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磐田文化財だより 第145号

<速報> 広野遺跡の発掘調査が終了しました!

磐田市教育委員会文化財課では、東名高速道路遠州豊田パーキングエリア南側で平成28年8月1日より広野遺跡の発掘を進め、3月末に現地調査を完了しました。調査面積は約4500m2となります。旧石器時代と古墳時代の遺跡が見つかっており、文化財だより139号(平成28年10月発行)では、このうち古墳時代の成果について掲載しました。今回は、その後に行った旧石器時代の調査についてご紹介します。

広野遺跡 隣り合う礫群(れきぐん)(東側上空から)

いわたの旧石器時代

今から約3万5千~1万2千年前にあたる旧石器時代の人々はどのような生活をしていたのでしょうか。当時のムラ跡は、静岡県西部地方では磐田原台地上でしか見つかっていません。今回の調査では、約2万年前に残された50か所程の調理施設と考えられる礫群(れきぐん)や約15か所の石器製作場などの遺構(生活の痕跡)が発見されました。この時代は全国的に住まいの跡の発見例が少ないことから、食糧を求め移住する生活をしていたと思われます。今回見つかった遺構群は、旧石器時代の人々が長い時間の中で何度か生活の場所として利用した結果残されたものです。

旧石器時代の発掘調査

磐田原台地上では、旧石器時代の石器や礫(れき)は風により天竜川方面から吹き上げられた土埃(つちぼこり)が積もった黄褐色の土の中に含まれます。茶畑の耕作土(地表下約50cmまで)をショベルカーで除去した後、調査区全体で60cm程人力で掘り下げ、石器等を見つけました。このように旧石器時代の調査は大規模な労力が必要なことから、最も多い時期には約50名で発掘を進めました。

礫・・・人頭大くらいまでの大きさの石。遺跡からは握り拳以下の大きさのものが多く出土。

大スコップなどで少しずつ掘り下げ

出土品の掘り出しは
小スコップ等で慎重に!


出土品はどんなモノ?

今回の調査では、約2000点の石器や約4000点の礫が見つかっています。石器には、ナイフや槍先(やりさき)などの道具として使われたものが見られます。その他、こうした道具を作る際にでる剥片(はくへん)や石屑(いしくず)が多く見つかっており、これらが集中して見つかる場所は石器製作場であると考えられます。石器の石材は、ほとんどが天竜川流域で拾うことができる白色のシルト岩と呼ばれる石ですが、長野県方面からもたらされたと思われる黒曜石もわずかに出土しています。また、礫の多くは、径約2~3mの範囲から数十個まとまった状態で多くが出土し、これらは礫群と呼ばれています。神奈川県吉岡遺跡群で礫群の付近からイノシシの子どもの歯が出土していることなどから、調理施設であると考えられています。

(左)礫群(調理施設)

整理作業を行います!!

槍先形尖頭器(せんとうき)の出土状況(下)

出土した石器や礫は埋蔵文化財センターに運び込みました。これらを洗浄し、複数年かけて整理を作業を行います。石器の図化や現地で記録したデータを整理し、これらをまとめて報告書を作成します。
整理作業を通し新たに分かってくる事実も多いことでしょう。その後は、展示会などの機会を通し、みなさんに調査の成果をお知らせする機会を設けたいと考えています。


いわたのこんなお話 豊岡編④

獅子ヶ鼻(ししがはな)と御詠歌(ごえいか)

獅子ヶ鼻、『遠江古跡圖繪(とおとうみこせきずえ)』、岩に彫られた御詠歌、獅子ヶ鼻公園地図

磐田市の北部、豊岡にある左の写真の大岩をご存知でしょうか?今回は、獅子ヶ鼻公園内にある、この「獅子ヶ鼻」とよばれる大岩にまつわるお話です。

※巡礼または仏教の信者などが唱える、仏の徳をたたえた和歌や和讃のこと。

現在「獅子ヶ鼻」と呼ばれる大岩は、以前は牛の鼻・牛石と呼ばれていました。江戸時代に刊行された『遠江古跡圖繪(とおとうみこせきずえ)』によると、岩の形が牛の伏せた形に似ていたことが牛石の由来だと書かれています。牛石は、江戸時代末期の安政の地震(1854年)の際に鼻の部分が崩壊し、その後「獅子ヶ鼻」と呼ばれるようになったと伝えられています。
岩の形がかわったことで、大岩は牛から獅子へと呼び名がかわりましたが、牛の鼻と呼ばれていた名残りは、書物だけでなく獅子ヶ鼻公園内の岩に彫られた句にみることが出来ます。

