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磐田文化財だより 第137号

ここまでわかった 遠江国分寺跡

磐田市教育委員会では、史跡の再整備に必要な資料を得るため、国の特別史跡・遠江国分寺跡の発掘調査を平成18年から行い、このほどその調査報告書を刊行しました。今回は、これまで本紙に掲載していない新発見を中心に紹介し、次号にはこれからの国分寺史跡公園について掲載します。

国分寺とは?

遠江国分寺跡の発掘調査平面図遠江国分寺跡の発掘調査平面図

国分寺は、政治的な争いや災害等を仏教の力で取り除こうと、奈良時代の741年、聖武(しょうむ)天皇が当時の各国に『国分寺建立(こくぶんじこんりゅう)の詔(みことのり)』を出して、国分尼寺(こくぶんにじ)とともに建立させた官営の寺院です。各国とも国分寺は国府(こくふ)(今の県庁にあたる役所)の近くに建てられました。当時の遠江国府は約1km南の御殿(ごてん)・二之宮(にのみや)遺跡地内と考えられています。
遠江国分寺の建物は、南から南大門・中門・金堂・講堂・僧房(僧の寄宿舎(きしゅくしゃ))という建物が一直線に並び、中門は金堂と回廊で結ばれ、その西側に塔が置かれました。これらの建物は、築地塀(ついじべい)と呼ばれる、屋根瓦のある土塀(どべい)で囲まれていました。


コンピュータ・グラフィックスによる推定復元画(発掘調査前の資料で作成したもの)

新発見① 国分寺の南北長は259m!

南大門や南面築地(なんめんついじ)(南側の築地塀(ついじべい))は、北縁の雨落溝(あまおちみぞ)等が確認されたことから、史跡整備で復元した位置より南側にあったことがわかりました。これにより国分寺の南北の長さ(塀と塀の距離)は、これまでの推定より約6m大きい259mと考えられます。東西は、172mあります。

新発見② 造営はまず金堂、次に塔・南大門・中門!

鬼瓦復元図(前田清彦氏による)鬼瓦復元図(前田清彦氏による)

出土した軒瓦を分析した結果、造営は金堂から始められ、次に塔・南大門・中門の工事が行われたと考えられます。塔は瓦の種類が多く、造営に長期間かかったと推定されます。七重とされる塔は技術的にも造営が困難だったと想像できます。また、講堂や僧房の工事は塔などより後に着手したと考えられます。
出土した土器や瓦から、造営工事の最盛期は8世紀半ばすぎと考えられ、継続して工事が行われたと推定されます。また、鬼瓦等の比較から、遠江は、隣国の三河や駿河の国分寺より早く造営に着手していたと考えられます。


新発見③ 講堂の規模判明!新史料見つかる!

最近、平安時代の文書を江戸時代に書き写した『朝野群載抄(ちょうやぐんさいしょう)』という文書集に遠江国分寺の講堂について記した記述があることがわかりました。

史料と発掘調査成果によるの講堂の推定平面図史料と発掘調査成果によるの講堂の推定平面図
(「須弥壇」は仏像を置く台。柱の位置の推定は、
奈良文化財研究所・箱崎和久氏による)

調査報告書『遠江国分寺跡-本編-』

この史料には、平安時代の1022年に台風で講堂が倒壊し仏像が粉々に壊れたことや講堂を1028年に再建したこと、遠江国の財政状況が厳しいことから、費用がかかる瓦ではなく葦(あし)で屋根を葺(ふ)いたことなどが書かれています。また、建物の大きさは東西24.7m、南北11.8mあること、阿弥陀像(あみだぞう)など8体の仏像の種類とその高さ、国分尼寺も同じころに修理したことも記されているとても貴重な史料です。建物の大きさは発掘調査で見つかった基壇(土台部分)の大きさと整合しています。
史料と発掘調査成果を基に、講堂の柱の位置を図のように推定しています。


~天然記念物を守る 熊野の長フジ~シリーズ 第2回(全3回)

熊野の長フジは、来訪者を楽しませていた花が終わって、樹木は緑の葉に変わり、周辺は今、静けさにつつまれています。シリーズ2回目は、カミキリムシ被害の対策とフジの管理業務について紹介していきます。

