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磐田文化財だより 第153号

磐田市歴史文書館 企画展を開催します

第20回企画展 遠州の俳諧 ~野口在色(ざいしき)三百回忌を迎えて~

平成30年1月10日(水)
~2月28日(水)

■休館日 土・日・祝日 <入館無料>
※2/4(日)はワークピア磐田で展示
■展示時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
■会場 磐田市歴史文書館展示室
(磐田市岡729-1、竜洋支所2階)
■問合せ先 磐田市歴史文書館

TEL:0538-66-9112
FAX:0538-66-9722

(4/14(土)~22(日)は中央図書館にて展示)

※4/16(月)は休館

地図:磐田市歴史文書館(磐田市竜洋支所2F)

松尾芭蕉と親交があったと伝えられる野口在色を輩出した磐田では、江戸時代から近代にかけて、多くの俳人が活躍し、一般の人たちも盛んに旬作にいそしみました。
来年度10周年を迎える磐田市歴史文書館の今回の企画展では、磐田地域で活躍した俳人を通して、地域に根付いた文芸の奥深さを探ってみようと思います。


<みどころ1> 野口在色と『談林十百韻(だんりんとっぴゃくいん)

画像上:在色の墓(草崎)、画像下;在色の作品「やぶれ床

寛永20年(1643)、草崎に生まれた野口在色は、江戸で材木商を営む傍(かたわ)ら、西山宗因(そういん)に入門して俳句を学び、松尾芭蕉とも交わりました。晩年は生まれ故郷の草崎に帰って、『俳諧解脱抄(はいかいげだつしょう)』などの著作をまとめ、ここで亡くなりました。来年は三百回忌を迎えます。
宗因から贈られた旬をもとに弟子たちが詠んだ『談林十百韻』は、延宝3年(1675)に刊行されるとたちまち世間の注目を集め、談林派と称されるきっかけになりました。

※十百韻

百句(韻)を1セットとし、これを10回繰り返して1000句で完結する旬集。

※西山宗因

江戸前期の連歌師・俳人。門弟に井原西鶴などがいる。宗因の軽妙自由な作風は、談林派とよばれる流派を形成した。


<みどころ2> 加藤知碩(ちせき)と大竹晴笠(せいりつ)の句

加藤知碩と大竹晴笠の句

加藤知碩は、文化11年(1814)福田豊浜に生れ、農作業の傍らおよそ6里(24キロ)もある掛川の伊藤嵐牛(らんぎゅう)のもとに通い俳句の作法を学んだと伝えられています。知碩は、嵐牛門下の四天王と言われ、多くの門人を抱えて活躍しました。
福田には、嵐牛門人の書が数多く残されていて、嵐牛門下四天王と言われた同じく福田出身の大竹晴笠が知碩と共に一紙に書いた作品があります。


※伊藤嵐牛 幕末の遠州で活躍した俳人。松尾芭蕉の流れを汲む。300余人の門人がいた。

<みどころ3> チラシ、句集からみる 地域に根付いた俳句文化

俳句募集のチラシ、如翠と可水の連名の封筒、中泉でつくられた旬集

俳句は多くの庶民にも親しまれ、定期的に句会が行われたり、寺社へ俳句を記した額を奉納したりしました。また、米寿や喜寿の祝いや亡くなった方の追悼法要の記念としても、句集が編まれました。
磐田地域には、俳句募集のチラシがたくさん残されています。これは投句(句を応募すること)が盛んにおこなわれていた証で、集まった句のうち、優秀な作品には賞品も贈られていました。
府八幡宮の祭りに奉納する俳句を募集したチラシには、企画した磐田に縁(ゆかり)のある俳人永井如翠(じょすい)と小澤可水(かすい)の名があり、明治時代の中泉の句集『中泉月并(つきなみ)(並)』や封筒にも2人の名前の印が押されています。


いわたのこんなお話 磐田見付編②

旧見付学校のオルガン

旧見付学校旧見付学校

見付尋常小学校(磐田北小学校の前身)の沿革誌に、「明治20年 舶来のオルガン購入」の記録があります。また、明治23年の卒業試験にも唱歌の項目があります。教科として「唱歌」が必修になるのは、明治40年だそうですから、見付では早くから音楽教育が行われていたようです。
今回は、そんな音楽の歴史を物語る旧見付学校にあるオルガンにまつわるお話です。