世をうしの はな見車に 法のみち

ひかれてここに 廻りきにけり

(この世は悲しみや不安が多いけれど、牛の鼻に似た岩に、牛の花見車に引かれ、仏の教え求め巡礼にきた)

この御詠歌はその昔、牛の鼻のいただきに腰をおろしていた哀れな姿の僧が、身の毛もよだつような絶壁をおりていき、ノミをとりだして岩に一心不乱に彫った歌で、このときの僧は弘法大師であると言い伝えられています。
また、獅子ヶ鼻公園外では麓の橋に「牛ヶ鼻橋」という橋があり、獅子の鼻が牛の鼻であったことを感じることが出来ます。
ぜひ獅子ヶ鼻を訪ねて、牛の形をしていた頃の大岩やその名残り、逸話に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

しっぺい

※歩きやすい服装・靴でお越しください。
公園内では足元にお気をつけください。


磐田市歴史文書館«好評につき再展示!»
水運の拠点から織物の町へ ~福田町繁栄の歴史をたどる~

  • 開催期間:平成29年4月15日(土)~4月23日(日)月曜休館
    火~金曜日:9:00~18:00 土日:9:00~17:00
  • 会場:磐田市中央図書館 展示室(磐田市見付3599-5)

湊町として栄えた「福田」の歴史を紹介する企画展を中央図書館にて開催します。この企画展では古文書や写真・パネルなどから、物資流通の拠点だった福田湊の移り変わり、別珍・コールテンの産地として繁栄した福田の歴史をたどります。

☆詳しい展示内容は、文化財だより142号をご覧ください。

福田湊から米50俵を江戸に送った書状 のこぎり屋根(織物関係の産地によくみられた工場の屋根)(1981 福田町勢ガイドより) 歴史文書館での展示の様子
福田湊から米50俵を江戸に送った書状 のこぎり屋根(織物関係の産地によくみられた工場の屋根)
(1981 福田町勢ガイドより)
歴史文書館での展示の様子

問合せ:磐田市歴史文書館 ※土日休

磐田市岡729-1(竜洋支所内) TEL:0538-66-9112 FAX:0538-66-9722

職員リレーコラム 「君に勧む更に尽くせ 一杯の酒」 佐口節司

送元二使安西

3・4月は新しい人生を歩む季節。そして多くの先輩や友を送り出す季節です。今年も大恩(?)ある先輩を送りだしました。この送別会の時、王維(おうい)の詩の一節を思い出しました。「君に勧む更に尽くせ一杯の酒」。唐の時代、安西(あんせい)の辺地に使いを命じられた元二(げんじ)に、渭城(いじょう)の宿で見送る同僚の王維は、酒をすすめる。「さあ、もう一杯飲み干したまえ。陽関(ようかん)の関をでたら、友人もいないのだから・・・」。
送別と酒は演歌に歌われるように切っても切れない仲です。酒は古代からお祭りなどの儀式で飲まれ、生活の一部にもなります。そして、水と米、酒を嗜(たしな)む人が集まる場所に造り酒屋が営まれます。東海道の宿場「見付宿」にも造り酒屋がありました。徳川家康から名刀「成高(なりたか)」を下賜(かし)された上村清兵衛こと「冷酒清兵衛」も造り酒屋だったそうです。
酒が生まれた土地は、地域の中心として、その土地特有な風土と文化を生み出しました。この素晴らしい土地を大切にし、将来に伝えたいと思うこの頃です。
忘れていましたが、飲んべいの先輩には一杯どころか一升の酒が・・・一生酒が必要なんですがネ・・・あらためて感謝。

  • ①安西 新疆ウイグル自治区トルファンにある地名。西域の行政区である安西都護府が置かれていた。
  • ②渭城 唐の都城、長安の北西にある町で、西域に行く人をここで見送った。
  • ③陽関 甘粛省敦煌県の南西に置かれた関所。西域に通じる街道の要所。

編集後記

「春眠暁を覚えず」と言いますが「早起きは三文の徳」とも。ちょっと早起きして桜と獅子、2つハナに惹かれて御詠歌を見に行ってみようと思います。

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