カミキリムシ被害とは

写真1 ワモンサビカミキリ(写真提供:昆虫研究家 平井剛夫氏)写真1 ワモンサビカミキリ
(写真提供:昆虫研究家 平井剛夫氏)

一般的に成虫のカミキリムシは、5月から7月にかけて樹幹から脱出孔(あな)を開けて羽化し、現れます。そののち樹幹などを傷つけて産卵します。孵化(ふか)した幼虫は、樹の中にトンネルを掘るようにして食害しながら成長し、樹皮の割れ目から木くずや虫糞を排出します。幹の内部は、幼虫が樹木の中で、食害するため空洞になってしまい、フジが被害を受けてしまいます。写真1は、以前長フジで確認されたワモンサビカミキリです。写真2は、ゴマダラカミキリです。
羽化してから成虫がフジなどの枝を食べます。これを後食(こうしょく)といいます。写真3は、タラの木の内部にいた羽化直前のセンノカミキリです。このような状態から羽化します。


写真2 ゴマダラカミキリ写真2 ゴマダラカミキリ

写真3 羽化直前のセンノカミキリ写真3 羽化直前のセンノカミキリ


カミキリムシから守る対策と管理

カミキリムシがもし樹木にいたら、すぐに駆除する必要があります。樹木内部にいる幼虫は、駆除することが困難になってしまいます。そのため、幼虫を防除する消毒を実施しています。
また、フジの管理業務は、5月に来年の開花のため、消耗し、弱った樹勢を回復させるお礼施肥(せひ)や、いくつもの花を垂れ下げていた花柄(かへい)を摘む作業を行いました。6月、7月には、フジの樹木に被害を与えるカミキリムシをはじめとする害虫の防除などを実施しています。

花柄が取り除かれた藤の木、藤の実が出来ていました

「ふるさと磐田」がつまった市町村史 文書館だより

市町村史(一部)

今年の3月、『福田町史通史編』が刊行され、本市の旧市町村史編さん事業が完結しました。
一般的に市町村史編さん事業では、収集した原資料を掲載した専門性の高い「資料編」、その資料をもとに、時代を追ってその地域の歴史を記述した「通史編」、また、収集した資料を所蔵者や表題、形状、書かれた年代などで分類した「資料目録」などが作成、刊行されていきます。その元になるのは、何といっても一つ一つの原資料です。


磐田市イメージキャラクターしっぺい

今回の『福田町史』でも、各ご家庭を回ってたくさんの資料を見せていただきました。また、どこに行けばどんな資料があるかということも、私たちにとっては貴重な情報となりました。その積み上げがあってこそ、町史が刊行できたといえます。その意味で、福田町史は、住民の皆様の力が結集されて完成されたものです。地域を掘り起こすことによって、その地域に郷土愛が芽生えたり、新たな活力が生まれたりすることが期待されます。
皆さんは、ご自分の住む地域の市町村史をお読みになりましたか。かけがえのない「ふるさと磐田」がいっぱい詰まった市町村史には、きっと新しい発見がありますよ!


職員リレーコラム 遠州はまきた飛竜まつり 橋川眞貴子

この春、下の子が高校を卒業し、真っ白になった土日の予定を埋めるべく、5月28日(土)に浜松市浜北区中瀬で行われた「遠州はまきた飛竜まつり」に行ってきました。このお祭りは、「暴れ天竜」と呼ばれた天竜川の竜神にちなみ例年開催されている浜北の一大イベントです。
室町時代にかかれた「太平記」にもその名がみえる天竜川。江戸時代には「東海道五十三次」にも描かれました。磐田にも天竜川の川筋がわかる絵図が残っています。
古来よりさまざまな形で表現されてきた天竜川ですが、まつり会場につくなり目に飛び込んできたのは全長60mの竜。花火という形で闇夜に現れた「暴れ天竜」に楽しい夏を迎えられそうな予感がしました。

闇夜にうかぶ竜、江戸時代に描かれた天竜川の川筋
天竜川通普請絵図(部分)天保8年(1837)『豊岡村史 資料編一 近世』の付図より

編集後記

市内3ヶ所で企画展開催中!中央図書館では「大発見!いわたの考古学」、旧見付学校では「磐田の中等教育」、歴史文書館では「光明電鉄の消長」をご覧いただけます。8/7からはクイズラリーもはじまります。ぜひご参加ください。

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