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磐田文化財だより 第150号

今川家特集 ~①戦国大名への道~

今年は大河ドラマの影響で「今川」の名前を聞く機会も多いのではないでしょうか。
今川と言えば静岡県を本拠地として戦国時代に大きな足跡を残し、桶狭間(おけはざま)でその野望を夢と散らせた戦国大名・今川義元(よしもと)。磐田市にも大きな関わりのある今川家を3回シリーズで特集します。

“今川”のはじまり

系図

今川家はもともと、清和源氏(せいわげんじ)(※)の名門・足利将軍家の親戚です。当時、分家は本家の苗字を使うのを遠慮するのが通例だったため、領地をもらった今川荘(愛知県西尾市)にちなんで、今川家が誕生します。
今川家第3代当主・範国(のりくに)は足利尊氏の家臣として各地で戦功をあげ、1336年の室町幕府の創立に貢献しました。
範国は室町幕府開府後、静岡県に領地をもらいます。範国が府八幡宮宮司・秋鹿(あいか)家に与えた文書は、市内最古の古文書として重要で、市指定文化財になっています。

※清和源氏・・・清和天皇の子孫なのでこう呼ぶ。源頼朝は清和源氏の嫡流(ちゃくりゅう)(本家の血筋)。足利家は頼朝の高祖父でもある源氏の棟梁・義家(よしいえ)の四男の子孫。


今川氏発祥の地(愛知県西尾市今川)今川氏発祥の地(愛知県西尾市今川)

足利尊氏の署名(市指定文化財 秋鹿家資料より足利市の本姓である「源朝臣と記されている)足利尊氏の署名(市指定文化財 秋鹿家資料より足利氏の本姓である「源朝臣」と記されている)


市内に残る今川範国の墓

今川範国は見付にあった守護所で政務をみていたと思われます。死後は見付・東光寺に葬られたと伝えられます。見付には権現町に東光寺というお寺があったと言われていますが、はっきりとしたことはわかりません。さまざまな説が考えられますが、福王寺に今川範国の墓と伝えられる石塔がありますので、東光寺が廃寺になって福王寺に吸収され、そのときに墓も移されたのかもしれません。

今川範国の署名(市指定文化財 秋鹿家資料より「沙弥心省」は範国の法名)今川範国の署名(市指定文化財 秋鹿家資料より「沙弥心省」は範国の法名)

市内に残る今川範国の墓(城之崎・福王寺)市内に残る今川範国の墓(城之崎・福王寺)


今川家の絶頂と没落

今川貞世の墓(袋井市堀越・海蔵寺)今川貞世の墓(袋井市堀越・海蔵寺)

今川範国の次男・貞世(さだよ)(了俊(りょうしゅん))は応安(おうあん)3年(1370)九州探題(たんだい)(九州全域の統治責任者)に任命され、幕府の重鎮として絶頂期を迎えますが、失脚し(理由としては派閥争いなどさまざまな説があります)、その後謀反(むほん)の疑いをかけられるなど、晩年は不遇でした。
範国の子孫は長男・範氏の家系(駿河今川氏)と次男・貞世の家系(遠江今川氏)に分かれ、後者は没落して領国も駿河国のみになってしまいます。
今川家が再び遠州地方に戻ってくるのはいつのことでしょうか?それは次回のお楽しみに。


大河ドラマで話題の時代にせまる!

今川氏真、武田信玄、徳川家康の攻防の最中(さなか)、天竜川両岸の遠江国衆、そして見付の町衆たちはどのような動きをしていたのでしょうか。当時の様子を史料から探っていきます。

  • 開催期間:平成29年10月2日(月)~12月15日(金)まで(土・日・祝休館)
  • 場所:歴史文書館 開館時間:9:00~17:00(入場は16:30まで) <入館無料>
  • 問合せ:磐田市歴史文書館(竜洋支所2階)磐田市岡729-1 TEL:0538-66-9112

『昭和の戦争と磐田』 ~文化財だより特別編~

第3回 明野陸軍飛行学校天竜分教所が残したもの(全3回)

戦争と磐田の関わりに焦点をあてた企画展『昭和の戦争と磐田』。たいへん反響のあったこの企画展を、文化財だより特別編として、全3回シリーズでおとどけしています。今回は、第2回(文化財だより149号)で紹介した明野(あけの)陸軍飛行学校天竜分教所が、磐田市に与えた影響とその跡を紹介します。

