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トップページ  >  観光・文化財の情報  >  文化財  >  文化財だより  >  第27号
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 見付宿脇本陣大三河屋門みつけしゅくわきほんじんおおみかわやもんを移築復元

写真:移築復元された見付宿脇本陣大三河屋門
移築復元された見付宿脇本陣大三河屋門
 
見付に移築復元
見付宿脇本陣大三河屋門(市指定文化財)は、江戸時代見付宿の脇本陣の門として使用されていたもので、後に中泉に移築され、個人宅の門として使用されていましたが、平成17年、市に寄贈されました。
平成19年3月、見付宿場通り北側「見付宿いこいの広場」に移築復元しました。

写真:門(東側横から・向かって左が正面)
門(東側横から・向かって左が正面)
脇本陣とは
江戸時代、宿場には街道を往来する大名や公家が宿泊する施設として、本陣が決められていました。脇本陣は、本陣を補うための宿泊施設で、本陣に次ぐ規模、格式を持っていました。見付宿の脇本陣は、その当時、宿町にあり大三河屋という屋号でした。大三河屋は、もともと旅籠屋はたごやでしたが、文化2年(1805)に脇本陣となりました。
この門は2本の本柱上に冠木かぶらぎを渡し、その上にはり切妻きりづま屋根を載せています。武家や商家の屋敷の門には棟門むなもんが使われますが、脇本陣の玄関を飾るためか、小さいながら城などで使用される薬医門やくいもんの形をした門です。
屋根は桟瓦葺さんがわらぶきの切妻造りで、大棟おおむねの両先端には小型のしゃちを配置し、大棟両端から降棟くだりむねが付けられています。先端部には獅子ししを表した飾り瓦である留蓋とめぶたが置かれ、重厚で落ち着きのある印象を与え、由緒ある脇本陣の格式と伝統をかもし出しています。

門の各部
写真:1.鯱(復元) 2.大棟 3.留蓋(獅子)(復元) 写真:4.懸魚(復元) 5.冠木(復元) 6.本柱 7.控柱
1.鯱(復元) 2.大棟 3.留蓋(獅子)(復元) 4.懸魚(復元) 5.冠木(復元) 6.本柱 7.控柱

開門式を開催
4月21日、「見付宿たのしい文化展」の開会に併せて、鈴木市長をはじめ市民の皆さんが大勢出席し、門の移築復元を記念して開門式を開催しました。「開門」の掛け声とともに門扉が開かれ、完成を祝いました。今後は、門をシンボルとした「見付宿いこいの広場」を、市民の皆さんに親しんでいただける場として企業の協力も得て整備していきます。

写真:開門式の様子 地図:埋蔵文化センター
開門式の様子



もっともっと知りたい磐田の歴史
第2回 遠州灘の漁業と福田漁港編
5月20日、福田港では「ふくで漁港まつり」が開かれ多くの人々を集めました。
遠州灘は、長く続く砂浜のため天然の良港には恵まれず、掛塚や福田など河口付近に港が開かれました。今回はシラスなどの近海漁業の基地として整備が進められている「ふくでみなと」についてご紹介します。

写真:空からみた福田漁港と太田川河口
空からみた福田漁港と太田川河口
写真:福田漁港
福田漁港
写真:六社神社に奉納された絵馬
六社神社に奉納された絵馬
海のめぐみと遠江とおとうみ
海に臨む遠江では、古代から漁業が行われていたようで、「天平17年(745)遠江国山名郡より鰹魚の貢進があった」と記載された木簡が平城宮で出土しています。江戸時代以降も猪櫓船ちょろぶねによるカツオ漁が行われていたようですが、その中心は「半農半漁」による、村単位の地曳き網漁でした。

福田港のはじまり
福田港の歴史は古く、江戸時代初期に横須賀藩の藩港として、開港したことからはじまります。宝永4年(1707)の地震により弁才天川河口にあった横須賀みなとが隆起し、使用できなくなったため、横須賀藩は太田川の河口を掘削し、福田湊を築いたのです。また、福田湊と城下町である横須賀の往来をはかるため、街道や海浜地帯を流れる前川の整備にも取り組みました。

