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磐田文化財だより 第149号

<開催中> 旧見付学校企画展
新制中学校70年の歴史 ~市内の中学校の誕生から現代まで~

豊田中学校

豊田中学校

豊岡中学校

豊岡中学校

磐田第一中学校

磐田第一中学校


神明中学校

神明中学校

福田中学校

福田中学校

豊田南中学校

豊田南中学校


向陽中学校

向陽中学校

<開催中>旧見付学校企画展 新制中学校70年の歴史 ~市内の中学校の誕生から現代まで~


城山中学校

城山中学校

竜洋中学校

竜洋中学校

南部中学校

南部中学校


  • 開催日:開催中~平成30年3月31日(土)
  • 場所:旧見付学校 1階西側展示室 <入場無料>
  • 開催時間:午前9時~午後4時30分
  • 休館日:月曜日・祝日の翌日 12/29~1/3
  • 問合せ:磐田市教育委員会教育部文化財課
    〒438-0086 磐田市見付2452(旧見付学校) TEL/FAX 0538-32-4511

本年は、昭和22年(1947)の教育改革によって新制中学校が誕生してから、70周年にあたります。旧見付学校ではそれを記念し、今回の展示を企画しました。校舎や通学風景、授業の様子などを写した写真から市内の中学校の歴史を振り返ります。
※新制中学校は、それまであった小学校6年に続いて新たに義務化された学校で、義務教育の6・3制における3年間に該当します。

教育基本法の交付、新制中学校誕生

文部省が新学制の方針を発表したのは、昭和21年12月30日でした。3年を準備期間とし、その後9年間に年次ごとに改める方針でしたが、GHQ(連合国軍総司令部)の要請により早められ、22年2月下旬に同年4月からの6・3制実施を発表し、教育基本法は22年3月31日に交付され新制中学校が誕生しました。

開校の問題点

地元住民に協力を得て整備した向陽中学校地元住民に協力を得て整備した向陽中学校
不要となった兵舎を利用した竜洋中学校不要となった兵舎を利用した竜洋中学校

新制中学校の開校にあたっては、主に次の4点が問題となりました。

①教員の不足
青年学校や高等科の教師を充てましたが、それでも必要数の3分の2しかいませんでした。
②教室不足
高等科や青年学校の教室を使うため小学校と同居を余儀なくされました。
③校舎用地不足
新校舎の建築の際には、田畑は食料不足によりつぶせないため、新たに土地を開墾する必要がありました。
④予算不足・資材不足
校地の整備は、多くの学校で地域の人々の勤労奉仕で行われました。戦後不要となった兵舎や軍需工場の建物から資材を調達しました。

学校の造成

中部第129部隊跡地に建てられた豊田中学校中部第129部隊跡地に建てられた豊田中学校

新校舎は向陽中学校、城山中学校、神明中学校は台地の上を開墾し、福田中学校は防砂林を切り開いて造られました。竜洋中学校は旧天竜川の河川敷に、豊田中学校は※1中部第129部隊の跡地に開校しています。
明治初期に地域住民が力をあわせて小学校を造ったように、新制中学も地域住民の努力で造られた物です。先人の苦労を懐かしい写真で振り返ってみて下さい。

※1 現在のかぶと塚公園の一帯に兵舎を持っていた航空情報部隊


新制中学校の教材

左:教科書、右:鉄筆とロウ原紙

展示室では写真のほか、教科書も公開しています。また、2階ではテストやお知らせなどの印刷に使用されていた※2ガリ版(謄写版)や、上皿天秤(てんびん)や分銅(ふんどう)などの理科の実験道具も展示しています。ぜひ、ご覧ください。

※2 ロウを引いた原紙に鉄筆で文字などを書き細い穴をあけ、そこからインクをにじませ印刷する

『昭和の戦争と磐田』 ~文化財だより特別編~

第2回 明野陸軍飛行学校天竜分教所(全3回)

昨年度開催し、たいへん反響のあった企画展『昭和の戦争と磐田』。戦争と磐田の関わり、市民の生活を当時の写真や寄贈品から振り返ったこの企画展を、文化財だより特別編としてさらに内容を充実させ、全3回シリーズでおとどけします。

F86F 戦闘機(竜洋袖浦公園内)F86F 戦闘機(竜洋袖浦公園内)

