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磐田文化財だより 第133号

新たに市指定文化財が誕生しました

秋鹿(あいか)家が所蔵する古文書115点と工芸品10点が、『遠江秋鹿家関係資料』として、平成28年3月28日に新たに磐田市指定有形文化財に指定されました。

秋鹿家とは?

文化財探偵

秋鹿家は、今川・徳川に仕え地頭職(じとうしき)をつとめた後、遠江の代官職となり、代々府八幡宮(中泉)の神官を兼ねていました。徳川家康に命じられて中泉御殿の地を献上するなど幕府との関係が深いことで知られています。


秋鹿家文書(もんじょ)

今川範国判物

秋鹿家には中世から現代までの文書が多数伝わっており、建武元年(1334)から昭和59年(1984)の文書が指定されました。その中でも特に貴重なものは、①今川氏判物(はんもつ)を中心とした中世文書、②近世初期の年貢勘定目録、③近世の絵図などが挙げられます。

中世文書

14世紀の今川範国(のりくに)の書状が3通、戦国大名の氏親(うじちか)、氏輝(うじてる)、義元(よしもと)、氏真(うじざね)と続く4代の判物(花押(かおう)のある文書)等が8通、足利尊氏の寄進状が1通、計12通の中世文書が残されています。一つの家にこれだけ多くの今川氏の書状が残されているのは、珍しいことです。


年貢勘定目録※

元和5年(1619)から元禄10年(1697)までの勘定目録が36通残されています。この目録は「御證文箱(ごしょうもんばこ)」と書かれた箱に保存されており、箱の蓋裏にはその経緯が書かれ、享和元年(1801)に系譜を書き上げた折にこの目録も記載されたことがわかります。

※領主が村単位に賦課した年貢に対し、皆済後、村方から領主に提出した届出書

絵図

今之浦絵図(寛文12年)

今之浦、府八幡宮、久保村等の絵図が残されています。寛永21年、寛文12年、延宝6年など17世紀のものがほとんどで、今之浦や大池の開発が始まったころの様子がわかります。


秋鹿家工芸品

秋鹿家に古くから伝わる工芸品は、桃山期から江戸期にかけて作られた質の高い工芸品として評価が高いものです。

竹尻籠(たけしこ)
矢を入れる入れ物
  床几(しょうぎ)
折りたたみ式の椅子
竹尻籠(たけしこ)   床几(しょうぎ)
秋鹿長兵衛長重(18代当主)が寛文10年(1670)に作らせたもので、秋鹿家の家紋や朝顔をデザインした蒔絵(まきえ)が施されています。 秋鹿家家紋
秋鹿家家紋
秋鹿家の家紋が入ったもので、京都の高台寺蒔絵(こうだいじまきえ)の技法が見られ、桃山後期から江戸初期の所産と考えられています。
軍扇(ぐんせん)
戦のときに指示をするもの
  重箱(じゅうばこ)
軍扇(ぐんせん)   重箱(じゅうばこ)
浅井六之助道忠(16代当主朝正の実祖父)が、桶狭間の戦いの後、岡崎に撤退する徳川家康を助けた武勲により下賜(かし)されたと伝わります。葵紋の錦袋に入れられ、扇部分には太陽と月をモチーフにした文様が描かれています。   江戸期の蒔絵師「春正」の銘があり、江戸後期に作られたと考えられます。
鏡台(きょうだい)  
鏡台(きょうだい) 鏡は失われていますが、部品は全て揃っており、鉄線の花がデザインされた蒔絵が施されています。中には、鏡入れ・鬢(びん)付け盥(たらい)・化粧道具入れの3点が入っています。

この他に、以下の5点があります。
《文箱(ふばこ)》
3点あり、いずれも黒漆の箱です。
《黒箱(くろばこ)》
用途はカバンとして使用されていたものと考えられ、葵の御紋入りの箱です。
《御證文箱(ごしょうもんばこ)》
木製で「御證文箱」の文字入りの箱です。