嫁に行くなら福田の川岸かしへ、お江戸帰りの船が着く
福田湊には横須賀から藩米や塩が、見付方面から茶や酒などが集まり、千石船など大小の和船によって江戸や大坂に運ばれました。最盛期にはぼう僧川の船溜りに100隻以上の和船が係留され、河畔には廻船問屋や倉庫や船宿が並び、中洲には航海の安全を祈る厳島神社が祀られていました。江戸時代から明治初期にかけ繁栄する様子は、「嫁に行くなら福田の川岸かしへ、お江戸帰りの船が着く」とうたわれました。
東海道線開通によって海運業が下火になると、福田港は、鰹などの海洋漁業の拠点として利用されるようになりました。六所神社には鰹船の絵馬(市指定文化財)も奉納されています。


 地域史編さん室だより 「あなたの情報をきっかけに調査が進みました」
写真:東海海運の航路図
(『仙台市史』より)
先日、「茨城県平潟ひらかた港に掛塚廻船が入っていた」との情報をお寄せいただきましたので調べてみると、平潟港に掛塚廻船が出入りしていた記録が、北茨城市に残っていました(北茨城市史)。
平潟港は、福島県との県境・茨城県北茨城市にある歴史のある港です。寛永年間(1623〜1643)に、仙台藩が湊を築き、その後、江戸の豪商・河村瑞賢かわむらずいけんによって、東廻海運(日本海から津軽海峡を通って南下、房総半島を回って江戸に至る航路)が刷新されて、繁栄しました。
寛文10年(1670)、幕府から、陸奥国信夫郡と伊達郡(ともに今の福島県)の年貢米を江戸に回漕するように命じられた瑞賢は、新しい試みを実施します。江戸廻米を、民間船を雇う雇船方式で行うことや利根川経由をやめて船を大型化、房総半島を経由して三崎(神奈川県)か下田に直行、大坂・江戸間航路(南海路)を利用して江戸に入る方式を考えました。雇った民間船が、主に尾張や伊勢などの船だったのです(参考『仙台市史』)。東海地域では、掛塚廻船が、四日市や桑名などの湊から江戸への御城米輸送を相当担っていましたから、ここに、大型船である弁財船の扱いに慣れた掛塚廻船が東廻海運に参入、平潟港に寄港することになったわけもありそうです。
貴重な情報をありがとうございました。これからも、情報もお寄せください。


 コラム ふすまの下貼りから古文書が・・・ 地域史編さん室 山田めぐみ
写真:襖の下貼りから古文書が・・・
地域史編さん室では、竜洋町史編さんのために、各家から提供いただきました資料の整理を進めています。最近、掛塚地区のお宅から提供いただきました襖の下貼りから明治期の資料が出てきました。
襖の下貼りですから、何枚も重ねて貼り合せられていて、なかには襖の寸法に合わせて裁断されたものもあります。それを水道水ではなく、不純物のない精製水を使い、霧吹きで湿らせながら1枚、1枚、丁寧に剥がしていきます。大変根気の要る作業ですが、今まで発見できなかった貴重な資料に出会えるととてもうれしく感じます。今回の作業では、いかだを使い天竜川の上流(船明ふなぎらのあたり)から掛塚湊までスギやヒノキの角材を運んだ資料が出てきました。
まだ整理中ですので、これからも珍しい資料が出てくるかもしれません。

 編集後記

地域史編さん事業では、日々新しい事実が判明していることが、記事からよくわかります。引き続き資料の収集を行っていますので、ぜひ情報をお寄せください。地域史編さん室 TEL.66-9111



情報発信元
磐田市教育委員会 文化財課(磐田市埋蔵文化財センター内)
〒438-0086 磐田市見付3678-1
電話番号:0538-32-9699
受付時間:午前8時30分〜午後5時15分
メールアドレス:bunkazai@city.iwata.lg.jp

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