軍用道路

軍用道路

磐田駅から飛行場までの道路として、県道259号磐田竜洋線の天竜交差点から、国道150号の小島交差点間の道路が建設されました。当時は、滑走路として使用する目的もあったため、道路沿いに電柱の設置は認められませんでした。現在は、県道260号磐田停車場長野線となり、地域の生活に欠かせない幹線道路となっています。


河川改修

天竜川東派川締切跡天竜川東派川締切跡

資金不足や、地元の反対等で滞っていた新仿僧(ぼうそう)川の新設工事や天竜東派川の締切工事が、河川氾濫時の天竜分教所への浸水被害を防ぐ目的で、軍によって協力に推進されました。
天竜川東派川(ひがしはせん)は、天竜川の堤防沿いにある竜洋西堀緑地公園の辺りから掛塚地区を取り囲むように流れていた天竜川の大きな支流でしたが、昭和10年から工事が始まり、昭和19年4月に締切工事が完了しました。今も、県道262号線豊田竜洋線の道路脇に当時の護岸跡等が残っています。


飛平松の開墾

「射だ」と整備中の「97式戦闘機」 開拓神社の鳥居と開拓の碑

戦後、復員された陸軍航空部隊の関係者のために、天竜分教所跡地が入植地とされました。
竜洋袖浦(そでうら)公園の北西に小高い丘があります。これは、天竜分教所で、戦闘機の機銃を試射する為に使われた場所「射(しゃ)だ」の跡になります。西側部分は霊園として使用され、東側部分が今も残っています。
現在、その頂上には開拓神社が建立され、麓の鳥居の横には開拓の碑も併せて建てられ、開拓時の苦労が刻まれています。

(写真上)「射だ」と整備中の「97式戦闘機」
(写真下)開拓神社の鳥居と開拓の碑


津倉家住宅見学会開催のお知らせ

今年も掛塚祭にあわせて、明治の豪商・廻船問屋「津倉家」の見学会を開催します。ぜひこの機会に、掛塚湊の繁栄の歴史を伝える貴重な文化財をご覧ください。

  • 日時:平成29年10月21日(土)・22日(日)
  • 公開時間:9:00~16:00(最終入場 15:30)
  • 駐車場:天竜川掛塚橋下河川駐車場 <申込不要・見学無料>
津倉家:磐田市掛塚1099 左:襖絵(福田半香画)、右:津倉家母屋
※津倉家住宅の見どころは、文化財だより第117号をご覧ください。
【問合せ】磐田市教育委員会 文化財課
平日 8:30~17:00 TEL:(0538)32-9699

職員リレーコラム 遠州大念仏の調査 佐口節司

遠州大念仏

今年の盆に豊岡地区に伝わる遠州大念仏を調査する機会がありました。遠州大念仏は故人の冥福を祈る盆行事で、笛と双盤(そうばん)と呼ばれる鉦(かね)、摺鉦(すりしょう)などに、オンショウが歌枕を唄い、タイコキリが太鼓を叩きながら激しく踊ります。江戸時代には浜松・浜北を中心に約280組が存在し、現在でも70組程が活動しています。磐田市内でも豊岡地区の7組と豊田地区(加茂大念仏)の1組が江戸時代からの伝統をつなげています。
28年度は大平(おいだいら)組、合代島組、壱貫地(いっかんじ)組、松之木嶋組を、29年は大楽地(だいらくじ)組、上神増(かみかんぞ)組、三家(みつえ)組の調査を実施し、記録動画の撮影(※)も行いました。どの組も大念仏を伝えるための活動を地域全体で取り組み、地域の絆の一つにもなっていました。民族文化財は社会の変化に左右され、場合によっては途切れてしまうこともあります。伝えるための努力を続けている大念仏組の皆さんに敬意を払うとともに、調査に対しご便宜をいただいたことに改めて感謝します。
8月上旬の夜、豊岡地区では、大念仏の練習のために奏でる双盤の音色が響きます。地区の人たちにとって、心に残る大切な故郷の音ではないでしょうか。
双盤の音は「ぼ~ん」と響きます。そう、ぼ~ん ボ~ン ボン ぼん 盆~と響きます。双盤の音色は「お盆」になくてはならない音色ですネ・・・ ・・・ ・・・ え?

※ 記録動画は各組2時間程度に編集、DVD化をします。昨年度に撮影した大念仏は、市内の図書館でも閲覧できます。


編集後記

今号で、文化財だよりは第150号をむかえました!平成17年からスタートして、12年。これからもよろしくお願い致します。

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