いわたのこんなお話 福田偏②

身近なところに、今となってはいわれもよく分からない石仏を見つけることがあります。片隅にひっそりと佇むそれらは、当時そこに暮らした人々の何らかの思いがあり、信仰の対象でした。今回ご紹介する野仏は、10年ほど前に自治会の草刈で偶然見つけられるまで、長い年月忘れさられていた仏様です。

野に置かれた仏様

北東の木の根元に置かれたお地蔵様

下大原の「野(の)」と呼ばれる場所に、2体のお地蔵様が祀られています。野は、昔、集落の死者を埋葬(土葬)した場所です。この地は磐田と福田を結ぶ主要道路である磐福線沿いにあり、現在は草原(くさはら)となっているため、ここがかつて埋葬地であったことを知る人はほんのわずかではないでしょうか。
野の北東に置かれた1体は、高さ40cmほどの坐像で、手に宝珠(ほうじゅ)を持った優しい顔のお地蔵様です。台座には、「荒安林草禅門 念仏講中」と刻まれています。「禅門」とは出家せず普通の生活をしたまま剃髪(ていはつ)して仏門に入った人のことで、「荒安林草禅門」はお坊さんの名前(戒名)ではないかと思われます。「念仏講中」は、念仏を唱えることで現世は苦しくても死後は極楽浄土へ往生できるという仏教の教えにより、念仏を唱えた村の中の信仰者の集まりのことです。ここにかつてお坊さんが立ち寄ったということは、この場所のどこかにお堂があったことも考えられます。
このお地蔵様は、風化により壊れてバラバラになっていたそうで、自治会の方が見つけ、集めて修復し、再び元の姿に戻ることができた仏様です。


北西のお地蔵様。缶コーヒーがお供えされていました。

もう1体は、錫杖(しゃくじょう)(僧侶や修験者が持つシャクシャクと音を立てる杖)を持つ立像です。こちらは木の根の中に巻き込まれていたそうで、お地蔵様らしき頭が見えたため、根を切って取り除き、再び姿を現すことができた仏様です。
お地蔵様の姿に戻ってからは、心ある方によって、お供え物が絶えないようです。

米とぎまつりの記録映像ができました!

1月の第二日曜日の正午、ムラの男たちがふんどし一つで今之浦川に練りこみ、川でモチ米を研ぎます。この米でオコワ飯を炊き、神前に供えた後、地区のみんなで食べて無病息災を祈る行事です。

磐田市指定無形民俗文化財である下太(しもふと)、八王子(はちおうじ)神社『米とぎまつり』の記録映像を作成しました。4月9日(土)より、磐田市中央図書館でご覧いただくことができます。まつり当日の裸衆の動きはもちろんのこと、準備の様子や神事、川で研いだ米で炊くオコワ飯など、まつり見学ではなかなか見ることができない貴重な映像です。【41分30秒】


米とぎまつりの記録映像

コラム 伊豆石の蔵 竹内直文

昨年度、県からの依頼で石蔵の調査を行う機会がありました。棟数調査はどこの自治体でもやったことがないため、休日を利用して県内全域を回り、900棟以上の石蔵が現存していることがわかりました。

石蔵(掛塚・津倉家)

石蔵は全国さまざまな場所にありますが、静岡県には「伊豆石」という、伊豆半島全域から産出される石があるため、伊豆石を使った石蔵が多く見られます。産地である伊豆地方以外の分布を見ると、静岡市清水区や焼津市など港がある地域にまとまっています。遠州では天竜川流域に多く見られ、掛塚港が大きな役割を果たしていたことがわかります。
伊豆石と言っても産地によってかなり色や風合いが変わります。市内にも40棟近くが残っています。伊豆からの贈り物、探してみてはいかがでしょうか。


編集後記

3年間文化財だよりの編集を担当させていただきました。振り返ってみると、1年間の掲載内容(計画)には頭をひねるものの、まだまだご紹介できていない文化財、新たな発見が意外にあることに驚きます。

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