遠江国分寺跡

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ページ番号 1002046  更新日 2023年3月23日

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国指定文化財(特別史跡)の「遠江国分寺跡」について紹介します。

天平の甍 遠江国分寺跡とその周辺

写真1
遠江国分寺跡

磐田市内には、古代の寺院や役所の遺跡が分布しています。
特に奈良時代には大之浦に臨む台地上に、遠江国府や遠江国分寺、遠江国分尼寺、大宝院廃寺などが建てられました。国分寺は国府の北方に建立され、その東側には府八幡宮、さらにその東には天御子神社が、国分寺の北方には国分尼寺が造られました。

天平13年(741年)、諸国に国分寺と国分尼寺を建立するよう詔が出され、遠江国分寺の建立が始まりました。

写真2
国分寺の七重塔心礎

国分寺は金堂を中心に七重塔・講堂・中門・回廊などの伽藍が配置されていました。伽藍は築地塀などによって区画されていたようです。遠江国分寺は昭和26年に発掘調査がされ、七重塔跡をはじめ主要な伽藍が発見されました。昭和27年に国の特別史跡に指定されています。


写真3
CGで復元された国分寺

遠江国分寺は金堂を中心に、北側に講堂が、南側に中門が配置され、金堂と中門には回廊が巡っていました。伽藍の範囲は東西180m、南北250mにも及び、その周囲にも関連した施設が点在していたものと考えられます。

七重塔の跡には礎石が残っています。国分寺の建立や維持には、莫大な労力と経費を必要としました。中世になると国分寺は衰退し廃寺となりますが、国分寺の一隅に堂が建てられました。

遠江国分寺の瓦

写真4
国分寺跡出土の軒瓦

遠江国分寺や尼寺に使われた瓦は、主に掛川市(旧大須賀町)にあった窯で焼かれました。また、屋根の修復のために磐田市寺谷でも瓦が焼かれました。

遠江国分尼寺の跡

写真5
国分尼寺の講堂跡

国分尼寺は国分寺と共に、当時の国毎に造られました。遠江では国分寺と南北に並ぶように建てられていました。発掘調査では版築と呼ばれる、土を固く叩き締めた基壇の跡が発見されています。

遠江国分寺跡

地図

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