸(中泉御殿)はその後も使われ、豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)に赴く時にも使われたという記録があります。

<関連イベント>
講演会「家康と磐田」
講師:静岡大学名誉教授 本多隆成氏
日時:1月9日(土)午前10時~
会場:竜洋支所2階会議室
※申込み不要


シリーズ第3回 磐田市の近代化遺産 幻の光明電鉄を追え!

【光明電気鉄道】昭和3年11月から昭和11年1月までのごくわずかな期間だけ運行していた、ファンの間では「幻の鉄道」とされる鉄道です。今回は5回シリーズの第3回です。沿線に残る鉄道の痕跡を探ってみたいと思います

一縷(いちる)の望み・・・

匂坂中の寺谷用水にはいくつかの橋がかかっていますが、そのうちの1つに「駅前橋」があります。
周りに駅があるわけではないのに、なぜ「駅前」なのか?それは、このすぐ西側に光明電鉄「遠州岩田駅」があったからなのです。調べてみると、この橋は昭和11年に架けられたものでした。昭和11年といえば、既に鉄道は1月に送電がストップされ、動いていないはず・・・。
でも、実際に会社が解散したのは昭和14年なので、運転再開のわずかな望みを抱いて、この橋の名前をつけたのではないでしょうか。

匂坂中 駅前橋の風景

当時の時刻表

電車時刻表

たまたま取材をしている際に、当時の資料を持っているという方にお話を伺うことができ、当時の時刻表を見せていただきました。
昭和4年9月15日改正のもので、新中泉駅から神田公園前駅まで(まだ二俣駅までは開通していない)の駅名が書かれ、1日24本の電車(うち7本は遠州見付駅止まり)の他、臨時列車もあったことが分かります。


文書館だより 職業体験学習の受け入れ

歴史文書館では中学生の職業体験を受け入れていますが、生徒たちは当初「何の仕事をするところ?」と思うようです。体験の内容は、市内旧家からの寄贈文書の清掃、パソコンによる目録づくり、閲覧図書の棚卸、古文書や歴史的公文書が入った保存箱内の樟脳(しょうのう)交換、企画展の展示物作成などです。

樟脳の交換作業中

旧家のお蔵にしまわれていた文書などは、ちりやほこりなどが多く、そのまま保存すると資料を傷める原因になるため、空気清浄機やはけを使ってきれいにします。自分の目の前で文書がきれいになっていくのが分かると、とても嬉しそう・・・。パソコンによる作業は、資料の名称、作成年月日、大きさなどを入力し、文書の検索をするための目録を作る大切な仕事です。閲覧図書の棚卸は、登録された図書の有無を確認しながら、利用者が本を見つけやすいように整頓をします。パソコン作業と図書棚卸作業は、間違えないように気を配るなど根気や集中力がいる仕事です。樟脳交換は、独特のにおいの中、重い箱を降ろしながらの作業のため、体力的にきつかったとの感想が聞かれました。
私たちは、作業前に子どもたちへ「作業の注意点」などを話します。それらは、私たちにとって業務上、基本的なことですが、人に伝えることで改めて私たちの仕事を見直すことにもつながっていると感じています。


コラム 磐田原台地で水脈を発見!? 谷口安曇

10月から11月にかけて、磐田原台地上に広がる3つの遺跡の発掘調査をしました。台地上には、今から2~3万年前の旧石器時代の遺跡が多く残っています。
今回は、部分的に穴を掘って地層を確認し、遺跡がどの深さにあるのか、どこまで広がるのかを調べることを目的に、合計26箇所の穴を掘りました。深いところでは、2メートル以上掘りました。

トレンチにたまった水を掻い出している様子

なんと、その中の1箇所から、汲んでも汲んでも涸れることのない水脈が見つかったのです。磐田原台地の基盤となっているのは、今から13万年前に古天竜川が隆起してできた礫層で、雨水はたまりますが、これまでの発掘調査で水脈に当たったことは一度もありません。水が出ると、写真を撮る時などその都度掻い出す必要があるためたいへんやっかいなので、私たちにとってはあまり嬉しくないのですが、台地上で水脈を発見か!と喜びました。が、一週間後、水は涸れてしまいました。おそらく、それは水脈ではなく、縄文時代頃の小川の一部を偶然掘ってしまったのではないかと想像できます。26箇所掘ったうちのたった1箇所だけが、いろいろな条件がそろって一週間も水に恵まれたのです。地下には、掘ってみないとわからないことがまだまだたくさんあることがわかりました。


編集後記

早いもので今年も残り1ヶ月となりました。今年も取材などを通じ、たくさんの方にお会いし、いろいろなことを教えていただきました。とても勉強になりました。ありがとうございました。

ページの先頭へ

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの構成について、ご意見・ご要望などがありましたら下記に入力してください。
入力内容への個別の回答はできかねますのでご了承ください。

このアンケートフォームは、磐田市ホームページに関するご意見をお聞かせいただくものです。
市政に対するご意見、お問い合わせなどはこちらへお寄せください。ご意見・お問い合わせ