旧見付学校で一番古いオルガン

昔の授業体験で使われている様子、明治45年製のオルガン

旧見付学校にあるオルガンの一番古い物は、明治45年(1902)に製作されたものです。オルガンの蓋に「大正2年9月第3回正教員養成所生徒贈 開校記念(城之腰校舎)」の書き込みがあり、大正2年(1913)に現在の磐田北小の場所に校舎ができた記念として贈られたことがわかります。平成4年に修理をした記録があり、現在も昔の授業体験などで使われています。


○○○○付きのオルガン

丸い台の付いたオルガン丸い台の付いたオルガン

次に古い物は大正元年(1912)につくられたオルガンで、横の部分に丸い台がついています。ただの飾りかと思ったら大事な役割がありました。オルガンが作られた頃は、まだ日本の各地に電気が行き渡っておらず、暗い夜を過ごしていました。この台は、燭台置きと言い、灯りを取るために付けられていました。燭台置きのついたオルガンは100年以上前の物と思って間違いありません。


歴史あるオルガンをひいてみませんか?

昭和30年代に電気オルガンが作られ、足踏みオルガンは衰退していきます。小学生の来館者がオルガンの前で音が出ないと困っているときがあります。今は電気のスイッチを入れれば演奏出来るので、分からない子もいるようです。旧見付学校の6台のオルガンはすべて足踏みのオルガンです。実際に演奏することができるオルガンも2台ありますので、昔のオルガンをひきに旧見付学校においでください。

磐田市 しっぺい

開館時間:午前9時~午後4時30分 休館日:月曜日・祝日の翌日 12/29~1/3
〒438-0086 磐田市見付2452 TEL/FAX 0538-32-4511


<文化財課ニュース> 職業体験の受け入れをしました

文化財課キャラクターともちゃん筆を使って丁寧に土器を洗う様子

文化財課では毎年、中学生による職業体験を受け入れています。
埋蔵文化財センターは、遺跡の発掘や史跡の管理などの業務をおこなっていますが、今回の体験は、発掘調査後におこなう仕事です。
発掘現場で見つかった土器の欠片(かけら)を洗う作業と、瓦に記号を書いていく作業をしました。割れる前の土器の形や用途を考えたり、模様や硬さを観察しながら、作業をしました。根気と集中力のいる仕事でしたが、「発掘のその後を初めて知った!」「ずっとこの土器が残っていくのか」と嬉しそうでした。

瓦に記号を書いている様子

職業体験を受け入れ、業務内容や注意事項を話すことで、改めて基本に立ち返り、私たちの仕事を見直すことにもつながっていると感じています。


職員リレーコラム 1964年東京オリンピックの頃の思い出 鈴木亮司

聖火リレーの様子(磐田市中野町)『時の風景 豊田町物語』より転載

2020年の東京オリンピック開催まで、あと2年8か月余りとなりました。どんな感動するシーンを見せてくれるのか、今から楽しみにしています。
自分は、1964年東京オリンピックが開催された時に、国道1号線の天竜川橋の東側沿道へ聖火リレーを見に行った記憶があります。砂利道を遠くまで自転車で行き、当時子供だった私にはとても大変でした。長い間待ちましたが、聖火ランナーは、あっという間に通り過ぎてしまいました。
その頃のことを思い出すと、その当時自分が通っていた農村部の小学校において行われ、今は行われていない行事のことが頭に浮かびました。まず第一に元旦に登校日がありました。はっきり覚えていませんが、校長先生のお話をお聞きして、お菓子(ハクセッコらしい)をもらって下校しました。第二に六月の田植え時期に、2.3日の農繁期の休みがありました。自分はその当時低学年でしたので、田圃で泥んこになり、「ヒル」に血を吸われながら遊んでいただけでした。上級生になると休みは無くなりましたが、苗を運ぶ作業などを手伝いました。さらに収穫時にイノコ積みや脱穀、籾摺りの時にも、手伝いをしなければならない作業がありました。また、学校行事ではありませんが、毎週日曜日の朝に近くの神社に竹箒を持って皆集合して、境内の掃き掃除をしていました。冬の寒い日は、行くのがとても辛かったです。
このように当時の小学生にもそれなりにいろいろやることがありました。

※ハクセッコ うるち米ともち米の粉に白砂糖やハスの実を混ぜて作った落雁(らくがん)状の干菓子。
冠婚葬祭や神事の引き出物など用途にあったさまざまな形がある。


編集後記

師走の声を聞き、心なしかあわただしくなってきたように感じます。今年もご愛読いただき、ありがとうございました。

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