磐田市飛平松にある竜洋袖浦(そでうら)公園をご存知でしょうか。公園内には、航空自衛隊から譲り受けた飛行機(F86F 戦闘機)が置かれ、それを取り囲むように、台形のコンクリート構造物が並んでいます。
当地は、旧日本陸軍の明野飛行場天竜分教所がありました。今回はその歴史について紹介します。
明野飛行学校は、三重県度会(わたらい)郡(現 伊勢市)に大正13年(1924)に、陸軍戦闘機の研究と戦闘パイロット養成を目的に開校しました。
天竜分教所は、明野飛行学校本校の練習空域の不足を解消するために、全国8ヶ所に設置された分教所の一つで、昭和17年4月に開所しました。分教所では、戦闘機の射撃訓練を海上で行うため、海に面した場所で、且つ広い飛行場が必要でしたが、当地は条件が良く、他の分教所と比べて早い時期に設置されたそうです。

分教所 位置図分教所 位置図

東京ドーム約43個分に相当する200haの広大な敷地には、東西1600mの滑走路2本(滑走路といっても未舗装だったそうです。)、格納庫3棟の設備を備え、旧日本陸軍の97式戦闘機や1式戦闘機(隼(はやぶさ))による厳しい実践訓練が連日行われました。
竜洋袖浦公園周辺に兵舎等の施設があり、その南側に滑走路がありましたが、昭和20年8月の終戦を待たず放棄され、農地として開拓されました。


97式戦闘機と格納庫

格納庫基礎(竜洋袖浦公園内)

↑97 式戦闘機と格納庫

←格納庫基礎
(竜洋袖浦公園内)

公園内に今も残るコンクリートの構造物は、当時の格納庫の基礎で、これに蒲鉾型の格納庫の屋根を支えるアーチ状の鉄骨が止められていました。
天竜分教所は、約3年半の短い開設期間ではありましたが、当地で訓練を積んだ約400名のパイロットたちは、その後、各地の戦場へと赴き、多くの方が戦死されたそうです。

参考文献
近藤きくえ「明野陸軍飛行学校天竜分教所」竜洋町 郷土研究会企画1995


文書館だより 『らくだ』

庚申掛銭帳

今、歴史文書館で開催中の企画展「二十八番 見付宿」では、宿の庶民生活を生き生きと描いた『庚申掛銭帳(こうしんかけぜにちょう)』などの資料を展示しています。
そこには家事や洪水、地震などの自然災害や、泥棒や物価高に悩まされる住民も、祭りや見世物、歌舞伎などでその憂さを晴らし、たくましく生きていく様子が記されています。
天保6年(1835)には、松屋院(しょうおくいん)(矢奈比売(やなひめ)神社(見付天神)の南にあった寺院)の境内で中国から来た「らくだ」の見せ物があったといいます。掛銭帳には初めて見る「らくだ」を、興味深く丁寧に観察している様子が記され、庚申講の当番は「首は鶴、背中は亀に似たれども、千秋らくだか、万歳らくだか」と詠んでいます。このようなウィットにとんだ川柳(せんりゅう)、狂歌(きょうか)が随所に書きつけられていて、見付の人たちの教養の高さが窺えます。


年、年。
秋らく(楽)、歳らく(楽)
は雅楽の曲名です。

歴史文書館の企画展は、竜洋支所2階で8/25(金)まで開催中(土日祝休館)。詳しくは文化財だより147号をご覧ください。


職員リレーコラム うれしさぞいみじきや 中根麻貴

右隻右隻
左隻左隻
市指定文化財
紙本金地著色(しほんきんじちゃくしょく)源氏物語図

「旧赤松家記念館で、源氏物語図を公開します。」
この言葉を聞いた時、源氏物語好きとしても有名な※1菅原孝標女(すがはらのたかすえのむすめ)が記した『※2源氏の五十余巻、(中略)得て帰る心地のうれしさぞいみじきや』の『うれしさぞいみじきや』とはこのことか、と感じました。
普段は左右同時に公開されることのない屏風(びょうぶ)を見ることが出来る嬉しさ。彼女が朝から晩まで源氏物語を読んだように、私も源氏物語片手に朝から晩までこの屏風を覚えてしまうぐらい眺めていたい。今年の夏は源氏物語!夏の過ごし方が決まった出来事でした。
特別展示は8月末日までです。この夏は旧赤松家記念館で源氏物語の世界を覗いてみてはいかがでしょうか。

※1 菅原孝標女 平安時代中期の歌人、『更科(さらしな)日記』の筆者。
※2 菅原孝標女が伯母から源氏物語をいただいた際のことを書いた記述

編集後記

特集ページの旧見付学校、4ページ目の歴史文書館と旧赤松家記念館はスタンプラリーの対象施設です!3ヶ所のスタンプを集めると先着で記念グッズも!詳しくは前号をご覧ください。

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